第17話 閑話 ベイル・マーカスの赴任 ※怪談ではありません
浮浪児のアリは一心不乱に飯を食う。
トリアナンにやって来たばかりのお上りさんの
親はいない。
大きすぎる大人用の山高帽を被って大人ぶるというのが、大人に受けた。大人の好きな子供らしさを演出したおかげか、浮浪児としてはかなりマシな生活を送っている。
最近はとくに景気がよいらしく、飢えることはなくなっていた。
「ゆっくり食べなさい」
そうは言われても無理な話だ。残飯や余り物ではない、きちんとした料理屋のメシなど、手を止められるはずもない。
アリに問いかけるのは、ベイル・マーカスという名の中年男で、法務官で騎士を自称している。
「ダンナ、冷めちまう前に喰っておきたいんだよ」
「詰まらせるなよ」
「詰まるもんかい。こんな美味いもんを詰まらせたら申し訳ないよ」
「ははは、これは奢りがいがあるな」
法務官の中年男と浮浪児は周りが奇妙に思って見ていることも気にせず、滑稽噺のようなやり取りをしていた。
アリの暮らしが多少よろしくなったのは、このベイル・マーカスと知己を得たからに他ならない。
最初の出会いは、ベイル・マーカスがトリアナンにやって来た日のことだ。
城塞の門を潜った時から目を付けていた。
やせ馬に跨り、小太りの身体を揺らすベイル・マーカスは、城門を潜る時に薄笑いを浮かべていた。脇の甘さが顔に出ている。
門番の兵士たちは、着任した騎士に落胆の色を露骨に見せる。隠すことすらしない。
「この先をまっすぐいったら中央庁舎となります。スリやゴロツキに気をつけて」
騎士に対して門番が吐く言葉ではない。
「ありがとう」
ベイル・マーカスは一等法務官とは思えないほどに、のんびりと謝辞を述べる。
顔付きもまた小さな店の店主といった冴えない様子で、世襲騎士だと一目で知れる男であった。
「ダンナ、お荷物をお持ちしやすよ」
目抜き通りを往くベイルに声をかけるのは、みすぼらしい出で立ちの少年だ。
荷物運びに道案内で日銭にする少年労働者である。
「……詳しいのかい」
少年はベイルから返事があったことに驚くと、すぐに顔を綻ばせた。
「もっちろんさ。安くて信用できる宿から、地元民だけの美味い飯屋、ダンナが望むんなら花街巡りでもやってみせらぁ」
「ははは、道案内でいい。今日は庁舎までの道に、両替商と美味い飯屋だ」
ベイルは懐から一分銀を取り出して少年に投げた。
「まいどありっ」
浮浪児から、それどころか一般の市民からすれば破格。ベイルからすればちょっとした小遣いという額である。
「食事は地元の人が勧める店がいい。美味くて量が多ければ多いほどいい。いいか、どんな店でも構わない。それから、両替商は一番大きくて信用のおけるところを頼む」
浮浪児は意外なことに気付いた。
このインチキ騎士は見た目より若いのではないかと思ったのだ。度を越した老け顔なだけで、声からするとお兄さんという年齢に思える。
「へい、ダンナの仰るとおりに」
「ダンナはよしてくれ。ベイル・マーカスだ」
「マーカス卿ですか」
卿という使い慣れない言葉を発した浮浪児に、ベイルはなんともいえない顔をした。もちろん、喜んではいない。苦虫を噛み潰してみたら、意外に美味かったというような妙な顔である。
「ベイルでいい。とにかく案内を頼むよ」
浮浪児に先導されて、飯屋へ寄った。
多少は値の張る庶民向け食堂へ行けばまたも妙な顔をするので、人足の集まる労働者向けの食堂へ案内したら喜ばれた。
「うむ、こういうのがいい」
「へえ、そうですかい」
浮浪児は下を向いて答える。
「なにか落ちているのか?」
「へえ、見ちまうと腹がくうと鳴るンで」
「店主、この饅頭を五つばかりとパンとスープだ」
浮浪児は下を向いたままにやりと笑う。こういった手合いの男というのは、下賤の者に優しくしてやることに快感を得る。しかし、おおっぴらに善意を向けるのを恥とするため、そうしてやれる状況を造りだしてやる必要があるのだ。
「上手くやったな」
と、御馳走を持ってきた店主に小声で言われた。
浮浪児は小さく目で礼をした。
「で、キミの名前は」
ベイルの問いにパンに伸ばした手を止めた。
「あ、へえ、アリと申します」
「食べていいから、そんな目で見るんじゃないよ」
「失礼しやした、それじゃあ遠慮なく」
アリと名乗った浮浪児は実に美味そうに食べる。
これも処世の
いい食いっぷりとは綺麗に心底美味そうに喰らうこと。金を出してもらった飯には、その対価として気風を見せねばならない。
何より、これより下の店となったら、流れ飯と呼ばれる残飯を調理したスラムの食堂に連れていくことになっていた。それと比べたらこの店は、腐ってない古い肉としなびた野菜で作るスープが出るだけ上等である。
「両替商の後は街の案内を頼む」
「お任せくだせえ」
「どこで覚えたんだ、そんな言葉遣い」
アリの語り口は渡世人のようで、高い声の子供がやるのはなんとも面白い。
「へへ、蛇の道は蛇というヤツで」
「そんなに腹に詰め込むな。店主、パンを追加してくれ。残りは持って帰らせる」
「ありがてぇや」
ベイルは笑顔を作った。しかし、笑い声は掠れるほどに小さい。
冴えない中年みたいなナリをしているというのに、気障な騎士無頼のような立ち振る舞いだ。講談の快男児ものに出てくる腕の立つ皮肉屋のようである。似合わないことこの上ないが。
変なオッサンだな、とアリは思った。
みすぼらしいナリで大商会に足を延ばす。
観光か手紙でも渡しているものかと思ったが、そこで起きたことにアリは目を丸くして驚くことになった。
ピッカピカに着飾った
平身低頭で見送られる中年男はやせ馬に乗って振り返ることすらしない。
横をついて歩くアリはなんともいえない気持ちになった。この小太りの騎士様は、本当に偉い人なんじゃないかと。
そんなことで夕暮れまで案内していたのだが、商会やお貴族様の邸宅でも同じことが起きていて、アリは目を回しそうになってしまった。
「さて、仕事は終わりだが、アリといったな。まだ時間はあるか」
「へい。仕事とあれば」
「そうだな、幽霊屋敷だとか怪しい噂のある場所を案内してくれ」
何を言っているのだろうか、この男は。
「いいから、知っている場所を案内してくれ。馬は庁舎に預けて馬車を借りる」
「は、え、ダンナ、そいつはいいんですけど」
結果的に馬車は捕まえられなかった。
問題になったのはアリが浮浪児であることだ。そんな汚いものを馬車には乗せられないということになったのだ。
ベイル・マーカスは後日呼ぶと言って去った。
変なオッサンだと思ったのも束の間。
一か月ほどしてから、本当に呼ばれた。
◆
アリはため息をついて、手元の銀貨五枚を見つめている。
これで服装を整えろと法務官から言われた。
これはきっとアレだ。
ついに来たか、という気持ちである。
拾った山高帽でなんとか特徴付けしていたが、分かる者には分かるのだろう。
「でも、まあ仕方ないか」
スラムの隅にアリの住居とも呼べない巣穴があった。
使われていない廃屋の一区画を廃材で覆っただけの巣穴で、他にも子供たちが同じような巣穴に集っている。
アリが山高帽を外せば、エルフ特有の尖った耳がある。
子供、とはいえそこそこの年数を生きているのだが、とにかく子供が一人で生きるというのは大変な苦労がある。ここに住み着いた最初は、清く生きていこうと考えていたのだけれど、そろそろ限界を感じていた。
浮浪児に未来など無い。あったとして、それは知れ切った悪意に満ちた明日だ。
銀貨を握り締めて、まずは湯屋へ行った。
スラムの者は入店を拒否されるのが通例だが、ベイル・マーカスの名前と預かっていた書付を見せたら、湯船に入る前に散々に井戸水で洗われたが、その後で入浴を許された。
気を利かした湯屋の女将が、捨てるつもりだったという使用人用の服と履物まで用意してくれて、何度も頭を下げることになった。
「よし、行こう」
何度か旅人を案内したことのある古着屋に行き、事情を説明して新しい服を用意してもらった。
「あらあら、そういうことだったの。おめでとうって言わなきゃいけないわね。こんな大っぴらに呼ぶんだから、養子縁組の後に婚約かしら」
古着屋の女店主は芝居がかって言うと、服を用意してくれた。
銀貨一枚を渡すと、着替えも含めて見繕ってくれる。着替えなんかは後で取りに来たらいいと言ってくれた。
着替えると、改めて不安が募る。
「新しくきた一等法務官でしょう。そんなにひどい方ではないと思うから、きっと大丈夫よ」
トリアナンへやって来て一か月程度だが、早くも商人には評判が広がっているらしい。
聞けば、大店に挨拶回りをした時にも露骨な袖の下を要求せず、商家にとっては非常に付き合いやすい人物だとか。
なんとかなるし、スラムで過ごすよりもきっといい結果になる。
◆
言いつけ通りに庁舎の執務室へ行けば、ベイル・マーカスは驚いた顔をして迎えてくれた。
「キミ、女の子だったのか」
精一杯のおめかしをして現れたアリに対して、言い放つ。
「え、あの、ダンナ……様、あの男の子がよかったんですか」
ああ、そっちか。
身請けしたいのは少年だったか。ああ、それはひどい。
「何か重大な勘違いをしていないか、キミは。アリ、でいいんだな」
「あの、本当はアリスといいます」
ベイル・マーカスは額に手をやって天を仰いだ。
世俗に通じている法務官殿は、どのような勘違いをしたのか手に取るように理解したのだろう。
スラムにいる子供を夜の相手に買い取るというのは珍しい話ではない。
褒められた話ではないが、ごく当たり前にあることだ。そして、こういった場合にはきちんと庁舎に登録を行わねばならない。大抵は養子か、兄弟として。
「これは、参ったな。ええと、ここに来るまでに、こんなに目を吊り上げて怒っていた騎士のお姉さんは見たかな」
「はい。こういうことだったら仕方ないと思って」
「安心してくれ。彼女が怒りを向けているのは私だよ」
そんなことを言っていると、ドアが破られる勢いで開いた。
「騎士ベイル・マーカス、ここは執務室だぞ」
顔を真っ赤にした騎士ミランダだ。
誰に何を吹き込まれたか知らないが、鼻息も荒く顔も真っ赤である。
「あー、何か誤解があったな。彼女は……女中として雇ったんだ。なかなか家には帰れないからね」
「貴様、言うに事欠いて」
言い争う二人に、アリスは顔を引き攣らせた。
スラムからは抜け出せるだろうが、どうなってしまうのだろうか。
この後、ベイル・マーカス一等法務官が相当な奇人の類だと思い知ることになり、数奇で奇妙な日々を送ることになる。
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