第15話 拷問官バイケンに聞いた話
執務室で気持ち良く寝ていたら、ドタドタという足音に起こされた。
ミス・ステラと朝まで過ごしていたため、ひどく眠い。
家に帰るのも億劫で、庁舎の執務室で一眠りしていたところだが、四時間ほどでそれも中断を余儀なくされる。
執務室の机から脚を下ろして、水差しの水を飲んだ。
三十五歳を過ぎてからの徹夜というのは、身体に甚大な疲労を残す。
「騎士ベイル・マーカス、一体この事件はどういうことだ」
目の前には、怒れる小娘。
騎士ミランダ・ギルスネイが、筆者のサインがついた書類を突き付けてくる。
「なんですか、騒々しい」
あくびを噛み殺して言えば、ミランダの顔が真っ赤に染まった。
「貴様、この男を拷問官に引き渡したな。こいつはただの連絡役だぞ。しかも、妻に子供が四人いるっ」
書類を見やれば、違法な奴隷売買事件についての報告書だ。
トリアナンに来て最初に処理した案件である。
「それがどうしました。モグリの奴隷売買は禁止されていますし、死罪が順当だ。口を割らせるには拷問も必要ですし、内偵も進めてある」
内偵については前任者からの引継ぎだったが、そのウラも取った。大抵の場合、ギルドの情報は正しい。
「こいつは市民だぞ。流民の類ではない」
「市民が流民を売っていい理由にはなりませんよ。それに、悪党だ。死んでも代わりはするし、そろそろ苦しんで死ぬべき男だった。それだけです」
「貴様っ、言うにことかいて」
犯罪組織の連絡役を二十年も尻尾を掴ませずに務めた悪党である。
「そいつを『いい人』だという人は多くいるでしょう。ですが、『いい人』の仮面を被って二十年に渡って市民を奴隷に堕とし、流民と亜人を狩る手助けを続けてきた。騎士ミランダ、一等法務官のこの私に、始祖皇帝の定めた法を曲げろと言うのですか」
ミランダはようやくになって、自分の言葉の失敗を悟ったらしい。
言葉に詰まって、何も言えないでいる。
「この、世襲騎士の書類屋め」
憎しみで涙目になって絞り出したのは、シンプルな悪態だ。
「騎士ミランダ・ギルスネイ、それ以上は執務の妨げと見做す」
「くそっ、いい気になるなよ」
捨て台詞を吐いて、騎士ミランダは執務室を出ていった。
乱暴に閉じられたドアの音で、再び眠ろうという気が失せた。
机の上に残されたのは、かの事件の書類だけだ。
辺境ではよくある事件だ。人は獣と魔物より狩りやすく、何倍もの金になる。
金持ちになる方法としては正しいが、帝国でそれをやるのは間違いだ。
「誰か、焚きつけたヤツがいるな」
ギルスネイ家は、世襲を許されていないというのに代々に渡り騎士としてトリアナン伯爵に忠節を尽くす騎士の中の騎士である。
左遷された一等法務官が権力で騎士爵を剥奪でもすれば、トリアナンにいられなくなるだろう。それどころか、大通りの真ん中で辻斬りに遭ったとしても、目撃者すら現れずに不運な死を遂げてもおかしくない。
「この大切な時期に、どの連中だ」
三つの大貴族家と五つの帝都大商会、ギルドの顔役が二人に英雄的冒険者が三人。
パッと思いつくのはこの辺りで、他にも大小様々にある。
法務官は恨みを買いやすい。
不意に思い出して、机の引き出しを開けて覚書を漁った。
「そうだ、忘れていた」
トリアナンに来たばかりのころ、突き付けられた書類の事件で知り合った拷問官に、なんとも恐ろしい話を聞いていた。
人形の祠の件で忙しく、すっかり忘れていたのだ。
以下は熟練の拷問官であるバイケンに聞いた話を小説として纏めたものである。
◆
拷問官は法務官以上に嫌われる役職だ。
例えば、拷問官というとどんな人間を創造するだろう。
ねずみ色のローブを着たあばた面の小男だろうか。それとも、痩せぎすの神経質そうな中年男か。
バイケンは騎士としても通用しそうな鍛え上げられた肉体と、甘いマスクの美男子である。
連絡役の男を引き渡した時にも、バイケンは爽やかな笑みを浮かべて握手を求めてきた。
「一等法務官のベイル・マーカスだ。よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
握手は力強い暖かなものだった。
微笑みもまた爽やかで、筆者が若い時なら仲良くなれなかったタイプだ。
血の臭いが染み付いた石造りの拷問部屋には似つかわしくないが、てきぱきとスライム脂で加工された皮のツナギに着替える様は、実に拷問官らしい。
拷問官の死因の多くは、拷問を加えた相手から移る病気と、心の病による自殺だ。帝都で世話になったベテランは、引退した翌日に首を吊った。
「マーカス一等法務官、拷問官に向いている性格をご存じですか?」
「冷酷で、真面目な男かな」
「ははは、真面目というのは正解ですね。こつこつと地道な仕事が出来るマメさと思いやりを持つことです」
快活に言うバイケンは、実に奇妙な青年だった。
彼の仕事もまた、地味で真面目。実直というのだろうか、細部まで手を抜かない。
口を割らせて、その内容が真実であると確信ができるまで苦痛を与える。
自棄にならないように、言葉で希望を持たせる。
決して狂わせないように、限られた時間で、命の灯が消えるまで最大の苦痛をもって、口を割らせる。
拷問待ちも法務官の仕事の一つだ。
証言に際して、それが真実で矛盾がないかを法務官は資料と裏付けして判定を行う。そして、拷問官は罪人の言葉に嘘がないかを『痛み』で感じ取る。
刑事法務官を目指すのなら、この拷問待ちに耐えられないと職務は務まらないとされている。
人気者とは程遠い役職ということで親しくなり、よく食事を一緒に採る仲になった。
◆
バイケンがその声を聞くようになったのは、拷問官になって三年目のことだ。
拷問部屋は掃除のために石造りである。
石の隙間から、声が聞こえるのだ。
子供を犯していた男の爪に針を入れている時に、その声は聞こえた。
『赤ん坊を抱く母親に手を引かれた幼い女の子がいる。その男はどの女を犯そうかと考えて、子供を選択した』
それは、紳士を連想させられる落ち着いた男性の声である。
淡々と語る声が石の間から響いてくる。
『その男が幼いころに、母親とその友達の真似をして妹の股を舐め回した』
疲れているのかな。
針を入れた後に、大きく伸びをして休憩を取ることを男に告げた。
痛みの無い時間というのもまた、拷問の一つだ。
安らぎを奪われることほど辛いものは無い。
『その男は、生きている間中、女のことを考えている。だが獣ではない。その男が子供を殺すのは性欲ではない。露見させないために、利のために殺したのだ』
痛みに感情は不要だ。
その声は、あまりにも感情を逆撫でる。
死刑は確定していたが、あまりにも早く命の残り時間を使い切ってしまった。
拷問部屋の掃除は新入りの仕事の一つだったが、バイケンは自分で掃除をしていた。
飛び散った血や体液、排泄物を水で洗い流す。
石の隙間、目地もきちんと洗う。
虫など湧かそうものなら、熟練の職人拷問官にどやされるのだ。
バイケンが新人のころ、壁にぶちまけられた血液には辟易としたものだ。
一人前になってからは極力汚さないようにしている。それは、部屋を汚さずに口を割らせる技術がある証拠で、一番キレイだという密かな自負もあった。
「バイケン、一人前だっていうのに掃除はやめろ。新入りは道具の手入れと血を洗い落して学ぶんだ」
先輩に言われて、手を止めた。
「すいません、ちょっと気分を変えたくて」
「はは、お前みたいな優秀なヤツでもそんなことがあるんだな。今日、珍しく失敗したそうじゃないか」
「ええ、力が入ってしまって……」
石の隙間から響く声にかき乱された。
あの男の罪を憎いと感じてしまったのだ。
「そうか……。ま、なんかあったら言ってこい。これでも、歳を食ってんだ」
先輩は豪快に笑ってバイケンを励ますと、拷問部屋を出ていった。
掃除をしていると、声はしない。
命を奪う仕事に、疲れを感じていたのかもしれない。
人肉を売っていた女の取調べがあった。
『その女は、子供を売っていたのだ』
それと俺の仕事は関係ない。
『その女は引き取り手の無い子供を引き取って、働かせ続ける。男の子も女の子も、客をとらされた。役に立たなくなったら、肉にして売った』
こんなクズが世の中には山ほどいる。
だから、拷問官という仕事がある。
『肉にして売ったのは、最後まで金に変えたかったからだ』
拷問官は復讐の代行者では無い。
罪の真実を明らかにするために、痛みを与える者だ。
『弱いものを喰らわない所に人倫はある』
よしてくれ。
そんなことは分かっている。
罪人共の吐きだす言葉は、悪を悪とも思わない下衆の極み。
こんなものは人では無い。
結果として、生きながら臓物を引きずり出すという、拷問の難度としては最大の刑を与えてしまった。
拷問官は好きに拷問できるという仕事ではない。
罪の重さにより、あまりにも惨い技術を使用することについては制限があるのだ。
技を試す外道めと、先輩にはこっぴどく叱られた。
立ち会った二等裁判官が気を失うほどのことをやってしまったのだから、無理もない。
三週間の謹慎処分を受けることになり、職を失う事だけは免れた。
落ち込んで過ごしている時に、先輩が部屋を訪ねてくれた。その手には、焼酎の甕とバザールの屋台で買ってきた食べ物がある。
「よお、落ち込んでんだろうと思ってな」
「先輩、すみません。俺、こんなつもりじゃなかったのに」
先輩は何やら困った顔をして、焼酎を杯に注いで飲めと云う。
酒をやれば、喉を焼くようである。
「苦いか」
「ええ、なんですか、こんなに強い酒、初めてです」
飲み慣れた焼酎とは違う。本当に、喉を焼くようだ。
「バイケンよ、石の声を聞いたな」
「えっ」
「たまに、あれの声を聴くヤツがいる。だいたい、お前みたいに優秀なヤツだよ」
先輩拷問官の顔に浮かぶのは、苦痛を伴う悔恨である。
昔、俺の同期ですげえ優秀なヤツがいたんだ。
手早く口を割らせるもんだから、余計なことまで聞いちまったんだろうな。
俺らは、最初は毎日青い顔さ。その後は、鬼みてえな顔になって、それから無表情。ここまでが修行みたいなもんよ。
その後で、自然体でやれるようになったら一人前だ。
拷問と自分の気持ちを切り離せないと、自然体じゃあできないからな。
あいつは、いつもニコニコ笑うようになってな。毎日楽しそうなんだ。ぶっ壊れたって感じでもなかったんだけどよ。
処刑に回すヤツまで、拷問で殺すようになっちまった。
被害者の遺族が見て青褪めるほどの死に顔でな。
法務官と処刑人を、勝手にやりやがったのさ。
バレちまって、拷問官をクビになっちまった。
あいつは、拷問部屋で喉を掻っ切ってたよ。
「その人の幽霊なんですか」
先輩は首を振った。
「あれは幽霊じゃねえよ。多分、俺たちの、拷問官と法務官、それに悪人の言葉を聞いて、出来上がったんだろうな」
ずっと昔から拷問官に伝えられていることだ。
石の中にいるものは人では無い。
決して、あの声に応えてはいけない。
「それって、あれは魂とかじゃなくて、拷問部屋の声ってことなんですか」
「さあなあ。昔、霊媒を呼んだ時には神様として祀れって言われたらしいけどな。そんなことしちゃあ、俺ら官の仕事としちゃ不味いだろ」
宗教と結びついてはいけないというお題目に反する。
「……アレの声を聴いてたら、まともに仕事ができませんよ」
「罪人から血をとって、壁にぶちまけろ。あれは別に罪人が憎いんじゃねえ。血を吸いたいだけなんだ。血を吸ってりゃあ、静かなもんさ」
バイケンは悪寒に震えた。
てっきり、あれは罪人を憎むものと思っていた。
そうではない。ただ、餌を欲しがっているだけなのだ。拷問部屋は血を吸うために、拷問官に誘惑の言葉を投げかける。
悪党に鉄槌を下せと。
バイケンは震えを抑えるために、杯を重ねる。
先輩も通った道なのだろう。目の前の先輩だけではなく、そのずっと前の先輩たちも。
それは、ひどく恐ろしいことのように思えた。
◆
筆者の立ち会ったバイケンの拷問は、ひどく部屋を汚すものだった。
トリアナンのやり方を田舎臭いと思ったものだが、その裏にはそんな事情があったか。
バイケンにこの話を伺った折に、今の快活さをどこで手に入れたか問うてみた。
「最近、付き合ってくれる女の子が出来たんです。拷問官に出会いって貴重なんで、彼女に悪い印象も与えたくないでしをょう。だから、明るい感じにしてるんですよ」
それはそれで不気味がられると思うので、もっと自然体でいきなさいと助言しておいた。
◆
覚書を漁った甲斐はあった。
すっかりこのことを忘れていたからこそ、視点を変えることができたからだ。
自然に発生する不明な存在の話は帝都に多くもあった。
もっともらしい逸話がある観光名所から、来歴も何も無い意味すら不明のモノまで多岐に渡る。
場所が意志を持つという怪異の原因は、人にあるのだろう。
拷問部屋ではなく厩舎であったら、こんなものは存在しなかったはずだ。
人形の祠、シルセン子爵家、その二つだけではない。
ダリオの嘆き谷、この資源迷宮もまた怪奇な噂の尽きない場所である。
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