第13話 ミス・ステラがシルセン子爵家の浄化を請け負った時の話 中編

「先にこの稼業を選んだ理由からお話ししましょう」

 ミス・ステラの話は彼女の幼少期にまで遡る。


 ◆


 子供のころ、生贄として捧げられたことがある。



 それは、ミス・ステラが言うには目を覚ました日であるそうだ。

 母は誰かのめかけだった。

 大層美しい母は、父親と呼んではいけないおじさんと週に何度か睦み合うことで御給金をもらう妾だった。

 トリアナンや帝都ではそんなもの珍しくもないが、山深い田舎のことである。

 歩くのも辛い日々だった。

 近所の悪餓鬼に裸に剥かれるのなどよくあることで、子供のころの悪ガキというのはどうしてか性器より尻を好む。

 股ぐらに爪を立てられ、悲鳴を上げたことは何度もある。

 そんな幼少時の苦い経験から、仕事で誰かを痛い目に合わせる時は、尻に棒を入れてやることにしている。

 とりたてて面白いものではないが、大の男もいいとこの御嬢さんも、ひいひいと泣くのが面白い。

「別に楽しいもんじゃないんだけど、どうにもやられっぱなしは性に合わなくて」

 拷問官崩れの男が言うには、二人いたら片方の尻に焼けた鉄を突っ込めば、無事な方はすぐに喋るようになるそうだ。

 じたばた暴れて、とんでもない死に方をすると。

 幸いなことに、それはまだやっていない。



 妾である母と共に住む家と村を追い出された。

 母は幸運な人で、すぐに旅商人の旦那様と知り合った。

 その人の家に招かれて、離れを与えられるのだとか。

 新しい家は寂れた海沿いの小さな漁村であった。

 その町でもいじめられるかと思ったけれど、子供たちはみんな親切にしてくれた。時にお菓子をくれたり、遊びでも一番いい役をさせてくれたり、なんていいところなんだという思いとは裏腹に、そこに陰があることには気づいていた。


 薄氷を踏むような幸せは、たやすく崩れる。


 思えば、あの時だな。

 あんなに世の中が憎くなったのは。


 母は旦那様、いや、父様に愛されて、美しくなっていく。

 自らにも様々なものが与えられたが、両親の瞳には罪悪感があったと、今となっては分かる。

 きっと、今は地獄か海の底で憎悪しているだろう。

 それを想像するだけで、口元に笑みが浮く。


 寂れた漁村では望むべくもない贅沢な暮らしは三月ほど続いた。

「今日はお祭りで、神様の花嫁の役をやるのよ」

 姫のように着飾った母と王のように堂々とした父、そして、奴隷のように目をギラギラさせた村民たちに輿に乗せられて、岬の洞窟に放り込まれた。


「夜の海ってのは、どれだけ波が穏やかでも不気味なものよ。波の音も、魚が水面を跳ねる音も、どれも薄気味悪い。あの洞窟も、そんな音でいっぱいだったわ」


 入口は鉄格子で塞がれて、槍で尻を突かれて弩まで飛んでくるものだから奥に行くしかない。

 松明だけは渡されていたので、奥に行くことはできた。


「名前を呼ばれてる気がしてねえ。他に行くアテもないし、行くしかない」


 馬鹿なことだけれど、他にどうしたらいいのか。


 裾を濡らす海水に足をとられながら、奥へと進む。

 どれだけ進んだだろうか、先には灯りがあった。

「かみさま……」

 金色の布に包まれた魚だか人だとか分からないもののミイラが、石造りの椅子に座らされていた。

 宝石のちりばめられた装飾品で飾り付けられたミイラは、壁に取り付けられたランプに煌々と照らし出されている。

 何よりも目を引いたのは、神様の座る椅子の下に並べられた子供の頭蓋骨だ。

 七つ、そこに小さな頭蓋骨が並べられている。


「ひひひ、来たね」

 しわがれた老婆がいた。

「お前は神様の花嫁にされたんだよ。もうここから出られないからね」

 泣いてみたが、頬を叩かれただけだ。

 老婆は神様の世話役だと言って、名前は名乗らなかった。そして、この洞窟で取れる蟹と海藻を煮たものを食わせてくれた。


「今だから分かるけど、あの鬼婆はアレなりにこの世との別離をさせようとしてたんだろうね。生贄にするってなら、殺しちまったらいいってのに」


 言葉遣いの荒い婆だったけれど、大人に本気で叩かれていたらあんなものじゃなかったはずだ。手加減していたのだ。


 洞窟での日々は単調だった。

 もう死ぬんだな、と納得していた。

 鬼婆は毎日子供の頭蓋骨を丁寧に磨く。

 時には涙して磨く。

 わたしもああなるのだ。


 眠る時はいつも、かみさまが見下ろす位置で毛布にくるまる。

 ミイラはその形を変えない。

 ただの置物だ。


 夢を見る。

 ここに来てからの夢は恐ろしくて、いつも起きた時には忘れている。でも、怖い夢を見ていたことは覚えている。

 内容は思い出せないけれど。


 その日は、鬼婆が蟹ではなくパンを食べさせてくれた。

 とうとう来たか。

 パンの日は死ぬ日だと、教えられた。

 おや、誰に教えられたのか。どうにも思い出せない。どうして知っているんだろう?


「ねえ、その子たちにもパンをあげたい」

 そう言うと、鬼婆は驚いた顔をした。

「勝手にしな」

 と、乱暴に言って、その顔に袖を当てて獣のように唸る。

 小さく千切ったパンを頭蓋骨に供える。

 ああ、泣いているのか。

 この婆は、子供を始末する時にいつも震えている。

 もう七度、わたしで八度目だというのに、まだ慣れないらしい。



 毛布でうなされているふりをする。

「ああ、婆様、怖いよ。あの子たちが来て、どこかへわたしを連れ出そうとするの」

 悪夢を見て跳ね起きたふりをする。

「夢じゃ。そんなものは夢じゃ」

「そうじゃないわ。だって、あの子たちったら、婆様が鉄の剣でわたしを殺すって言うんだもの」

 鬼婆が息をのむ。

「そ、そんなことはしないよ」

「でも、婆様の隣にいるおさげの子はそうされたって」

「ひいっ」

 石をつかんで、婆の膝に思いきり打ちつける。

 転んだ婆の顔面に石を振り下ろした。

 鬼婆が動かなくなるまで、石を叩きつける。


 全部が終わってかみさまを見やる。

 何も言わないし、動きもしない。

「お前なんか嫌いだ」

 火を点けて逃げた。


 食べ物と水を洞窟に押し込む際に使われる横穴は、子供の身体でなら通り抜けることができた。

 かみさまの装飾品をくすねて、漁村から逃げ出す。

 奇跡的に、漁村の追手は彼女を見つけられなかった。


「不思議なことだけど、あの時、わたしは友達が七人いた気がするのよ。いつの間にか、消えてしまったんだけどね……」


 大人になってから、あの漁村は津波で滅びたと知った。

 いつか復讐してやろうと思っていたというのに、悔しいことだ。



 ◆


 法務官としては聞きたくない話である。

 生贄なんぞをやる村というのは、今でも田舎では珍しくない。

 見つけた場合は、村長を縛り首にして邪宗の痕跡は燃やし尽くすのだ。

 五年ほど前に帝都とトリアナンを結ぶ交易路、その支流に巣食っていた旅人を襲って食っていた一族もまた邪宗の信者であった。

 このような野蛮の文化は焼き捨てねばならない。

「……そうか」

「法務官殿を責めている訳ではありませんよ」

 清々しい朝日を浴びているというのに、陰鬱な空気が漂った。

「それからは、なんとか上手く生きていくのに必死でしたわ」

 ミス・ステラと共に庭に出て、庭を見渡せるテラスに座る。

 朝も早いというのに使用人が冷えた水を持ってきてくれた。

 朝の空気は冷たく張りつめているが、太陽のおかげで今日も蒸し暑くなるだろう。

 庭には色とりどりの花が咲き乱れていた。

 カトレヤの花は好きではない。

「それで、詐欺師になったということかな」

「ふふ、詐欺だけじゃないわ」

 おや、腕も立ちそうだな。

 筆者は産まれてこの方、剣など握って上手くいった試しが無い。

「で、話の続きは?」

「ベイル・マーカス、あなたってヘンだわ」

「よく言われるよ」

 気安くなったが、どうにも怖い女で辟易する。



 ◆


 シルセン子爵家の屋敷は、異様な改築がなされているだけの空家だ。

 霊媒師という設定は、詐術を使う者からすれば子供だましと軽んじられるものである。

 帝都で大きすぎる仕事をした後だ。チンケな女雲助とでも思われるのは都合が良い。

 そんな、打算めいた考えの仕事だった。



 シルセン子爵邸宅は、無意味なドアや妙な隠し部屋が混沌と溢れている。

 心を病んだ者の美学というのは、不気味に見えるがそれだけだ。意味などどこにもない。

「大工が逃げた、ね」

 噂話を恐れた大工たちが逃げ出して解体もままならないというが、それらも幽霊屋敷というものにはよくある話だ。

 十日も過ごして、適当な儀式でもやれば大工たちも仕事をするだろう。

 長い廊下を歩いていると、飾られた妙な絵や不気味な像に不快感を覚えるか、こんなものは虚仮威しだ。

「陰気な屋敷ね」

 あの洞窟を思い出して、小さく笑う。

 ミス・ステラは不意に振り向いた。

 目の端に何かが横切ったのが見えたのだ。

「なにっ」

 振り返れば、誰もいない。長い廊下にあるドアの一つが開いていた。

 そっと覗けば、それは壁に取り付けられただけの無意味なドアだった。

「まったく、どうかしてるわ」

 子供が走ったように見えたのは気のせいだ。



 使用人を雇おうとギルドに行くと、すげなく断られた。

 仕方なく渡世人を頼ってみたが、物乞いの爺に食べ物を運ばせるのが限界だった。

「あんた、あの屋敷はやめときな。この街じゃあ、あそこはよくねえんだ」

 恐ろしげな髭面の男が深刻に言うものだから、つい笑ってしまった。

 怒らせたかと思ったが、男はやれやれと首を振って押し黙る。他の渡世人たちも、彼女を見て見ぬふりをした。

 なんとも不気味な気がして、渡世人たちのたまり場を逃げるようにして後にした。



 仕方なく、自分で料理をして食べる。

 厨房はよく片付いていて、ここで人をバラしたのだと気づいたけど気にせず包丁を振るった。

 人など死ねば肉になるだけ。

 子供のころからよく知っている。


 特に怪しいことは起こらず、客間の寝台で眠る。


 夢を見る。


「ここは危ないよ」

 ああ、みんながいる。

 どうして、ただ人がいないだけの屋敷よ。

「逃げよう」

「逃げよう」

「逃げよう」

「逃げよう」

「逃げよう」

「逃げよう」

「逃げよう」


 あの時みたいに逃げる必要はないわ。

 だって、ここにはあのかみさまはいないのだから


「怖いものがいるよ。はやく、にげて……そうしないと、かみさまがくるよ」



 目を覚ますと、ひどく汗をかいていた。

 悪夢か。

 懐かしい悪夢を見た。

 井戸に行って、冷たい水を飲む。

 口の中に違和感があって、吐きだすと薄く輝くものが吐きだされる。

「なんで、鱗が……」

 大きな魚、海沿いの街で食した鯛についていたような大きな鱗があった。

 誰かが井戸の中に捨てたのか。

 見てみたが、暗い井戸の奥底で水面が揺れているだけだ。



 昼が近づき、食物を運び込んできた老爺に銅貨を渡してやる。

「御嬢さん、悪いことは言わねえから、ここはやめといた方がいい」

「余計なお世話よ」

 老人はきょろきょろと辺りを見回して、誰もいないのを確かめている。

「空家になってから、盗みに入った連中はバケモノを見て逃げ帰った。その後で、みんなおかしくなっちまってる。他にも、屋根に訳の分からねえもんがいるとか、生首が門にくくりつけられてるのを見たとか。とにかく普通じゃねえよ」

「ふん、誰かの流した噂でしょ」

 突然、肩をつかまれた。老人とは思えない力だ。

「忠告してやってるんだ。こんなとこは人のいる所じゃねえ。朽ちるまで放っておくしかねえんだ。いいか、忠告したぞ」

 老人はそのまま背を向けて、呼びかけても振り返らなかった。



 シルセン子爵家の庭は、人が入らなくなってから荒れ放題だ。

 そこかしこに積まれた観賞用の巨石も、今となっては薄気味悪い景観に一役買うだけである。

 庭を見て回れば、邸宅の庭には大きすぎる池に辿り付く。

「水は、腐ってないのね」

 どこから水を引いているものか、水自体は腐っていない。

 水音がして、見やれば魚が跳ねている。

 嫌な風景だ。どうしても、子供のころに見た海を思い出す。

 魚を狙ったものか、空を飛ぶ鳥が水面に近づく。

 水面に飛び込む直前に動きを止めて、水に落ちた。それは潜ったのではない、不自然に落ちて、沈んでいく。

「なに、それ」

 視線を感じて振り向けば、池の淵から頭だけを突きだしている母がいた。

 名前を呼ばれる。

 ミス・ステラではない。捨てた名前で呼ばれる。

 後ずさりながらも、母の顔から目を離せない。

 どうして。

 ここは海の無いトリアナンなのに。

 母の顔に表情は無い。ただ、死人の色をしている。

「ごめんなさい。お母さん、許して」

 母が口を開けば、その口からは蟹が。

 カチカチと音がする。

 歯の根が合わぬ自らの口から発せられるものと気づくのに、しばしの時間を要した。

 袖を引かれて、はっとして見やれば、そこには幼い少女がいる。

「おねえさんは、お母さん?」

 顔を上げた少女の口は耳まで裂けていて、子供特有の小さくて丸みのある歯がびっしりと生え揃っていた。


 どこをどうしたかは分からないけれど、気が付いたら屋敷の厨房で包丁を振っていた。

 野菜を細切れにしている時に我に返る。

「わたし、疲れてるんだわ」

 少しだけパンを食べて、ワインを飲んで眠った。



「あいつが来るよ」

「水を通じて、来るよ」

「逃げないと」

「逃げないと」

「今度は捕まってしまうよ」

「他にも怖いのがいるよ」

「はやく、にげて」



 トリアナンでの初仕事を失敗する訳にはいかない。

 老人に運ばせていた食べ物に薬が仕掛けられていたのかもしれない。それか、魔法使いの仕掛けた隠し魔法陣で混沌の魔術でも受けているのか。

 翌日から、屋敷の中をひっくり返すように探索を始めた。


 蜘蛛の巣にはまる。

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