第11話 ベイル・マーカスが二等法務官であったころの話 後編
降霊会という言葉は知っていた。
曰く、霊媒師を主軸にして霊を呼び出す。
深夜に貴族や商人の邸宅で行われる、一種の秘密めいたパーティーの余興である。
兄がそんなものを本気で行うことに反対したのは筆者だけである。
余興で兄が慰められるなら、反対はしない。マーカス家のほとんどがそう思って反対しなかったのだろう。
黄泉歩きのガラルと共に、あの小路に入ったから分かる。
あれが魔や幽霊というものなのか、断じられない。
毬は見間違いで、ただのイカレた老婆を見ただけかもしれない。
冷静に考えれば、ガラルという男の詐術に引っかかってしまっただけのように思える。
法務官という職業上、あんなものを認める訳にはいかない。
どのようなものにしろ、本能的な警告とでも呼ぶべきものがあった。
◆
降霊会は新月の真夜中に行われた。
場所はグラン・マーカスの邸宅である。
参加者は身内と、兄の同僚の騎士たちの総勢七名。
この当時、両親は鬼籍に入っていたため、マーカス家の中核が集うこととなった。
窓を閉め切り、灯りは燭台に挿した三本の蝋燭のみ。
姪レリアの好きだったお菓子、ぬいぐるみ、頭からつま先までのお洋服を用意する。
「義姉上、いらっしゃったのですか」
用意されたテーブルの上にレリアの洋服を並べている義姉は、声をかけた筆者に向き直った。
「お久しぶりです、ベイル様」
化粧で誤魔化していたが、右の頬に打擲の痕がある。兄としては手加減したものなのだろう。本気なら義姉の白くて細い首は折れていたはずだ。
「義姉上のお体に障ります。今日は休まれては?」
「いえ、レリアのことですから……」
「このように言いたくはありませんが、レリアは」
「分かっています」
義姉は自嘲的に笑んだ。
「ベイル様、大丈夫です。ケビン坊やも預けてきましたから、何が起きても大丈夫です」
ケビンとは五つになる甥だ。
義姉は儚げな笑みをみせた。
「男子はいるのです。ケビンがいてくれるなら、マーカス家には何の問題もありません」
「ええ、そのとおりです」
家の存続という意味で、兄に不安は無い。
もしものことがあればケビンがいる。そして、最悪の場合は筆者がいる。世襲騎士の家は相続争いが起きるものだが、筆者にそんな野心は無い。さらにいうなら、世襲騎士など真っ平御免だ。
「ベイル、お前はこっちに座れ」
グランの
「義姉上、ではまた」
グランは嫉妬深い男だ。手に入らないもの全てを憎むような心を大人になった今も残している。
義姉との結婚後、グランは筆者を義姉に極力合わせないようにしている。
美しいお方だと思うが、兄嫁に手を出すなど馬鹿なことをするつもりは無い。
グランは隣の椅子に目をやり、座れと示してくる。
気が重いが、座らざるを得ない。
「あれと何を話していた」
「挨拶ですよ、兄上。そんなことよりも、やめた方がいい」
「はっ、お前が幽霊なぞを信じるのか、法務官殿」
二等法務官は騎士より上の権限を持つ場面が多い。特に刑事事件について。
騎士からすれば目障りな役人と見られるのも仕方のないことだ。
「どうにも、あのガラルという男は」
どう言おうか逡巡した時、ドアがきぃと音を立てて開かれた。
不吉な仮面にローブを着た黄泉歩きのガラルである。
「皆様にお集まり頂き、恐悦至極。今宵、霊媒の真似事をさせて頂く黄泉歩きのガラルと申します。お見知りおきを」
ガラルの異相に、参加者は言葉を失う。
非人間的な歩き方は、まるで彷徨い出た悪魔のようであった。
「皆、席についてくれ。ガラルよ、始めよ」
グランは口上もなく降霊会を急かした。
ガラルは集められたレリアの遺品、冷たいようだがもはや生存は絶望的なレリアの遺品を前に、何かを確認しているようだった。
詐術めいたことをしないか見極めるのが、法務官として、そして、マーカス家のためにできることである。
「皆様、レリア様を呼んでみますが、私にもレリア様が生きていらっしゃるものか判別できません。先に申し上げておきますが、ロクなことにはなりませんが、よろしいか?」
十人近い騎士を前にして平然と言い放つ。
グラン配下の騎士たちが殺気立つが、それを抑えたのはグランだ。
「かまわん、レリアを見せてくれ」
愚かなことをしていると、誰しもが思っている。
「では、始めましょう。お約束して下さい。口を開いてはなりません。不安を感じたら目を瞑ることです」
ガラルは言うと、異国の言葉で何かの詠唱を始めた。
持ち込んできた魔力振動発動検知石に反応はない。魔法を使っている様子はないようだ。
「ふるべゆらゆらふるべゆらゆらと」
意味の解らない言葉だ。
霊媒の使う大仰な儀式と同じく、無意味な恐怖感を煽るものだろう。
燭台の蝋燭のうち一本が、不自然にゆらめいた。
押し黙って、奇怪な男の異常な儀式を見守る。
部屋に軋む音が鳴り始めた。
騎士たちの動揺の気配がする。しかし、あれは関節を鳴らしているだけだろう。ローブ姿は便利だ。
馬鹿らしい。
子供だましの詐術だ。
「やめさせろ」
耳元で囁かれた。
兄かと思って見るが、グランは食い入るようにガラルを見つめているだけだ。
今のは、忘れもしない声。亡き父の声であった。
そんなことがあるはずない。
一本目の蝋燭が消えた。
闇の濃くなった部屋に、何かの気配を感じる。
ずるずると引きずるような足音がする。
詐術だ。
これだけ暗ければなんでもできる。
兄を挟んで座る義姉は、青褪めていた。何かを見ているのかもしれない。
二本目の蝋燭が消える。
「レリア様、レリア様、お服を用意しましたぞ。あちらは寒かろうに、ささ、服を着られませい」
ガラルの声がして、テーブルにあった洋服が立ち上がる。
透明な子どもが服を着ているように、服だけが暗闇に浮かび上がった。
「レリアっ」
グランは叫んで立ち上がった。
こんなものは詐術だ。
分かっているのに、静止するための声を出せない。
先ほどから臭う白粉と老人の臭いはなんだ。
「さあ、レリア様、父上と母上に伝えなされ」
立ち上がった服が一歩一歩近づいてくる。
透明な子供。
「レリアっ、どこにいるんだ。さあ、生きているなら、生きているなら」
兄の悲鳴のような声。
最後の蝋燭が消える。
未だにガラルの詐術であったか、それとも真実であったものか、筆者には判断できないでいる。
暗闇の中に、青白いレリアがいた。
グランに向かって歩み、止まる。
レリアは、義姉を指差した。
義姉は無表情、グランの表情は色んな感情が混ざり過ぎていて、発狂する寸前の顔であるとしか表現できない。
『きいいいいいいい』
無理に表現するなら、そんな悲鳴がレリアらしきものから響き渡った。実際には、それは悲鳴というより音である。鉄を擦りあわせる音にも聞こえたし、人の悲鳴にも、笑い声にも聞こえた。
ぱさりと、服は地に落ちた。
誰もが、言葉を失くして椅子から動けない。
グランだけが、足元に落ちたレリアの服を見つめている。
灯りが点いた。
ガラルが消えた蝋燭に灯りをつけていたのだ。
「降霊会はこれにてお開きでございます」
グランは、足元にあるレリアの服を抱きしめて咽ぶ。
異常な臭気がして、兄を見た。
レリアの服は、スライムにも似た粘液がまとわりついていて、それはなんとも言えない異常な悪臭を放っている。そして、その粘液の中にはカトレヤの花びらがあった。
兄は虚ろな目で立ち上がった。
誰も声をかけることが出来ない。
グランは腰に佩いた剣を抜き放った。あまりにも、ごく普通のように抜くので、何が起きているか分からなかった。
ゆらりと体の向きを変えて、義姉に剣を向ける。
「兄上を止めろっ」
叫ぶが遅かった。
剣の切っ先が義姉上の白いうなじに振り下ろされる。
「だから言うたでしょう。ロクなことにならない、と」
兄の剣を止めたのは、ガラルであった。
騎士剣を短剣一本で止めて、押し返す。グランは剣を手放して、尻もちをついて、そのまま座り込んでしまった。
「兄はお疲れだっ。皆、他言無用に願う。私は義姉を連れていく。頼むぞ」
騎士たちから反対の声は無い。
義姉の手を取って、部屋から出る。
「義姉上、ご実家まで送らせて頂く。兄のことは後ほど話し合いましょう」
白く、柔らかな手だ。二児の母だというのに手弱女の手であった。
「あの子がカトレヤが好きっていうから」
「義姉上?」
義姉の目は、どこも見ていない。
「あの子を実家に連れていったの。そうしたら、カトレヤをわたしのカトレヤが欲しいって言うから。あの御庭は、わたしのものなのに」
「今から義姉上のご実家へ走る。ガラルっ、いるなら仕事だ。馬車の手配と護衛を頼みたい。金貨で払う」
「ほほほ、よろしいでしょう」
マーカス家にはいられない。
ガラルの案内で深夜にも関わらず信用のおける馬車を手配できた。
四人乗りの貴族用箱馬車に乗り込み、義姉に気付けの火酒を飲ませる。
義姉は俯いて、時折「カトレヤが」と呟くだけだ。
「ガラル、あれはなんだ」
「さて、あの世とこの世の狭間から呼んだのですが、ああなっては生きた人間とも死人とも言えないでしょうな」
ガラルの馬鹿にするような言い方が癪に障る。
「お前の詐術だっ。あんなことが、あるはずないっ」
お願いだから詐術と言ってくれ。
「法務官殿はもうお分かりではないのですか?」
言葉に詰まる。
「あの子がいけないのよ、あの子が」
義姉はそんなことを呟いていた。
ロクなことにならない。
正しく、その通りの結果であった。
◆
ミス・ステラは聞き終えると、美味そうにワインを口にする。
一人で一本空けてしまうのではないかという勢いだ。
「興味深いお話でしたけど、降霊会はきっかけに過ぎないのでしょう。まだ、何かありますわね?」
タルトを口に運ぶと、甘い。
甘いものは好きだ。だけど、どうしてもこの匂いが気になる。
「後で確認しましたけど、降霊会で用意したお菓子はどろどろに腐っていて、服についていた粘液の正体も不明です」
「どうして隠すのですか」
穏やかな声音だが、ミス・ステラは苛立っているようだ。
「勿体ぶってみたんですよ」
「あなたのジョーク、気に入らないわ」
「これは失礼。あれから、マーカス家ではレリアの幽霊が度々現れるようになり、義姉は心を病んで実家に帰されました。兄は、レリアが帰ってきたと周りに言い出しまして、しばらくは近衛を続けたのですが、妙な言動が多くなり
あの時期は、今でも嘘のように不気味な日々だった。
「ろくなことにはならなかった?」
「それからしばらくして屋敷に火を放って兄は自殺しました。仕方なく私が世襲騎士爵を引継いでいます。ケビン、甥のケビンが成人すれば騎士爵は渡すつもりですよ」
「……お義姉様はどうしたのかしら」
「ご実家で、兄とレリアの菩提を弔っていらっしゃいます」
トリアナンへ左遷される前にも会った。
義姉は相変わらず美しいままで、カトレヤの庭の手入れをしていた。
カトレヤの花に囲まれた白い肌が目に焼き付いている。
「そこにも話があるんでしょう」
「ええ、ありますよ。ですが、そろそろ時間のようです。続きはまたの機会に致しましょう」
「嫌な男ね、あなたって」
「よく言われます」
二度目の降霊会が始まる。
◆
兄の死から、筆者は死後の世界や幽界について、並々ならぬ情熱と憧れを抱くようになった。
教会の説法や神学書、さらに霊媒や拝み屋というものに話を聞くなどして幽界というものへの理解を深めるつもりだったが、その目論みは破綻している。
書物にあるものは宗教組織にとってのお題目であり、宗教の歴史を紐解き信仰の変遷などを理解するには良いが、それは死後や魂とは何の関係も無い。
霊媒師というのも、亡者の声を届けるという芝居を行う者でしかない。下手な芝居でも、それにより慰められることで前を向ける。ただ、それだけだ。
法務官という職業上、ごまかしや嘘などには敏感だ。特に、騎士家ということで選んだ刑事法務官としての経験が、どうしてもそれらの嘘とごまかしに反応する。
結果として、筆者は人の出会った怪異を蒐集することで、その中から死後や幽界といったものの姿を見極めるという方法を選んだ。
怪異に遭遇した者のほとんどは、それがいかに異常なことか気づいていない。
これは帝都で川漁師をしている男から聞いた話だ。
網に水死体がかかった。
漁師にとっては珍しいことではない。水死体は陸に上げて埋葬する決まりだ。
陸にあげようとしたところ、目が動く。腐っているため虫でも入り込んだのかと思ったが、どうにも違和感がある。
赤ん坊の声が死体の腹から聞こえてきたが、腐乱してはち切れんばかりに膨れている有様では、腹の赤子だけは生きていたなんてことは有り得ない。
なんぞ悪いものが入っていやがるな。
そう思った川漁師は、身に着けていた教会のお守りを水死体に近づける。すると、すうと水死体は川の流れに逆らって、上流へ登りながら潜っていき姿を消した。
後に、川漁師の先達である古老に話をしたところ、それは川に住む魔の類で、陸に引き上げてしまうと、水死体の腹の中にいる魔が抜け出して人に入るのだとか。
川漁師は身重の妻がいたため狙われたのであろう。
『そんなことがあって、あれは薄気味悪かったよ』
当の本人である川漁師は、のほほんとそう語った。
筆者には恐ろしく感じる話なのだが、彼らにとっては『薄気味悪い』その程度でしかない。
そんな体験談である怪談奇談の中にこそ、死後と幽界の秘密が隠されている。
人形の祠についての調査で伺った体験者のほとんどは、怪異を深刻に受け止めている。
呪いや祟り、因果めいたものが強く結びついている怪異だからこその結果ではないかと筆者は考えている。
トリアナンに根付いてしまった人形の祠についての怪異には、一つの方向性があるようだ。
様々な方から伺った体験談を、筆者が関連付けして順番に記載している。
この関連付けは、筆者の主観によるものであることを明記しておく。
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