第10話 ベイル・マーカスが二等法務官であったころの話 前編
法務官になったのは十八年前のことだ。
三等法務官は家柄や縁故で取得できる法務官資格だが、二等からは家格や爵位は度外視される。そして、異常なまでに難しい試験に合格せねばならない。
筆者ことベイル・マーカスは幸運にも、五年前に二度目の試験で一等法務官試験に合格することができた。
法務官の仕事を簡単に説明しよう。
三等法務官は徴税書や婚姻許状などの専門的な書類を作成することだけが許されており、書類屋と蔑まれる下級役人である。
二等法務官になるとがらりとその形態が変わる。
裁判法務官、徴税法務官、刑事法務官、調停法務官など各々が適性により業務を選ぶことになるのだ。
大きな権力を持つように見えるが、二等法務官では扱えない種類の案件が数多い。
例えば、貴族同士の決闘や、男爵家以上の税務査察に口出しできない。
一等法務官は皇室を除く全ての貴族家に立ち入る権利と調停における決定権を持ち、徴税長官の決定に対して停止命令を持つ。
さらに、大貴族同士の裁判の際に弁護人として立つ権利と義務を有し、皇帝陛下が議長を務める裁判で直言が許される。
ミス・ステラとの食事は寒々しいもので、露骨に品定めをされる会話に終始した。
筆者は舐められるのが嫌いである。
二人には長くて大きすぎるテーブルの味気ない食事も、デザートを残すのみとなった。
「降霊会ということですが、何を呼ぶのですか?」
問うてみれば、包帯の君は口元を笑みに変えた。
「……とあるご婦人の、亡くされたお子を喚起するのです」
ミス・ステラは喚起と言った。
なるほど、これは本物だ。
英雄譚の召喚魔法のイメージから、幽界から魂を呼ぶ時にも『召喚』という言葉を使う者が多いが、本来は喚起が正しい。
「本物ですか?」
「それは受け取り方次第ですわ」
インチキ霊媒がよく使う口上だ。しかし、それは正しい。霊媒などというのは、本来は傷ついた心を癒すための芝居なのだ。
「先ほどの小人のお話のお礼に、私も話をしましょう。耳講奇譚集にも入れられなかった話です。降霊会に絡むことですよ」
「……よくない話のようですわね」
「やめておきますか?」
「まさか」
デザートのタルトが運ばれてきて、甘い香りに咽そうになった。
以下は筆者の亡き兄、グラン・マーカスの身に起きた出来事を小説として纏めたものである。
マーカス家の恥であるため、他言無用に願う。
◆
八年ほど前のことである。
世襲騎士グラン・マーカスは帝都で近衛騎士に抜擢されると同時に結婚した。
槍を遣わせれば当代随一。逞しく精悍な面構えの若武者の結婚は、帝都の小娘たちに悲嘆の涙を落とさせたとか。
将来は近衛長官とも噂されるグラン・マーカスは結婚後も順風満帆。
男子と娘を授かり、幸せに暮らしていた。
帝都の天道教会大聖堂へ赴き、娘の長生栄達を祈願した帰りに事件は起きた。
護衛に騎士と兵士がついていたというのに、娘が消えた。
教会の聖堂前で上役と鉢合わせて挨拶をして目を離した隙に、走りだして角を曲がると消えてしまったのだ。
以後、どれだけ手を尽くしても娘は見つからなかった。
兄であるグランに呼び出された筆者は、ガレットを手土産に兄の邸宅へとたどり着いていた。
姪のレリアが神隠しにあってからというもの、邸宅は暗い影に覆われている。
兄は昼間から酒を飲んでいた。
「来たか」
「兄上、酒は控えたほうがよろしい」
グランは鼻で嗤うと、絨毯に唾を吐いた。
異母兄弟であるため、筆者とグランの顔は似ていない。ベイル・マーカスは父に似ていて、さらに祖父と瓜二つの父親似で、グランは母親似の美形だ。
「余計なお世話だな、ベイル。それはそうと、一等法務官の試験は諦めたのか?」
嫌味な物言いだ。
兄は腕っぷしで近衛騎士となった武闘派だ。生き方が違いすぎる。
「今のところは、二等法務官の職務に専念するつもりです」
「小賢しい言い方をするものだな」
「兄上、嫌味を言いに呼んだ訳ではありますまい」
昔から、兄弟仲はよくない。
兄は父に似ていないため、種を疑われたことがある。祖父は筆者を可愛がったが、兄のことを嫌っていて、父は兄を愛していたけれど、どこかに不義の疑念があったのだろう。
マーカス家の親子関係は、そんな冷たい空々しさを含んだものだった。
「はっ、弁が立つようになったな。今日は……俺の娘、レリアのことだ」
「……」
何を言っても角が立つ。
「私も人浚いの事件を調べていますが」
なんとか、そんな言葉を絞り出した。
レリアが消えて三か月、犯人からは何の音沙汰も無かった。
もう生きてはいまい。
利害のある人攫いであるなら、何らかの意図を知らせてくる。それが無いとしたら、想像もしたくない悪意に襲われたか、それこそ神隠しに遭ったと考える他に無い。
「お前が役に立つとは思っておらん」
「申し訳ございません」
マーカス家の当主である兄に頭を下げるのは当然のことだ。
「そんなお前でも役立つことがある。腕利きの冒険者を雇った。そいつの手伝いをしてやれ。仕事は休めるように手を回してある」
「兄上、冒険者など、あれこそ与太者ですよ」
グランの顔に鬼相が浮かぶ。
「法務官っ、お前はそれにも劣るぞっ」
憎しみの声。
どこにでもある確執は、もはや憎悪する間柄へと変わっている。
「分かりました。義姉上はどうされているのですか」
「アレは実家に帰した」
筆者は眉を顰めた。
騎士家の当主がやるには不味い行いだ。それに噂だけだが、義姉上の顔には打擲の痕があったとか。
「お前には関係ないことだ。さっさと行け」
「失礼致します」
子供のいない筆者には、兄の苦しみは理解できない。苦しいことは分かるが、それがどれほどのものかは分からないのだ。
ギルドで面会した冒険者は妙な風体の男だった。
一つ目の紋様を刻んだ仮面で顔を隠し、頭から全身を覆う黒地に赤い紋様の入ったローブを着ている。
大仰な格好でハッタリを利かせる手合いは一定数いるものだが、これはちとやり過ぎだ。
「黄泉歩きのガラルと申します」
昼日中に出会うにしては、些か奇妙すぎる男だ。
「二等法務官のベイル・マーカスだ。……お前の手助けをしろと言われているが」
ガラルという男の名前は記憶にあった。
幾つかの重要事件の容疑者である危険人物で、相当の変わり者と聞いている。
「ほほほ、何も知らされていないということですな。法務官殿、御約束したモノはお持ち頂けましたか?」
兄上の邸宅で家令から預かったものがある。
レリアのお気に入りであったというユニコーンのぬいぐるみと、櫛だ。
「ああ、ここにあるが」
書類鞄に入れてある。
「お櫛を拝借致します」
ガラルは櫛を受け取って絡まっていた髪を取ると、これまた手袋をつけた小指に巻きつけた。
後年になっても、ガラルの行った奇術のタネは見つからず仕舞であることを先に申し上げておく。
小指に巻きつけられたレリアの髪の先端が、ぴくりと上を向いた。それは、蛇が鎌首を持ち上げるようで、なんとも不気味でありながら不思議な光景である。
「行きましょうか」
「わ、分かった」
法務官としては見逃すことの出来ないことなのだが、それを言うことさえ憚られた。畏怖を覚えていたのだ。
帝都を歩く。
ガラルは小指に巻きつけた髪が指す方向に歩む。
姿勢はゆっくりと歩くようなのに、いやに足が早いため追うのが一苦労だ。
帝都は歴史ある街だ。
古い区画に行けば行くほど狭く細い道が続く。
「こっちか」
ガラルは小指にそう囁いた。
「少し、待て」
後を追う筆者はそう言った。
「待つと声が聞こえなくなりますぞ」
男二人の奇妙な追いかけっこだ。
書類仕事ばかりでなまった身体に、競歩じみた速さで歩くガラルに続くのはきつい。
頭から汗を流してガラルを追った。
どこをどう歩いたかは分からないが、気が付くと見知らぬ小路に入っていた。
両隣を生垣が囲む古い住宅街の路地である。
前を行っていたガラルがぴたりと立ち止まった。
「しまった。誘い込まれたか」
「おい、何を言ってる」
「ベイル・マーカスと言いましたね。いいですか、これから一言も言葉を発さず、何があっても歩く以外のことをしないで下さい」
「どういうことだ」
「消えたくなければ、言うとおりに」
ガラルは歩く速度を落として、ゆっくりと道の真ん中を歩く。
筆者は乱れた息もそのままに、後に続いた。
さんさんと輝く太陽に照らされたガラルは、昼間に迷い出た悪魔のようだ。中身はただの中年男なのだろうけれど。
自分の発想に笑いそうになる。
ぽーんと丸いものが目に飛び込んできた。
生垣から、毬が飛んできたのだ。
子供が庭で遊んでいたのだろう。
「おじさーん、取って」
幼い女の子の声だ。
声の方向を見やれば、誰もいない。
はて、なんだろうか。
毬を取ろうとすると、ひとりでに前に転がっていく。
転がる方向は目の前の三叉路で、ガラルは真っ直ぐに歩いていて、毬は左の道へ。
「おじさーん、取って、取って」
また声が。
生垣の向こうを見やれば、大きな姿が。
驚きすぎると声が出なくなる。
「おじさーん、遊ぼうよ」
枯れ木のような身体の白髪の老婆が、幼い子供の声を出して、棒立ちしていた。
「おじさーん、取って、取ってってば」
老婆はだらしなく肩をはだけさせていて、皺がれて垂れた乳房が露出していた。そんな姿で、背筋をピンと伸ばして直立している。微動だにしない。
「おじさーん。おじさーん。おじさーん」
子供の声で叫ぶ。
白濁した瞳は筆者に向けられていた。
風が吹くと、老人特有の臭いと白粉の混ざった臭いが鼻に突き刺さる。
「ひっ」
小さく悲鳴を上げると、老婆は四つん這いになって首をかしげた。
「おじさーん」
走った。
ガラルの背は遠ざかっている。
子供のころ、兄と追いかけっこをした時のように走った。
あのころは罪がなかったな、そんな妙なことを思う。
後ろからは奇妙な足音。きっと、老婆が蜘蛛の姿勢で追ってきているのだ。
振り返る勇気は無い。
どれだけ走っただろう。
ガラルに追いつけば、聖堂前の大通りに出ていた。
「おいっ、ガラルっ、あれは、あれはなんだっ」
見慣れた景色と人波。
背後を振り返れば、何も無い。走ったはずの道すら無く、建物の壁がある。
「ほほ、よかったですな。あそこに取り残されていたら、アレの仲間入りでしたよ」
仮面の男は嗤う。
「なんだったんだ、さっきのは」
「……魔物、幽霊、怪物、なんでもよろしいがそういうものです」
「モンスターかっ」
「ほほほ、モンスターは害獣のようなもの。あれはあの世とこの世の狭間にあるものです。レリアお嬢様を追っていたつもりですが、あれに繋がっていたということは、あまり良い話ではありませんなあ」
言葉を失った。
怪談の類など、無知蒙昧から生ずる迷いに過ぎないはずだ。
「しかし、よくもまあ声を上げなかったものです。最初にあの化物め、子供の頭を投げたでしょう。あれには私も驚いて、笑いそうになったというのに」
「あたま?」
毬ではないのか。
思い返してみたら、あれは毬ではない。子供の、ニコニコと笑う幼児の頭だった。それなのに、当然のことのように毬だと思っていた。
「訳が分からん……」
「法務官殿、レリア様をまともな姿で呼び戻すのは不可能です。会いたいというのなら、外法を用いますが後悔することになると、マーカス様にお伝え下さい」
ガラルは言うと、雑踏に消えていく。
筆者には、その後ろ姿を見つめることしかできなかった。
昼日中に迷い出た悪魔のような男である。
グラン・マーカスは黄泉歩きのガラルの伝言に対して、外法でもなんでもいいと答えた。
こうして、降霊会が開かれることになった。
そこで筆者は、生涯忘れることの無い奇怪な光景を目の当たりにすることとなる。
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