第9話 神秘学者ミス・ステラに庭先で聞いた話

 ラシャンテ男爵邸宅は貴族街ではなく、教会関係者の多く住まう地域にある。

 トリアナンのラシャンテ男爵家は分家だ。

 本家は帝都にあり、熱心な天道教会信者であることがよく知られていた。

 法服貴族としては最高位の役職である寺社取締方についており、宗教と関わりの深い家である。




 夕暮れ時というのは、魔の世界と重なる一瞬なのだとか。

 赤光の射し込む庭園で、ミス・ステラは花を、カトレヤの花を見つめていた。

 そのような雅に詳しくない筆者でも名前を知る花、大きなカトレヤの花を見下ろしている。

「ミス・ステラ」

 初対面だが、間違いようの無い特徴がある。

 声をかけると、花を見つめたままのミス・ステラは片手を突きだして筆者の接近を咎める。その視線は変わらずカトレヤの花弁にあった。

 何か見えるのだろうか。

 筆者も懐の人形が動かないかと期待しながらカトレヤの花を見つめてみたが、ただの花にしか見えない。

 ミス・ステラには妖精でも見えているのだろうか。

 彼女は三十代半ばの女性だと聞き及んでいる。正確なところは分からない。

 帝都で大きな火傷だか怪我だかをしたとかで、皮膚の見えるところ、その全てに包帯を巻いている女性である。

 筆者より頭一つ高い長身で、艶やかなプラチナプロンドの髪だけは健康的だった。

「よくいらっしゃいました。ステラ・リュリュ・パシナウと申します」

「一等法務官ベイル・マーカスと申します」

 挨拶ともいえない挨拶である。

 互いに貴種だというのに、平民のそれより素っ気ない。

 赤光に照らし出されたカトレヤの花は、どこか毒々しく見える。

「何が、見えるのですか」

「わたくしは、霊視や幻視の類はできません。先日、ご相談にいらっしゃった婦人には、花に潜りこんで蜜を吸う小人が見えるとか」

「それはまた、夢がありますね」

 筆者は苦笑した。

 小人というのは平民からすれば悪しき兆しとされているが、貴族からすれば童話集から抜け出した愛らしきものとされる。

 民俗学者に色々と話を伺ったこともあるが、難しくて筆者には理解できなかった。

耳講奇譚集じこうきたんしゅうでは、小さな中年男と題されておりましたね。マーカス先生」

 どきりとした。

 帝都の怪談奇談を集め、後宮の話を載せたことから発禁処分となった自著が耳講奇譚集である。

 筆者としては聞いたそのままを記したというのに、あわや不敬罪かという大事になってしまった。

 弁明に釈明に様々な伝手を使って、なんとか首の皮はつながり、結果がトリアナンへの左遷である。

「先生はよして下さい。焚書を逃れた一冊をミス・ステラが持っていらっしゃるとは驚きです」

 本に至っては焚書された。そういう謂れもあり、高値で好事家が取引していることは筆者も知るところだ。

「金貨で三枚もしたそうです。死後に興味を持ったとあるご婦人から譲って頂いたのですよ」

「もしや、タダで?」

「はい。置いておくのも恐ろしいし、捨てるのも怖いということでした。御本人は小人の話に怯えていらっしゃいましたよ」

「何か理由があったのですか」

「ええ、お話しましょう」

「是非」

 耳講奇譚集はこのようにして集まった話を編纂したものである。



 ミス・ステラより聞いた話を小説として纏めたものが下記となる。





 その婦人が子供のころから敬愛していた父が鬼籍に入った。

 清廉な人柄で知られ、厳格であった父が亡くなると、家の中もなんだか張りを失ってしまったようで、なんとも落ち着かない日々を過ごしていた。

 主を失った書斎の扉を開けると、今でも父がそこに座っていやしないかと、そんな夢想をしてしまうほどに、胸に穴が開いたようだった。

 その日も、なんとはなしに書斎を覗いてしまった。

 父のいない書斎はがらんとしていて、小さく苦笑する。

 もう、父はいない。

 ふと、床にゴミが落ちていることに気付いた。

「掃除させないと……」

 生前の父は、こんなことがあるとメイドに怒鳴り散らすことがあった。厳格すぎることさえなければ、良い主人であったというのに。

 至らないところがあるのも人間というものだ。

 そんなこと、生きていたころの父には言えやしなかったけど。



 メイドに掃除を命じたところ、ぽろぽろと涙を零した。

 年若いメイドは、叱られた幼児のように泣く。

「お嬢様、お願いします。誰か、別の者に、お願いします」

「ど、どうしたの、そんなことで泣くなんて」

 年若いとはいえ、五年ほど前から勤めているメイドだ。そんなことで涙するのはおかしい。

「ひっ、そ、それは」

「もう父はいないわ。誰も怒鳴りつけたりしないから」

 優しく諭したつもりが、メイドはしゃがみこんで本格的に泣きだしてしまった。

「旦那様が、旦那様が……」

 メイドは泣く。

 尋常で無いものを感じた婦人は、メイドを落ち着かせて話を聞くことにしたのだ。

 わざわざ使用人に暖かい茶を入れて落ち着かせるなど、妙なことになった。

「お嬢様、その、怒らないで聞いてほしいのです」

「あなたが何かを盗んだとかじゃないのならね」

 メイドが銀食器などをちょろまかすというのは珍しい話ではない。よほど悪質でない限りは保証人に建て替えさせて放逐するが、ひどい場合には腕か足を斬ることになる。

 トリアナンの法は開拓地の残酷な伝統を色濃く残していた。

「そんなのじゃありません。旦那様は、……旦那様は書斎に」

 父の叱り方は雷神に例えられるほどであった。死んだ後も怖いというのは分からないでもない。

「旦那様が、書斎にいらっしゃるんです」

「何を言っているの。まさか、幽霊とか?」

 メイドは首を横に振った。

「その、小さな、小人のようになっていらっしゃるのです」

 あまりにもメルヘンで、つい笑ってしまった。あの父が小人など、似合わないことこの上ない。

「スカートの裾から中を覗いて、太ももに……」

「やめなさいっ」

 びくりと震えて、メイドは言葉を止めた。

「お嬢様、嘘は申しておりません。あんな旦那様は怖いのです。恐ろしいのです」

「何を言って」

「まるで、幼い子供のようで……、でも、そんなのじゃなくて、とても、とても……」

「鼠か何かと見間違えたのよ」

 少し前に読んだ妖精説話の本にあった妖精の挿絵を思い出す。顔かたちは大人の造形で、子供のように笑う妖精は滑稽で、それでいて忌まわしい。生理的嫌悪感を覚えた。

 父のそんな姿は、想像したくないものだ。

 頭から厭な想像を振り払う。

「いいわ。一緒に書斎へ行きましょう。父に叱られて怖かった記憶があるから、そんなふうに思うのよ」

 婦人は開明的思想の女性である。

 トリアナンでは帝都よりも女性の教育に肯定的だ。主人と力を合わせるための『力』の一つとして知恵と知識は尊重される。



 夕暮れの書斎はがらんとしていて、あるのは主を失った静寂だけである。

「ほら、何もいないわ」

 夫人は書斎を見回して、努めて明るく言った。

「ひっ、そ、そこっ、そこにっ」

 メイドが指差すのは赤光の射し込む窓、その両端に纏められたカーテンだ。

「何を……、ひっ、なっなに」

 纏められたカーテンに、よじ登って遊ぶ小人たち。

 鈴なりという表現がぴったりくるだろう。

 手の平ほどの中年男たちが、全裸でカーテンによじ登って遊んでいる。子供のように無邪気に笑っている。

 数えきれない異様な小人たちが、カーテンを遊具にして戯れていた。

「あ、あ、こんなことが、あって、あるはずない」

 婦人の開明的な脳髄は、それが現実と認めることを拒否した。

「だ、旦那様です、旦那様が」

 絨毯をの上を一直線に疾走する小さな中年男。

 母親に駆け寄る幼児のような満面の無垢な笑顔で、父はこちらに向かって走ってくる。

 夫人には目もくれず、年若いメイドの足元に広がるスカートの裾に走りこむ。

「やだっ、やだぁ」

 メイドがスカートの裾を叩いて、父を追い出す。

 こてんと転んだ父は、悪戯小僧のように無邪気な笑顔。

「こんなの、違うっ」

 夫人は足を高く上げて、父の脳天を目がけてヒールを叩き落とした。

『ギューーーー』

 甲高い断末魔。

「ひ、ひぃっひいいい」

 婦人は、それが自らの出している悲鳴と気づくのにしばしの時間を要した。

 何度も何度も、勢いをつけて踏みつける。

 形がなくなるまで、踏み続けた。

「お嬢様、お嬢様っ、もう動きません」

「はっはっ、そ、そうね。いきましょう」

 メイドに手を引かれて、書斎を出る。

 ドアを閉める時に見た書斎はすっかり薄暗くなっていて、カーテンにぶら下がる無数の小人たちは、無表情でじっとこちらを見ていた。

 婦人とメイドは手を繋いで書斎を出ると、そのまま屋敷を出た。

 流しの宅師を捕まえて、観光客用の宿に一泊したという。


 屋敷に戻ってすぐに、書斎の中にあったものを全て処分した。

 何もかもを処分して、空き部屋としている。


 その後、婦人とメイドは夕暮れに連れだって書斎に赴くことを日課とするようになった。

 小人を見つけたら、火掻き棒で叩き殺すようにしている。

 女であっても敵と戦うのがトリアナン流である。



 年若いメイドは主人のお気に入りであったとか。

 婦人の記憶の中にあるのは、メイドの失敗を見て見ぬふりで見逃す父のわざとらしい演技である。

 厳格な父がたまに見せる不器用な優しさであったそうだ。



 やはり、そうか。

 幽界には一切の救いが無い。

 筆者の聞いた小さな中年男の話も、忌まわしい空気の漂う不気味な話であった。

「ミス、ステラ、素晴らしいお話でした」

 夢中で聞いていたせいか、暗くなっていることにも気づかなかった。

「……変わったお方ですわね」

 包帯で顔を隠しているため表情は分からないが、ミス・ステラが呆れているのは声音で分かる。

「よく言われますよ」

「屋敷にどうぞ。夕食をご一緒しましょう」

 ミス・ステラの案内で邸宅の中に通される。

 特に忌まわしい空気は無い。

 清潔な貴族の邸宅だ。

 通された食堂には、二人分の食事が揃えられていた。

「ワインは赤がよろしいかしら?」

「大事な催しですので、酒はご遠慮します」

 ミス・ステラは笑う。

 口元を隠して淑女らしく笑うのだけど、包帯がどうにも異様だ。

「あんな本を書いていらっしゃるだけあって、数寄者ですわね」

「誉められたのは初めてですよ」

「まさか、誉めていませんわ」

 随分と辛辣だ。

 腹を膨らまして、気力を充実させて降霊会に挑む。

 昨夜は楽しみでよく眠れなかったのだ。

 そのせいで遅刻しそうになったほどである。

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