第8話 宅師のロブに聞いた話

 馬借ギルドに席を置く御者の中でも、個人で馬車を買い上げて流しをやる者のことを宅師たくしと呼ぶ。

 誰それ様のお宅へ、と言われて十全に対応できる。それが一流の御者ということから付いた呼称である。

 ミス・ステラの下へ向かうために乗り込んだ流しの馬車で聞き及んだ話である。



 三枚銀貨のロブといえば、御者仲間からも一目置かれる宅師である。

 この二つ名は、どんな日でも一日の売り上げが銀貨三枚を割ることがないということから付いた。

 幼いころは馬糞拾いで馬車の後をついて歩き、十で馬の扱いを覚え、御者になったのは十三の時というのだから、ある意味では天才である。

 生来からのもの覚えの良さで、トリアナンのお貴族様のお宅なら全て頭に入っているという。

 時間に遅れぬということで、大貴族に名指しで呼ばれるというのだから、トリアナン一の宅師というのもあながち嘘ではない。

 そんなロブが、貧相な一人客用の天付き馬車で流している時に、筆者はたまたま乗り込んだのだ。

 天付き一人用馬車というのは、帝都で流行の人力車の馬版である。御者の操る隣に客が座る低位の馬車だ。

 貧乏騎士や法服貴族が乗ることはあっても、一等法務官の乗る代物ではない。


「道に迷ってしまってな。ラシャンテ様のお宅は分かるか」

 道に迷ってと言うのは、金無し貴族のよく使う言い訳で、筆者はどうにも恥ずかしくなった。

「随分と迷われましたな。ここから一刻はかかりやす」

「トリアナンの宅師というヤツか。時間が迫ってる。飛ばしてくれ」

 ちなみに、宅師という呼称は帝都では使われない。日々、新たな道が造られるトリアナンだけで使われるものだ。

「一刻以内には間に合いましょう。ささ、お隣に」

 馬車は軽快に進む。

 当たり前だが、馬車が人を撥ねるなどあってはならない。

 ロブは人通りが少ない道や狭い道に馬車を入れるため、めぐるましく変わる景色は迷路を進むようである。




 ああ、黙りこくっていても暇だから話ですか。

 へぇ?

 幽霊ですか。幽霊ってえと、あの死んだ人の魂とかの。

 あの幽霊ですよねぇ。

 宅師をしておりやすと、天付きの隣に幽霊を乗せたなんて話はよく聞きますよ。

 ははは、お詳しいですな。

 墓場の前についたら消えていて、座席が濡れてたなんてぇね。よく聞きますけど、実際に会ったってえのはなかなか。

 薄気味悪い話はありますが、人様の、お客様のお話ですからねえ。

 なかなか言えやしませんぜ。

 おや、その銀貨は、なるほど、面白い話を買うと。

 ははあ、なるほど。売ってくれと言われりゃあねぇ、しかも銀貨一枚。

 いや、しかし……。なかなかこういう話はねえ。

 供養に厄除け? 

 話すことが供養と厄除けになるんですかい。

 ははあ、怖いもの悪いものの話を人にあげることで、厄を人に押し付けると。はは、そりゃあいい。ダンナはわざわざ厄を買おうってんですか。

 はあ、それが楽しみなんですかい。変わったご趣味ですなあ。

 そういうことなら、他言無用。いや、誰も信じやしないとは思いますけど。

 そうまで言われるんでしたら……。



「ダンナ、厄がつくってのは、本当にいいんですね?」



 以下はロブの話を小説として纏めたものである。



 三枚銀貨などという二つ名が付く前のロブは、お世辞にも良い御者ではなかった。

 生来から汚いことが苦手である。

 例えば、稼ぎの良い仲間に金を借りるだとか、他人の馬車を壊すだとか、噂を流して痛めつけるだとか。

 ロブが御者になったのは、馬が好きであったからだ。

 人はどうにも、信じられない。

 母親がロクデナシであったことも関係している。心の底まで雌犬だった淫売の母は、妹と姉に客をとらせたあげくに、酒欲しさに売り払った。

 父親は知らない。

 幼いころに見た男の誰かだったのか。

 知りたくもない。

 母親の汚い血を清めるためには、善行を行うしかない。司祭様も良き行いで天国に行けると言うくらいだ。

 だから、人に金を貸したり、物乞いにメシをくれてやったりしている。

『薄らのロブ』

 薄ら馬鹿を省略した名前で嗤われていた。



 馬の世話をやれればそれで良かった。

 動物、特に馬は優しい。

 そんな人間嫌いから、御者になった後にも苦労した。

 十三歳で独り立ちしたのも、師匠が見つからなかったためだ。ギルドは馬車の貸し料さえ入ればガキが流しをやることを黙認した。

 飲食などもそうだが、商売道具の貸し料を取るギルドは損をしない。

 儲けてくれれば利鞘が入り、儲けなくても貸し料で借金漬けにしてしまえば無給の労働力が手に入る。

 馬車馬のように、そんな言葉は御者には生ぬるい。

 馬たちが羨ましいと思えるほどに。



 今日も黒パンの一つも買ったら終わってしまう稼ぎしか入らなかった。

 客がやって来ても、行先を告げられて分かりませんでは話にならない。

 ほとんどの御者は地図を買うか頭に入れていて、道を知らなくても適当に乗せて金を取るのだ。相手を見れば、相場以上に毟ることだってできる。

 ロブはそんなことをしない。

 あの母親と同じような真似をしたくない。

 十三歳のロブは空腹でもそれを貫いていたけれど、明日はもう無理だと思った。

 金は無いし、明日の貸し料を払ったらギルドが言うところの借金の限度額にまで行き当たる。

 真夜中の路地を歩きながら、ロブはため息をついた。

 真夜中に走れる宅師というのは、一流だけだ。高価な油を使うランプを点けて、一晩中馬車を走らせることのできる御者は多くない。

 母親のことを思い出す。

 酒のためならなんでもやったクズ女の気持ちが分かる気がして、泣きたくなる。

 正しいことは、何の役にも立たない。

 無学ながら教会で司祭様の話だって聞いている。悪い行いだってしないようにしている。だけど、神様は助けてくれない。

 クズから産まれたからだ。

 人間などに生まれたくなかった。

 馬がいい。馬は、裏切らないし嘘もつかない。

「ああ、御恵みを、御恵みを」

 スラムが近づくにつれて物乞いが多くなる。

 物乞いのほとんどは騙りだ。こいつらは働けるのに物乞いをしている虫にも劣るクズだ。

「ああ、見たことない光が、小さくて、小さくて。あっちにいる虫には顔があるのに、こっちのは無い」

 意味不明の呟きが聞こえてきて、ロブはぱっと振り向いた。

 そこにいるのは老婆に見える中年女だ。

 スラムでも有名な脳梅毒の女で、昔から子供に優しく、人を助けて破滅した女だ。

 娼婦もできなくなって、今は裏路地の隅で物乞いをしている。ひどい悪臭で誰も近づかない本物である。

「おばさん、俺だよ。ロブだよ。黒パンが少しだけあるんだ。半分だけで悪いけどあげるよ」

 ロブにとっては、この女は仲間だ。

 世の中に馴染めず嗤われても、正しいことをやめない仲間だ。

「ああ、パン。パンをくれるの。あり、ありがとうね」

「いいんだ。こんなものしかなくてごめんよ」

 薄ら馬鹿と微かな声が聞こえた。

 クズどもめ。

 お前らは地獄に堕ちる。

 おばさんは固いパンを喰らう。一口喰らえば、少しだけ目に正気が戻った。

「あああ、いつもありがとう。もうわたし、ダメだから、これを。これをあげる」

 おばさんが垢じみて汚れきったボロ布から取り出したのは、一体の人形だった。

 人形といっても、貴族の持つような人の形をしたものではない。

 木の棒に、模様入りの布を巻いただけの『人形』である。

「悪いよ、大切なものなんだろ」

「いいんだよ。あんたに貰ってほしいんだよ。この子は助けてくれるよ。裏切ったらダメだよ。この子は助けてくれるから」

 おばさんに押し付けられた人形を受け取った瞬間、確かにそれは動いた。

 馬の腹を触った時の、内臓がどぅくどぅくと動くあの感触に似ている。

「あ、ありがとう」

 おばさんは黒パンに夢中で、返事はなかった。



 翌日、最後の借金をして天付き馬車を借りた。

 馬借ギルドの受付嬢は、最後ですよ、と事務的に言うだけ。ギルドに、彼女にとってロブは取るに足らないものなのであろう。

「はい、分かりました」

 女は返事もしなかった。

 いつものように馬車を出す。

 荷物を馬車の物入れに突っ込んだ時に違和感を覚えた。

 見ると、昨夜おばさんから貰った人形が入っている。

 家に置いてきたはずだ。

「キミ、庁舎までいってくれ」

 声を掛けられて振り向けば、額に汗を浮かべた男がいる。身なりはいい。

「歩いても半刻ほどですよ」

 距離で金を取るため、その近さだと銅貨二枚というところだ。

「急いでるんだ」

「はあ、ではどうぞ」

 ツキがあった。

 最初の客は商家の番頭であった。

 乗車拒否をしなかったことに感謝して、多めの銅貨をくれた。

 幸運にも、立て続けに急ぎの客を乗せることができた。

 その日、銀貨一枚と銅貨六十枚の報酬を得たのである。

 売上を報告すると、受付の女は驚いた顔をした。それは、ロブが初めて見た受付嬢の人間らしい顔だった。


 帰りにおばさんに会いにいくと、見知らぬ物乞いが寝ていた。

 ああ、死んだのか。




 次の日も幸運に恵まれた。

 ロブは乗車拒否をしない。

 どんな身なりの者でも乗せる。

 教会で司祭の語る話には、見た目ではなく行いで人を見よ、というものがあったからだ。

 一度、宅師強盗に遭った。

 強盗は刃物を突き付けていたが、急にわめき始めて馬車から転がり落ち、そこを馬に蹴られて死んだ。

 馬の後足で頭を蹴り潰されて、脳漿が飛び散った様は今でも思い出せる。

 その時、人形が物入れの中で動いた。物入れで飛び跳ねたのだ。

 それから、人形を懐に忍ばせるようになった。

 警邏の騎士に強盗の死体を引き渡すと、正直によく話したと誉められた。大抵の場合には、冒険者や騎士であったとしても強盗を返り討ちにした時には金を奪って死体を放置するからだ。

 強盗の懐には幾何かの金があって、それも警邏に渡した。

 それが良かったのか、馬借ギルドが貸し馬車の質を上げてくれることに繋がった。



 急ぎの客に喪服姿の者が多いと気づいたのは、生活が安定してからだ。

 乗車拒否はしない。

 喪服姿の者、亜人、渡世人、貴族、ドワーフ、腐臭を放つ魔法使い、顔を隠した者。

 たまに、異様な者も乗せた。

 あまりにも醜い顔をした貴族らしき女だ。

 こんなにも人間の顔は醜くなるのだろうか。驚くほどに、人間離れした醜さの顔だった。

「ねえ、この顔怖いでしょう」

「いえ、特には」

 変わった顔だが、母親よりはまともだ。

 母親は、あの淫売のクズは顔だけはよかった。だが、あれほど醜い者はいない。きっと今頃地獄にいる。

「そう。変わった坊やだね。気に入ったよ」

 その女はシルセン子爵家の侍女だった。

 気に入られたのか、指名までして使ってくれるようになった。

 何度か、シルセン子爵家に呼ばれて妙な少女を乗せた。


 ああ、人じゃねえな。


 人形が震えるので分かる。

 強盗なんぞより怖いものだったが、乗せた。

 乗車拒否はしない。

 その少女がおしゃべりだったことは覚えているが、何を話していたかは覚えていない。記憶からすっぽりと抜け落ちている。

 妙に口が大きくて、なんとも嫌だったことだけは記憶にある。その貌は思い出せないというのに。



 それから、妙な客が増えた。



 人じゃないのだなと分かる。行先はどこかの家だったり墓場だったり、葬式の会場だったり。

 全身が空色の女だとか、目が全部黒目の男だとか。びっくりするだけで済む程度の奇妙なものだ。


「人に近くて色が違うとか、そういうもんは妙なことを話しますね。幸せになる方法を教えてあげますなんてぇね。あっしはもう知ってるんで、断りましたけど」


 一度など、首が四つもある男を乗せた。

 首同士で訳の分からないことを話すものだから、煩くて仕方ない。

 バケモノは金をきちんと支払う。

 いやに古い銅貨だとか、血の付いた銀貨だったりしたが、金払いはしっかりしている。だけど、髪の毛が絡み付いた金は少し嫌だった。


 そうやって二十年近くが過ぎた。




 ロブの乗せたバケモノは、今まで聞いたこともないような何とも恐ろしい造形ばかりだ。

 筆者はすっかり嬉しくなった。

「面白いな。今度、時間を作って聞かせてくまれないか。ああ、もちろ礼はする」

「ははは、妙なお方ですねえ。……続きがちょっとだけあるんです。昨日の話ですよ」

 ロブは泣き笑いのような顔をした。

「昨日、もう帰ろうって時にね、ついに来やがったンです」

「ほう、どんなものかな」

「あのクズおんな。あっしの母親ですよ。股から腐った血を垂らしてね、生意気に親指を立てて辻に立ってやがる」

 そう言ったロブの手は震えていた。

「あっしは、そりゃあ迷いましたとも。宅師なんて呼ばれてんだし、乗せてやんねえといけないってね」

「乗せたのか?」

 どうなった。

 凄い話だ。しかも昨日の話となると生々しさが違う。

 続きを聞かせてくれ。

「へへ、馬車を停めてね。あっしが馬車を降りてやった。ほら、見て下さい」

 ロブが懐から取り出したのは、件の人形である。

 筆者は裕福な家で育っているため、それが人形とは分からなかった。

 すりこぎに布を巻いたものにしか見えなかったのだ。

「なんだ、この臭いは」

 人形からは魚の腐ったような匂いがした。

「へ、へへへ。ガキの時に、あっしの妹を売った時にはできなかったんでね。こいつで、頭を叩いてやったんでさ。他になんにもなくてね、気が付いたらやっちまってたんで。バケモノのくせにきゃあああってね、生娘みたいな悲鳴を上げやがった」

 法務官は裁判に立ち会うこともあるため、血のついた凶器は見慣れている。人形の先端に付いたものは血の汚れでは無い。

「幽霊ってのはドロっとしてるんですね。ほら、スライムの干物ってえのがあるでしょう。あれを煮ると柔らかくなりますけど、あれをもうちょっとドロっとさせた感じでね。頭は砕けましたよ。クズ女の汁のおかげで馬車が汚れちまって、それで今日は借りモノで流してるって訳なンです」

 ロブは愉快でたまらないといった様子で嗤う。

「ダンナ、あっしは分かるンです。もういいってね、この人形に悪いことしちまったから、もうダメなンです。ねえ、この人形、貰ってくれませんかね」

 ロブは泣き笑いの顔をしていた。



 こんなに良いものが手に入るとは思わなかった。

 全くもって幸運である。

 ロブには後日改めて話を聞く約束をして、人形の代金として金貨一枚を支払った。

 懐に入れてみたが、動いてはくれない。

 どんな感触だろうか。

 想像するだけで、筆者はついついニヤついてしまうのだった。

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