第7話 居酒屋で騎士オズマ・カーディアスに聞いた話 後編
そこは、今現在でも開拓のなされていない森林である。
トリアナンの都からは馬で数日だが、あまりにも険しい森な上に亜人も道案内を断る神域であるらしい。
オズマ少年は大人たちに抱えられて、その森の奥深くへと連れていかれたのだ。
「森の影に、妙なもんがいるように見えたよ。あれが気のせいなのか、今となっては分からんがね」
どれほどの時間が経っただろうか。
オズマは深い森の中にいた。
ひっくひっくと泣き声がして、体を戒めていた縄が解かれる。
大人たちは消えていて、ミコが縄を解いてくれていた。
「オズマ、あっちに、あっちに行くの」
「どうして……」
ミコの説明は要領を得なかったが、行く先は分かっているようだった。
手を固く繋いで歩いた。
緑に支配された森の中、獣道を進む。
「ミコ、僕たちはどうなるんだろう」
「大丈夫、きっと大丈夫だから」
恐怖だけではなかった。
互いが互いを気遣っていた。幼いながらに、彼らの中には確かなものがあったのだ。
獣道の先には、家があった。
廃屋にしか見えないあばら家があって、入口の前には仮面を付けた男とも女とも分からない者がいる。
仮面には巨大な一つ目と牙の付いた口が描かれていた。そして、その体には青々とした草を巻きつけている。全身が見えないほどの青草に囲まれたそれは、あまりにも異様で二人の繋いだ手に力が篭った。
魔女。
まさしく魔女そのもの。
「来たね。お入り」
魔女は優しげな声で手招きをする。
「み、ミコ、逃げて」
「だめだよ、行かないと」
ミコに手を引かれてあばら家に入る。
家の中には保存食らしきものや水瓶などがあって、思ったよりもずっと魔女らしさは無い。田舎の民家とそう変わらないように思えた。
「えらいものを連れてきたね」
魔女は仮面を外すことなく、ミコの手を引いて家の奥へ連れていく。
オズマもそれに従った。
その光景は脳裏に焼き付いている。奇妙なことに、家の大きさに対して中が広すぎる。
連れていかれたのは地下だった。
地下室には色とりどりの蝋燭が並び、真昼のように明るい。
獣の骨の飾られた祭壇があって、その奥の壁にはタペストリーが飾られていた。
それは、巨大な一つ目の獣が、人と亜人を喰らう不吉な様相を精緻に表現した壁一面に広げられた巨大なタペストリーであった。
「坊主や、えらいものを描いてしまったね。その本に描かれたものはそこにいて、同じ本にお嬢ちゃんを書いてしまったら、お嬢ちゃんもあの連中の仲間になっちまうんだよ」
魔女の言う本とは、あのスケッチブックのことだ。
シルセン子爵の魔を描いたスケッチブックに、ミコを描いてしまった。
「どうしたら、いいんですか」
そんな馬鹿な、そう思いながらもどうしてか否定できない。
あの魔は、それだけの存在感と不吉さがあった。だからこそ、描いてしまったのだ。
「ひひひ、森の中じゃあ、こっちの法則が勝つのさ。親玉がいたら不味かったけど、この程度じゃあ、森の神様には勝てないよ」
奇妙な音が聞こえた。
それは風の通る音なのか、それとも笑い声なのか。
タペストリーの怪物と目が合った。
胴体は巨大な熊だろうか、顔は一つ目でその口にエルフの身体を咥えている。
「むかしむかし、
魔女はいつの間にかスケッチブックを手にしていて、祭壇に供えていた。
「神様、この子以外は贄でございますぞ。ささ、喰らうてみせい。喰らうてみせい。これらは人の成れの果て。人界の珍味にござい」
オズマは見ていた。
タペストリーの中で悲鳴を上げて逃げ惑う人々。亜人、エルフ、人間。あらゆる者が一つ目の魔神に喰らいつくされるのだ。
一つ目の魔神はにたりと笑って、手を伸ばす。
絵の中の魔は逃れようとするが、魔神の手がそれを逃すことは無い。
首の無いメイドが、灰色のモノが、四つん這いで這い回る蜘蛛のような女が、笑う腐れた生首が、助けを求めて泣き叫ぶ。
一つ目の神様は、それらを喰らう。
あれらに救いは無い。タペストリーの中の世界で、永劫に喰らわれ続ける存在と成り果てたのだ。
「神よ神よ、教えておくれ。この娘は人に戻れるか。教えておくれ、美味の礼に教えておくれ」
魔女の問いに対して、魔神は笑う。
血塗れの口を歪めて笑うのだ。
ミコは白目を剥いて、神様と同じように笑っていた。
ミコは魔女の弟子となった。
「坊主や、ミコはこの森から出られん。アレの親玉に眷属にされてしまうでな。神様のいらっしゃるこの森からは出られんのだ」
魔女は語る。
オズマの描いたモノは極めて恐ろしい魔であると。
あれに囚われてしまえばそこから逃れられなくなるのだと。
「どうしたら、ミコは」
ミコと会えなくなる。
「お前はあれを描いてしもうた。よいか、二度と絵は描くな。アレはお前に描かれて、また別の身体を持とうとする。よいか、絵は描くな」
「ミコとは会えないんですか」
「……いつか、あの魔も滅ぶ。その時にだけ機会があろう。神様の目を欺くことじゃ。ありとあらゆる神の目を逃れることじゃ」
オズマ少年は迎えに来た部族の男に連れられて、トリアナンの都へと帰ることができた。
部族との関係は続いた。
族長も不幸な事故として許してくれたが、オズマは自らを許さない。
必死で勉強をして、若くしてカーディアスの隠れた職務を任されるようになった。
そして、十数年が経ってベイル・マーカスと出会う。
◆
「ははは、お伽噺みたいだろ」
その瞳には昏い炎が宿っていた。
すっかり酔いは醒めていて、互いの手にある杯も止まっている。
筆者はどうにも、オズマのことを気に入ってしまっていた。
「いいよ。頼みくらいは聞く」
オズマの瞳にある昏い炎が一際輝くのが分かった。
「俺を死んだことにしてくれ。役職は兄妹に引き継ぐ。お前のツテにあるんだろ、上が」
「……やってみる」
「頼む」
焼酎を飲み干して握手をした。
オズマはいつもの軽薄な笑みを浮かべた。
「ミコを迎えに行くんだ」
全ての目を欺いて行くのだろう。
神も、人も、全ての目を欺いて行くのだ。
「上手くいくといいな」
「ベイル、約束は守れ。俺も約束を守る。ミス・ステラと面会できるようにしてある」
ミス・ステラは文化人にして、霊の世界に通ずる霊能者である。
オズマと彼女がどんな関係かは知らない。
上流階級の夫人たちを集めては開く降霊会の噂だけは聞き及んでいる。
「オズマ、一つ聞きたい。ミス・ステラは本物か?」
「会えば分かる」
筆者は笑みに口角が引き攣れるのを止められなかった。
そんな筆者にオズマは懐から折りたたんだ画用紙を取り出した。にやりと笑って、開けと示唆する。
「ははは、素晴らしい。ははははは」
そこには描かれているのは少女の絵である。
全身像を描いたそれは、素人特有の稚拙さなのに生々しい存在感がある。
歪んだデッサンは、まるでそのまま存在を写し取ったかのようだ。
「顔は、見ていない。いや、見ているけど、よく分からなかった。だけど、口元だけは覚えてるんだ」
耳まで裂けた口には、歪な歯が、乳歯じみた歪な歯がびっしりと。
手が震える。
帝都の大聖堂に封印されている幽霊画を見たことがある。
あれにそっくりだ。形ではない。呪いの絵に特有の禍々しさが確かに存在している。
「宝物だ。凄いよ。本当にありがとう」
礼を言えば、オズマは呆れた顔になった。
筆者は執務室にその絵を飾って、毎日眺めている。
見る度に動き出さないかと、語りかけてこないかと期待を込めているのだが、未だそれは無い。
実に残念である。
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