第6話 居酒屋で騎士オズマ・カーディアスに聞いた話 前編

 トリアナンの城塞の外にはスラムが広がり、その先には荒野と森林地帯がある。

 亜人の集落や遊牧民は城塞の外からやって来ては、毛皮や肉、岩塩を売りにやって来る。

 様々な種の亜人が存在するが、彼らの多くは街に住むことはない。

 差別的意識が人々にあるのは確かなことである。


 どんな街にも亜人びいきはいる。

 騎士オズマ・カーディアスもまた、亜人びいきだ。


「俺も、ほら、世襲組で騎士には見えないだろ? 昔から騎士見習いにはいじめられてさ。金持ちは疎まれるから」

 ひょろりとして痩せぎすの騎士オズマは、神経質そうな容貌に反して剽軽ひょうきんな男である。

 騎士オズマはトリアナン伯爵家の開祖に仕えた由緒ある騎士の家系にして、筆者と同じ世襲騎士だ。

「カーディアス家は商売騎士だからな。俺も子供の時から剣より算盤でね、みんなからいじめられたもんさ」

 居酒屋で杯を重ねながら、オズマは自らの恥を明るく語る。

 そこに自棄な雰囲気は微塵も無い。

「はは、まあ、分かるよ」

「あんたもミランダに的にされちまって、気の毒だね。あの女は馬鹿猪だけど、そこまで嫌味なヤツじゃねえから我慢してやってくんな」

「小娘のすることだ。気にしてたら法務官はやれないよ」

 オズマと筆者は笑い合って五回目の乾杯で杯を飲み干した。

 トリアナンに来て二人目の友人であるオズマは、トリアナン庁舎の会計に関わる勘定方である。

「ははは、で、噂は聞いたよ。俺に聞きたいことってのも、幽霊屋敷のことだろ?」

「鋭いね」

「気づかないヤツが鈍いのさ。いいぜ、その代わり、俺からも一つ頼みがあるんだ」

 こういう頼みごとはロクなものであったためしが無い。

 福々しいヤツほど無茶を言うのは、帝都もトリアナンも変わらないものだ。

 快諾してから後悔することになるのだが、その甲斐はあった。

 算盤騎士と揶揄されるオズマは、筆者の知る限りトリアナンで最高の男だ。





 先祖代々騎士である。

 何百年も騎士を続けていると色々な紆余曲折がある。

 トリアナン地方を平定する際には武力と武功によるものだが、その後に問われるのは領地の経営である。

 カーディアス家は早い段階で剣を算盤に持ち替えて、中央との勘定戦かんじょういくさに身を捧げた一族である。

 常に亜人や魔物に脅かされる辺境で、勘定方は不遇な大黒柱である。

 どれだけ成果を上げても理解はされない。騎士のくせに金勘定しか能が無いと後ろ指を指される。

 経済の最前線で戦い続ける過酷な役目にありながら、同僚からも民からも理解されることは無い。あまりにも辛い立場である。



 カーディアス家は代々長男が騎士を継ぎ、長女またはそれ以下の身内で商会を経営する決まりになっている。

 カーディアス商会は、荒野の亜人との取引を一手に担うことで帝都にまでその名を轟かせる大商会だ。

 オズマもまた、幼少のころから算術と馬術を学んだ。


 算術は商売の基礎。

 馬術は亜人と友諠を結ぶための基礎。


「ガキのころから、こっそり外に連れていかれてな、亜人とシャ・ガの部族の所で過ごすんだ。はは、城塞の中より外の方が好きだったな」


 亜人は幾つもの種族と部族に別れていて、友好的なものもいれば敵対する者もいる。

 それらを知るためには、彼らと共に生きる他に無い。

 だから、カーディアス家は病弱な者が多いと思われている。

 体調不良で伏せっているとして仕事を休む時、彼らは城塞の外で働いている。


「ヤバい部族が困ってる時には肉を渡したりするのさ。あいつらが本気で飢えたら、人間を襲うからな。それに、一度火が点いたら、ちょっとやそっと殺すだけじゃ止まらねえよ」


 オズマが言うように、部族と冒険者の間に諍いがあった時、血で血を洗う抗争に発展することは珍しいものではない。

 過去に起きたトリアナン伯爵家と亜人の争いはオズマ曰く『俺ん家の失敗』なのだそうだ。


 そんなオズマが子供のころの話である。

 かつて、オズマの生家はシルセン子爵邸の隣にあった。

 今では幽霊屋敷と化したシルセン子爵邸だが、オズマは幼少時代にその不思議を垣間見ている。



 前々から、妙なことは多々あった。

 夜、隣家を見上げれば、窓の外に張り付くものがいる。

 それが何かと問われれば、人のようなものとしか言いようがない。


 灰色の妙に腕の長い者だった。べったりと、油虫を喰らう蜘蛛のような有様で窓に張り付いている。


 オズマ少年が真っ先に連想したのは、シャ・ガの部族の長老が語る鳥人の伝説と、魔物の類である。

 幼いころから利発であったオズマは、その連想の後に現実的な魔物の侵入であると思い近くの使用人を呼んだ。

「坊ちゃん、あれは見てはいけません。いいですか、シルセン子爵家のアレは見かけても見ないことにしないといけません」

 メイドは沈痛な面持ちで、窓の外を見ないようにして忠告する。それが忠告であると知るのはもう少し後のことだが、少年であった当時、大人が恐怖する顔というものはあまりにも異様に思えたものだ。

「でも、あれは」

「口に出してはいけません。さあ、暖かいお茶と甘いお菓子があります。こちらへ」

 あまりにもわざとらしい誘導だったが、逆らってはいけないことを悟って、メイドの後を追った。

「振り返ってはいけません。絶対に」

 メイドは、振り返らずにオズマにそう言った。

 その声が震えていたことが、今も忘れられない。



 その日の晩に、父に呼び出された。

 シルセン子爵家は、……特別なお家だ。

 代々、我が家が隣に居を構えているのも、アレの秘密の一端を知るが故。

 オズマよ、シルセン子爵の家のアレを気にしてはいかん。いや、……お前が大人になれば気にせねばならんが、今はいい。

 儂も昔、子供のころにアレが気になって見たことがある。

 アレは、見るとこっちにも付き纏う。消すには苦労するからな、オズマよ、お前は頭の良い子供だ。

 父の言うことを理解してくれ。

 あの家を見ても、顔色を変えるな。

 あのバケモノのことは聖印のある部屋でもしてはならん。口に出すな、見ても見ないふりをしろ。そこに無いものとして振る舞うのだ。



 オズマは利発な子供だった。

 それらを盗み見ては、姿を消した後に絵に描いた。

 様々な形がいる。

 首の無いメイド、蜘蛛のように這いまわる女、小さな屋根で踊るもの、庭木に髪の毛で括りつけられた腐乱した生首。

 大人の目を盗んで、絵を描いた。

 当時のオズマにとって、絵とは世界へ向ける刃だった。

 利発である故に、何もかも放り出して絵師になるなどということが夢物語にもならぬことに気付いていた。それ故に、隠れて絵を描いた。



 体調不良として騎士学校を三週間ほど休むことが決まった。

 いつものごとく、変装して城塞の外に出て部族の集落へ向かうのだ。

 護衛として変装した騎士がつくのだが、それでも危険は尽きない。

 荒野での生活は、世襲騎士のボンボンと疎まれる城塞の中より遥かに快適であった。


 部族は快く迎えてくれた。

 オズマは部族の少年たちと共に遊び、学ぶ。

 人の形に、獣の耳と尻尾を持つ亜人である。彼らは無学だが、その心は自由である。

「オズマ、また来たね」

 と、迎えてくれるのはミコという名の亜人の少女だ。

「うん、また来たよ」

 当時十歳のオズマは、ミコが好きだった。そして、ミコもまた憎からず思っている。

 亜人の少年少女たちとともに、彼らの生活と文化を知り、大人たちの案内で彼らの財産と備蓄を測り、この先の見通しを父に報告する。

 カーディアスの嫡子が行う修行である。

 亜人は計数に弱く伝えるということが不得手だ。だから、子供の内から彼らに混じり彼らの生活と人とは違う欲望を知る。そして、将来の部族を率いるであろう子供たちと縁を結ぶ。

 トリアナンにおける要石のごとき要職。それがカーディアス家である。

 人と亜人は手を取り合えない。だから隠れて手を取り合うことで、互いに滅ぼすという選択をさせない。

 文化の細作かんじゃ

 トリアナンの地に連綿と生きる恐るべき計略であった。



 森の中でも絵を描いた。

 小遣いをやり繰りして買ったスケッチブックに、ミコの絵を描く。

「わあ、すごいね」

 ミコに言われたら、何も言えなくなってしまう。オズマ少年であった。

 出来上がった絵を見せるとミコは飛び跳ねて喜んで、スケッチブックを両親に見せにいった。

 大人たちは、微笑ましいものとしてそれを見守る。

 そんな暖かな風景に長老の喝が響いた。

「その絵を持ってこいっ」

 ミコは涙目になって長老におずおずとスケッチブックを渡す。

 村中が静まり返るほどに長老の怒りは真剣で、異常な緊張が満ちた。

 長老が見たのはミコの描かれたページではない。

 それ以前のページにある、シルセン子爵家に現れた奇怪なもののスケッチであった。

「ギ・トゥ・ジ・ジャノ・マ・シャンカ」

 古い言葉で長老が叫ぶと同時に、オズマと護衛は亜人達に飛びかかられて捕縛されたのである。

 ミコは泣いていた。

 それだけは、今も思い出せる。




 大人たちが深刻に何かを話し合っている。

 その間、オズマは長老の家の軒先に縛り付けられていた。

 何時間かして、やって来た大人たちは無言でオズマを肩に担いで森に入った。

 泣きじゃくるミコの姿もあった。

 オズマが何を言っても縄は解かれず、暗く深い森の奥へ、奥へ。




「あれは今でも嘘のことのように思える」

 オズマは焼酎の満ちた杯に映る自らの顔を見ながら言った。

 そこには、なんともいえない感傷があった。

「で、どうなったんだ」

「おいおい、ガッつくなよ」

「すまない。続きを頼む」

 オズマの語り口は軽妙で、筆者は酔いが醒めて催促をしていた。

 いつも反省するのだが、怪談のこととなると周りが見えなくなってしまう。

 平民向けの居酒屋には、我々の語りに耳を傾ける者はいない。ただ、喧騒だけがある。

 オズマは何かを思い出したのか、少しだけ苦い顔をして杯を傾けた。

「……ベイル・マーカス、約束は守れるか」

「続きが聞けるなら」

 帝都で出版した耳講奇譚集は、五十部刷った時点で発禁となった。

 トリアナンに左遷され、責任を取らされているというのに筆者は止まれない。これが麻薬中毒じみた類の恥であるのは重々理解している。

「続けよう」

 オズマの顔には後悔の色が浮かんでいた。

 続きが語られる。

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