第4話 座敷牢で聖女ミントに聞いた話 後編

 シルセン子爵が子供しか愛せない男であったのは事実だ。

 子爵が好んだのは八歳から十二歳の女児である。

 たったの四年間が、彼の愛を得られる時間だったのだ。


 シルセン子爵は、幼くして病死した元婚約者の墓の前で自刃した。

 その直前には断りきれない縁談があったとか、その直前に謎の女と会っていた姿が目撃されていた。

 この椿事を戯作者が大幅に脚色して、死した婚約者の成長した魂魄が連れにきた、という怪談だか恋物語だかよく分からない芝居が出来上がったのである。




「一年くらいはとっても幸せだったわ。旦那様はとっても優しいし、うふふ、あの人、閨で死んだ女の名前を呼ぶのよ」


 シルセン子爵は当時三十二歳で自刃した。

 婚約者も生きていれば同い年だったというのだから、彼の愛という病巣は根深いものだったのだろう。

 ミントは男を受け入れることはできても子供だった。


「ちょっと妬けたから言ってみたの。でも、今から思ったら大人げなかったかな」


 罪の告白というには、些か不謹慎な態度で聖女は話を続けた。



 お友達である少女が生きた人でないことには気づいていた。

 ミントは頭のいい子供だった。

 少女は突然現れるし、影が無い。そして、時折その姿が曖昧になる。

 目鼻が崩れていたり、顎が胸まで伸びたり、手指の数が違ったり。

 不思議と怖くは無くて、そういうものだと受け入れていた。


 子爵にお情けを頂いている時、体位によっては天井を見ることになる。

 少女が天井に張り付いていることがあった。


「クラウディア」


 子爵は婚約者の名を呼んで果てる。

 あまりにも美しい顔には、快楽と苦悩の入り混じった表情が張り付いていた。

 ミントにとって、それはとても可愛く感じられる。

 だからこそ、冷たい土の中で骨となったクラウディアに優越感を覚えながら、嫉妬する。

 それはあまりにも甘く耐え難い屈折した快楽であった。肉の悦びに祝福された淫魔のごときミントにとって、心と感情から来る疼きは絶頂に近いものがある。体が幼い故に至れない肉の絶頂に反して、心に染みる歓びのなんと甘美なことか。

 唇の両端の少し下にある筋肉が、悦びに甘く震えた。

 これはミントだけなのだろうか。心に染み入る快楽は、どうしてかその部分を振るわせて、頭の芯をとろとろに溶かしてくれる。


「ねえ、旦那様」

 死んだ女の名前を呼び続ける旦那様の首に抱きついて、耳元で囁く。


「このお屋敷には不思議なお嬢様がいらっしゃるの。ふわふわの金髪で、古い様式のドレスを着ていらっしゃるの、瞳は青くて、右のお目目の下には黒子が」

 旦那様の寝室にはクラウディア様の肖像画が飾られている。

 何度も何度も見て、その特徴は細かなところまで覚えていた。


「そ、その子はどこに」

 子爵の美貌が崩れた。

 ああ、こんな顔をされるのか。


「いつも夕暮れには姿を消してしまわれるの。どこにいらっしゃるか聞いても、暗いところと仰るだけで……。旦那様、どうなさいましたの?」

 子爵は爛々と輝く瞳で狂気じみた笑みを浮かべた。

 行為の最中よりも活力を取り戻した顔である。


 ミントは嘘をついた。


 後になってどうしても少女の顔を思い出せないけれど、あの肖像画とは似ても似つかないのは確かなことだ。

「どこに、どこにいたんだ」

「てっきり旦那様が後学のために呼んでいらっしゃったものとばかり。さきほどまで、あちらでご覧になられておりました」

 人に見られるということもまた、屈折した悦びがある。

「ああ、許してくれ、クラウディア」

「旦那様、あの方は怒ってなどいらっしゃいません。わたくしにはできないから、代わりにお慰めしてほしいと……」

 子爵はミントに縋りついておいおいと咽び泣く。

 幼子にするように抱きしめて頭を撫でてやれば、熱くなっていた体の芯がより一層燃え上がった。

 このひとは、なんて可愛いんだろう。

 奴隷競売で運命を感じたのは間違いではなかった。結ばれる運命だったのだ。


 暗がりからわたしたちを見つめる少女もまた、悦んでいる。

 耳まで裂けた口が、笑みの形に引き攣れていた。



 聖女ミントは座敷牢の格子に背中を預けて、筆者に背中を向けた。

「ああ、ここはとても肩がこるわ。ねえ、ほぐしてくださらない?」

「それよりも話の続きを」

 聖女とは、人を救う女性に教会が与える称号だとか。無私の愛は聖なるかな。とはいうものの、彼女のそれは歪んでいる。

「ええ、少し疲れたわ」

 大きく背中の開いたドレスを着た聖女は、白いうなじを見せつけてくる。

 そんなものはどうでもいい。女なぞ、どこにでもいる。

「子爵の屋敷がああなった理由があるんだろう。肩なら後でほぐすから、早く教えてくれ」

 ミントはわざとらしく大きなため息を吐く。

「ねえ、アンデッドモンスターと、わたしの見ているものは違うのよね? やっぱりあの御屋敷にいた不思議なひとたちは、人じゃなくて魂なのかしら?」

「私もこういう話をたくさん聞いてきたが、アンデッドと幽霊は大きく違うよ。アンデッドは人の死体から産まれる害獣だけど、幽霊は違う。この世とは違う法則、いや、法則すら無いかもしれない暗闇にいて、この世に出てくる存在だ。私が帝都で集めた話のなかには……」

「幽霊のことになったら早口になるのね、おじさんって」

 言われて、筆者は口を噤んだ。

 一風変わったマニアなのは認める。受け入れられるものではないことも。

「幽霊でも魂でもいいけど、これじゃあ死んだ後は救いが無いってことよねえ」

「それは私も知りたいことだよ」

「うふふ、御屋敷にいた時は気付かなかったけど、いつかみんなああなるの。明日にもそうなってるかもしれないわ」

 聖女ミントは立ち上がって、座敷牢の中に置いてあった銀の盥を持ってきて、これまた銀の水差しで水を注ぐ。

 並々と水の張られた盥を覗き込めば、水鏡。

「明日の姿は魂の姿。運命は幽霊なのよ」

 人を安心させる笑みを浮かべた傾国の聖女は、きらきらと輝く瞳で筆者を見つめる。

 いいから、もっと、もっと呪われた話を聞かせてほしい。



 旦那様はお仕事を休んで少女を捜す。

 少女はミントにだけ分かるようにして合図をくれた。

 あちらに姿を、などと言って指をさせば、子爵は狂態も露わに駆けまわる。

 なんて可愛いんでしょう。

 すぐそばにいるのに、見えていない。

 ミントと少女と子爵、三人の不思議な遊びの始まりだった。

 少女からの指示は子爵に伝えた。

 庭園に池を造り、石塚を築き、部屋の間取りを変える。

 信用が揺らいだ時は、少女がやったように水鏡で姿を見せてやる。

 使用人たちもまた、ミントと少女の行う奇跡に魅了されていく。

 所有物から支配者へ。

 ミントは主人の幼いおともだちから、シルセン子爵家の巫女となった。


 大工たちも首を傾げる改築を繰り返したシルセン子爵邸宅には、奇妙なものたちが集い始めた。

 そのほとんどは見えない。

 四つん這いのメイドと、お手洗いの侍女が『見えない人』であるのに気付いたのはこのころだ。

 『見えない人』は増え始めたけど、ミントにとって彼らはちょっと変わった人であって怪物ではなかった。

 子爵も『見えない人』を見るようになった。

 ある日など首の無いメイドを見たと大騒ぎをした。

「ユウカイと近くなってきたのですよ。もうすぐです、もうすぐクラウディア様ともお話できるようになります」

 ユウカイというものが幽界だと知ったのは後になってからだ。

 少女が何を言えばいいかを教えてくれる。それは、少女じみた悪戯と思えて、笑いそうになるのをこらえねばならない遊びだった。

 ミントを追い出せという配下の騎士もいたが、子爵は逆にその騎士を放逐した。

「いじめるひとはキライよ」

 その言葉だけでよかった。


 ミントにとって楽しい日々だったが、一つだけ怖かったことがある。



 子爵の奇行を母上様であるエリザベス様が御諫めにいらっしゃった時のことだ。


 エリザベス様はお年を召していらっしゃるのに大層美しいお方だった。

 五十を過ぎていらっしゃるというのに、まだ女であることがミントには一目で分かる。

 汚物か虫けら、それも腐肉にたかる蛆を見るような目で睨まれてびくりとした。

「邸宅のこの有様はなんですか。ヴィクトルの知らせで参りましたが、シルセン子爵家の当主としての振る舞いをもう一度教えて差し上げねばならないようね」

 エリザベス様は乗馬用の鞭を取り出して、子爵に迫った。

 子爵の顔色が青褪める。

 なんてひどいおば様なのでしょうか。

 はらはらと心は揺れても、子爵のお人形でしかないミントには口を挟むことができない。

 ああ、たすけて。

 お友達である少女は、すうと何もなかった場所に現れてエリザベス様の腰につがみついた。

 それは、孫娘が祖母に甘えるような仕草だというのに、取り返しのつかぬ何かが行われているとミントには分かった。

 子爵へのお説教がぴたりとやんだ。

「あなた、ここで、何をしているの……」

 エリザベス様の声は震えていた。

 お化粧が崩れるほどの汗を浮かべて、辺りを見回すと小さく悲鳴を上げた。

「ひっ、か、帰ります」

 エリザベス様に何が起きたかは分からない。

 ミントにとって、それが最後に見た彼女の姿だった。生きている、という意味では。

 あの少女を怒らせてはいけないのだ。


 ◆


 その後についてはみんなが知るとおり、聖女はそこまでで口を閉ざした。

「まだ、何かあるんだろう」

「うふふ、まだ、もう少し後で話さないといけないみたい。今はまだなんだって」

 座敷牢の彼女にいくら尋ねても、それ以上の返答はなかった。

 夜も更けているし、これ以上は無理だろう。

「今度はお菓子をもってくるよ」

「約束よ、おじさん」

 格子から覗く聖女ミントは、今年で三十八歳になるというのに、二十歳ほどにしか見えなかった。異様なまでの若作りだ。

「ああそうだ、これを見て」

 彼女が両手に持つのは銀の盥の水鏡。

「ここに、おじさんの未来が映るから」

 ちらりと見れば、盥の水鏡には中年男の顔があるだけだ。

「何も無いよ」

「おじさん」

 ミントは盥を離した。

 床に転がった盥が硬い音を響かせて、なんだと思った時には格子から伸ばされた聖女の手が、筆者の手首を掴んでいた。

「ねえ、お口が寂しいの」

 半開きにした唇は艶やかに濡れてぷっくりと膨れていた。

「俺は耳が寂しい」

 聖女に対して、俺などと言うのは不敬に当たるだろうか。

「つまらない男」

 聖女の手が離れる。

 頭のイカレた女の口を吸う気にはなれない。

「今度はいつ会える?」

「知らない。必要になったら会えるわ」

 筆者は退散することに決めた。

「ねえ、足元に注意してね。大切なものを気づかないで踏んじゃうかもしれないから」

「ありがとう。気をつけるよ」

 座敷牢から退散して、司祭の老婆に頭を下げて教会を後にした。




 未来を見通す聖女は多淫の性を持つことから座敷牢に幽閉されている。

 大飢饉や資源迷宮から溢れた魔物の暴走など、様々な予言を的中させていることは知られているが、多淫については知られていない。

 辺境の亜人に聞いた話だが、予言するものはだいたいにおいて怪物なのだとか。

 彼らの間では、人の頭を持った山羊が生まれた際に、不吉な予言を遺すとして口を開く前に殺すよう言い伝えられている。

 聖女は人なのだろうか。あれもそういった魔物の類ではないのか。

 美女の肉体にサキュバスの頭だとしたら、淫乱女と見分けがつかないし変わらない。

 そんな想像をすると可笑しくて、筆者はついつい笑ってしまうのだ。



 翌日、床に落とした眼鏡を踏み割ってしまうのだが、それが予言によるものかは判別できなかったことを記しておく。

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