第3話 座敷牢で聖女ミントに聞いた話 前編

 トリアナン庁舎の資料室に篭って四時間あまり。

 目当ての会計資料を捜すだけで半日が過ぎてしまった。

 埃っぽい古い資料を漁る度に紙魚しみが駆けまわるものだから、なんだかそれだけで体が痒くなってきたように思う。

 紙の魚と書いてしみとはよく言ったものだ。

 銀の粉をはためかせる薄気味悪い虫は、潰すと粉っぽい身体を塵にして、その大きさには少なすぎる体液を遺す。

 なんとも不思議で不気味な虫だ。

「一等法務官殿、そんな古いものを引っ張り出して何をしている」

 背後からかけられた声に振り向けば、先任の女騎士であるミランダ・ギルスネイがにやついた笑みを張り付けていた。

「騎士ギルスネイ、仕事に必要な資料を捜していただけですよ」

「ふふん、騎士ともあろうものが書類漁りか」

 ミランダに愚弄されることも仕事の内だ。

 ギルスネイ家はトリアナン伯爵家に仕える騎士の家系である。彼らは世襲を許されていないため、子供のころから努力に努力を重ねて騎士となるのだ。

 遠い祖先が活躍したというだけで、何の努力も無しに騎士になったベイル・マーカスを憎らしく思うのも仕方ないことかもしれない。些か子供じみているのは否めないが。

「法務官ですから、ペンで書類と切り結ぶのが務めなのですよ」

「ペンより重いものを持ったことがなさそうだな。そのたるんだ身体を見れば分かるというものよ」

 ベイルは年齢と共に出た腹をシャツの上からつまんでみせた。そして、笑みを作る。

「こいつは歳のせいですよ」

「ヘラヘラとしおって、娘ほどに歳の離れた私に言われて恥ずかしくないのか」

 ベイル・マーカスは三十五歳、ミランダは十七歳。

「いやはや、返す言葉もありませんな」

 周りで見物をしている役人や小間使いはベイルに露骨な侮蔑の視線を投げかける。

「さて、急ぎの仕事でしてね。失礼させて頂きますよ」

 書類をどっこらせと持ち上げて、ベイルは歩き出す。

「話は終わっていない」

「ああ、そうだった。ペンなんぞより、紙はずっと重たいんですよ」

 ベイルはのんびりとそう言って、ミランダを放って先に進む。

 一等法務官には専用の執務室が与えられている。資料室のすぐ近くだ。

「……くそっ、意味の分からんことを」

 問答ともいえないものだったが、ミランダは臍を噛む。





 天道教会の司祭長に取り次ぎを願い二時間、空が茜色に染まるころになってようやく面会に至った。

「一等法務官のベイル・マーカスです」

「お役人がいかなる御用でしょうか」

 挨拶無しに自己紹介をした筆者に向かって、司祭長は名乗りもしなかった。

 厳格を絵に描いたような老婆である。今の一言で印象は最悪だろう。

「座敷牢にいらっしゃる聖女ミント様に御取次ぎを願います」

「……なんのことでしょうか」

 交渉事は苦手だ。こんな中年と老婆の腹の探り合いなど、誰も喜ばない。

「トリアナン伯爵は聖堂の修繕費と例祭の支出に疑念を抱かれています。今日は過去の資料もお持ちしましたよ」

「無礼な」

「聖女様に御取次ぎ願えたら、三年は不問にするとのことです」

 修道服に身を包んだ老婆は、じろりと筆者を睨む。

「アレに触れることは許しませんよ」

「興味ありません。シルセン子爵に起きたことを尋ねるだけです」

「……後悔しますよ」

 交渉はまとまった。

 聖堂の奥へ奥へと案内されて、迷路のような道を進む。

 天道教会の聖堂は有事の際には要塞に早変わりするため、複雑な構造をしている。宗教に力を持たせるとだいたいはこうなる。潰したくても潰せない武力と歴史と信仰に権威を背景にした病巣だ。

 教会騎士にじろじろと不躾な視線をぶつけられて、最奥の座敷牢へとたどり着いた。

「ここからは御一人で行かれなさいませ」

「私が不埒な真似をするとは思わないので?」

 老婆はそんな筆者の言葉を鼻で笑う。

 少し待ったが返答が無いので先に進んだ。




 聖女ミントは座敷牢の格子にしなだれかかって筆者を迎えてくれた。

 傾国の美女と謳われる聖女は、まるで遊女のような仕草で筆者を値踏みするように見た。


 以下は聖女ミントの話を小説として纏めたものである。





 ああ、シルセンって旦那様のことね。

 ほんとに変わった人だったわ。

 なにがあったかって、そんなの何回も言ったのに、また聞きたいの?

 本当の所って、うふふ、本当に聞きたいのね。

 別にいいけど、変な話よ。





 ミントという名前は奴隷商が与えてくれたものだ。

 見目麗しいマセた子供だったミントは、寒村の娘には有りようも無い破格値で引き取られた。

 十歳にして純潔を守ったまま性の技を修めていたミントは、買付にやって来た奴隷商に自ずから身売りを志願した。

 故郷がどこにあるかも分からないという有様だというのに、物心がついたころから、あの村が自分の居場所でないと知っていた。

 そんな、奇妙な少女は高級奴隷として、更なる性の手管と教養を最高の環境で叩き込まれた。

 奴隷調教師たちこぞってミントを褒め称え、奴隷商も彼女が生きた宝石と知って更なる磨きをかける。


 奴隷オークションの日、奴隷商と調教師たちは涙ながらにミントを見送った。

 奴隷といえば反抗されないように痛めつけるという印象があるものだが、そんなものは最底辺の犯罪奴隷か人さらいの話である。

 ミントのような高級奴隷は生きた宝石だ。

 合法的な奴隷は宝石異常にデリケートだ。商人が価値を下げる真似などしようもない。


 白熱する競売のさ中、ミントの瞳はシルセン子爵とだけ通じ合っていた。

 ああ、この人がご主人様なのね。と見た瞬間に分かった。


 当時、資源迷宮の所有者として巨万の富を得ていたシルセン子爵は驚くべき金額でミントを競り落とした。


「あのひと、子供が好きなひとだったの。うふふ、線が細くてね、とてもキレイな顔をしてて、指がとっても細くて長くて、柔らかいの」


 優しい男だった。

 体をまさぐる時も、とても繊細できめ細やかだった。


「あのひとのお屋敷はとっても古くて、とても暗かったわ」


 屋敷で子供はミント一人きりだった。

 ドレスを与えられて自由に歩かせてくれた。


「変なお屋敷なのよ。四つん這いで暗い所を歩いてるメイドだとか、おトイレをピカピカに磨くことだけしかしない侍女とか、おかしな人がいっぱい」


 シルセン子爵の屋敷に住まう人々は、奇妙で狂気じみていた。

 何より妙だったのは、メイドも侍女もみな、醜いのだ。それに反比例するように、男たちは下男までもがハンサムな顔立ちが揃っていた。


「あのひとがお仕事をしている昼間は退屈で仕方なかったから、ひとりでよく遊んだわ。毬つきをよくやったの。今も詠えるわ。ひとぉつ真っ赤なおべべ、ふたぁつしろいおみ足、みっつ月夜の御開帳。うふふ、いやな歌よね、これ」


 屋敷の女たちはその歌をよく口ずさんでいた。

 よくよく耳に飛び込んでくるので、すっかり覚えてしまったのだ。


「一人の毬つきって飽きてしまうでしょう? あら、そう。したことないのね。一度してみたらいいわ」


 毬が手を離れて拾いに行くと、先に毬を拾った子供がいた。


「すぐ仲良くなったのは覚えてるのに、あの子がどんな顔をしてたかは覚えてないの。うん、名前も知ってたはずなのに、今は思い出せない。不思議ね」


 古い様式のドレスを着た美しい少女だった。


「とっても偉いひとだっていうのは分かったわ。お貴族様でもとっても偉い人っていうの? そういうのはすぐ分かった」


 その子はとても気さくで、身分違いのミントに優しくしてくれた。

 侍女にいたずらをすることもあったし、一緒に御本を読むこともあった。

 中でもお気に入りの遊びは、水鏡だった。


「水鏡って、そんな遊び聞いたことないでしょう? 普通の遊びだと思ってたんだけどねぇ」


 水を張った盥を用意して、あとは少女が水面を撫でるだけ。

 盥の水面に様々な景色が見える。

 旦那様が働いている姿、侍女が必死でトイレを磨く姿、納屋で睦み合う下男と庭師。

 遠くの場所が見えるのだ。

 ミントが特に好きだったのは、明日を見ることだった。



 明日、何が起きるか。

 天気も分かったし、明日食べるご飯だって見えた。

 明日の風景の中には、奇妙なものがたくさん映っていた。

 四つん這いで暗がりを歩くメイドの頭は大きな蜘蛛だった。トイレを磨く侍女の舌は胸まで伸びて便器を舐め回していた。そして、ミントはいつも青白い死人のような顔をして、口からは真っ黒な血を垂れ流していた。


「明日を見るとさ、その人のホントが映るんだって。あのひとは、旦那様は鬼の形相で、本当にオーガみたいな顔をしてたわ」


 少女との日々はそんな不思議に満ちていた。


「でも、あれは嫌だったかなあ」


 少女はミントに髪をかすようせがんだ。

 断れるはずもなくくしけずるのだけど、髪の間から小さな虫が這い出してくる。

 最初はシラミの類かと思ったが、違う。それらは小さなゴマ粒のような人である。

 それらは、櫛に挟まれてぷちぷちと潰れていった。

 薄気味悪いというのに、潰すのに熱中していく。

 梳いては潰し梳いては潰し、一匹も残さないように、小さな小さな人を潰していった。瞬く間に時間が過ぎていく。


 少女の髪は美しく整えられる。


「いつもお礼だからって、お菓子をくれるの」


 不思議なお菓子だった。

 見たことも無い果実を干したもので、とろりとした果肉に強い甘味があった。


「でも、あのお菓子、たまに動くの。うふふ、ぴいって悲鳴を上げるのよ」


 虫の幼虫みたいなものなんだろうと思っていた。

 寒村に暮らしていたころはよく食べていた。だけど、虫はこんなに美味しくないから、虫ではなかったのかもしれない。


「あのときは、とっても不思議で幸せだったわ」


 優しい旦那様に、素敵なお友達。ヘンだけど敵のいな我が家。

 満ち足りた日々だった。

 ミントが欲しいものが全て揃っている。




 窓から差し込む夕日はすっかり落ちて、薄暗くなっていた。

 筆者は壁の燭台に火を入れた。

 蝋燭の灯りに照らされる座敷牢は、罪人のためのものではない。その証拠に、家具は一流品で天蓋付きの寝台まで用意されている。

「おじさん、まだ聞くの?」

「ああ、次はいつになるか分からないから、聞かせてくれないかな」

 童女のように笑う聖女は、豊かな胸を格子に押し付けて、扇情的な仕草で筆者に手を伸ばした。

「ねえ、お菓子、欲しいの」

 懐を漁ってみたけど、何も無い。

「ごめん、持ってないんだ」

「嘘はいやあよ。ねえ持ってるんでしょ」

「話してくれたら、持ってくるよ」

「いじわるだわ、あなたって」

 聖女ミントは美しい唇を尖らせた。

 この女が狂っているのか、それともこれは本当の話なのか。

 早く続きを聞きたい。

 シルセンの物語の真実というだけで、知りたくてたまらない。

 あの出鱈目臭い幽霊話の真実は、きっと聖女ミントよりも狂っていて恐ろしいはずだ。

「おじさんって、ヘンなひとね」

「よく言われるよ」

 聖女は薄らと嗤って、座敷牢の便所へ向かった。

 小便の音をわざと響かせる。

 物狂いの類なのか、それとも誘惑でもしているのか、生憎と小娘に興味は無い。

「まあいいか、話してあげる」

「ありがとう」

 聖女ミントの語る話は、さらに続く。

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