第2話 ドワーフの鍛冶師ガルブに聞いた話
トリアナンの都には資源迷宮に潜る冒険者が多く集まる。
需要と供給という言葉が示すように、冒険者向きの商店も数多く存在していた。誰もが思い浮かべるその代表格が鍛冶屋であろう。
わたしらドワーフはみんなが一流の鍛冶師だよ。
人間から見た話だがね。
熟達の鍛冶師であるガルブは筆者に向かってどこか挑発的に言い放った。
一等法務官であり世襲とはいえ騎士の肩書を持つ筆者は、役人として高い地位にいる。
鍛冶屋を営む者が役人にする態度ではないが、筆者も袖の下が欲しくて来た訳ではない。
「シルセン子爵の剣について聞きにきた」
ガルブはドワーフの特徴とも言える長い髭をしごく手を止めた。
苦虫を噛み潰したか、虎の尾を踏んだか、鉄面皮からでも読み取れるほどに彼の表情は強張った。
「あれはもう済んだ話だ。あんたも与太話を信じてるクチかよ」
「与太話を聞きにきたんだ。話してくれたら、血の付いた武具を鋳潰したことを根掘り葉掘り聞くこともない」
ガルブは今度こそ怒りを隠さずに「湿った金床め」と叫んだ。
人間がいうところの「クソッタレ」または「クソ野郎」のようなドワーフ
「長い話でもいいさ。土産もあるよ」
こうなることを予想して用意してきた酒壺とクラーケンの塩漬けを取り出してみせると、ガルブは憮然とした顔のまま椅子とテーブルを用意してくれた。
ドワーフ用の椅子は低くて大きすぎたし、テーブルは低すぎる。彼なりの意趣返しだろう。
「俺もあの剣については、よく分かってねえんだ」
「それでいいよ。話してくれ」
何度も後ろを振り返りながら、ガルブは渋々承諾した。
ガルブの話を小説として纏めたものが下記となる。
ドワーフ特有の言い回しが多いために、ある程度は表現を変えていることを先に申し上げておく。
始まりは、今から十数年前の話である。
◆
ガルブの師匠であったグラゼルは、掛け値なしの天才であった。
あまりにも良い出来の武具に火神の加護が降りたなどという言い回しを使うドワーフが、火神の寵児とまで呼んだのがグラゼルである。
実用的で無骨な剣から、細やかな装飾が施されながら実用にも耐えうる美剣、さらには特定の種族を瓜を割るかのごとく膾にしたとされる魔剣まで、グラゼルの造る剣の全てには神性が宿っていた。
「大げさだと思うだろ? そうじゃねえんだ。師匠のアレは本物さ。ま、本人は火神なんぞの子供になったつもりは無いと言ってたがあね」
そんなグラゼルだが、下手物を造っていたことはあまり知られていない。
鋸のような歯の片手剣、鞭のようにしなる剣、肉に当てれば必ず折れる剣、ストローのように中を空洞にして刺すことで失血死させる剣。
探究心から造られた邪剣である。
ガルブからすれば、それはただ単に実験作にすぎず下手物ですらないのだとか。
「俺のとこにもまだ一本あるんだ。へへへ、師匠が一人前の証にな、くれたんだよ。まあ、見てみな」
ガルブは鍛冶場へと赴いて、火神の小祭壇からそれを持ってきた。
それは短剣である。
「……なんだこれは」
「短剣だよ」
柄の部分は裸婦の彫像。刃を納める鞘は男根そのままの形である。
あまりにも精緻な裸婦の彫像は今にも動き出しそうである。そして、同じく男根もまた活力という意味ではこれ以上ないほどの躍動感に溢れている。
「師匠はこういうのを造って、造りたくもないモンで溜まった毒を抜いてたんだよ」
「なるほど」
分からないでもない。天才だって自分の造りたいものだけを造れるという訳ではないのだ。
「まあ、こんなもん作るからおかしくなったんだろうけどよ」
◆
鍛冶の旅修行を終えてトリアナンに戻り、久しぶりに会った師匠と酒宴を開くことになった。
ドワーフは酒好きだ。
馴染の居酒屋でやっていると、グラゼルは不意に杯を持つ手を止めた。
「ん、なんじゃ」
振り返ってそう言った先に、誰もいない。
「師匠、どうしたんですか」
「いや、なんでもない。空耳じゃよ」
ガルブの問いかけに、グラゼルは何かを誤魔化すように早口でそう答えた。
生涯現役を信条としている師だが、老いたのだとガルブは感じた。
鉄の声を聞け、そんな口癖を持つ師も空耳に振り向くこともある。老いは誰にも等しくやってくる。
旅の話などで盛り上がり、そのまま師匠の工房で飲み直すことになった。
懐かしい工房に足を踏み入れて、ガルブは違和感を覚えた。
何も変わっていないように見えるのに、どこか違う。
あの張りつめた空気が無い。むしろ、淀んでいるように感じた。
見やれば、様々な工具が乱雑に放り出されていて、かつての工房では考えられないほどに雑然としていた。
「弟子はみんな外にやってな。今は一人でやってるんじゃ。好きなもんだけ造ろうと思っての」
「へえ、そうですかい」
ガルブにとっては信じがたいことだったが、師に何かがあったのだと悟り追及はしなかった。
老境に差し掛かれば、好きなことだけをしたくなるのも仕方ないことである。
工房の燭台に灯りを着けて、師匠の秘蔵であるという火酒を呑む。
「儂はなぁ、剣なんぞ打たんと決めたんじゃ」
「それはまた」
「ははは、剣は生きるためのもんじゃ。後は死ぬだけの儂にはもういらん。ほれ、その代わり、これを見てみい」
猫が遊んだ後の毛糸玉のような鉄の塊。
胸と尻が異常なまでに強調された裸婦の彫像。
理解不能であったりエロティックな意匠は、どこか寒々しい印象だった。奇をてらうことだけを狙った薄っぺらな意匠である。なまじ腕がいいだけに荒涼とした雰囲気がある。
「ほほう、これはなんとも」
「ガルブよ、つまらんじゃろ。こんなもんしか出来んのよ」
「……師匠」
「やっぱり儂は、剣だけなんじゃなあ」
妻も子供もいない。
ただ、剣を造り続けただけの老人がいた。
「師匠、剣を打ってはみませんか」
「それを言うたのはお前だけじゃ。ひひひ、儂がこんなガラクタを造って、他の弟子は安心をしとる。素晴らしいなんぞと言っての。ひひひ、お前だけは特別じゃ。来い」
グラセルは立ち上がると、相当の酒を呑んでいるというのにしっかりした足取りで鍛冶場を出た。
工房から出て、以前は弟子が住む宿舎であった建屋へ向かう。
グラゼルが鍵を開けて宿舎のドアを開けると、そこもまた鍛冶場であった。
「こいつは、新しく造ったんですかい」
「ひひっ、あっちは凡俗と火神の目を欺く囮よ。耄碌などしとらんわ」
足を踏み入れて、息苦しさに咳き込んだ。
整然と工具が並び、師匠の几帳面さが出ている鍛冶場は修行時代と変わらない。なのに、ここは荒れ果てた工房よりもずっと、荒んで淀んだ空気に満ちている。
「儂はずっと、剣に神性なぞ求めておらんかったよ。持ち主の格を高めるための飾り、勇者とかいう小僧のために打ったよく切れるだけの剣、あんなものは剣の本質ではないわ」
グラゼルは狂気じみた笑みを浮かべる。
「剣とは、命を奪うものでいいんじゃ。手の中にある死そのものよ。それが剣ではないか」
視線を感じてそちらを見る。
炉にくべる薪を置くべき場所に、薄汚れた人形が積み上げられている。
鋳潰すのだろうか、ひどい臭いのする武具も一つに纏められていた。
「聖別された鉄に精霊銀、そんなものはいらん。恨みや嘆きのこもった武具でいい。燃やす炎も同じじゃよ。火神の火など金床が湿るわっ。ひひ、儂が造りたいのは最高傑作じゃ。あんなガラクタで喜んどる阿呆共に本物を見せてやるのよ」
ガルブはなし崩し的に、その最高傑作とやらを造る助手となった。
様々な材料を集めた。
人形の祠から取ってきた人形だけではどうにも上手くいかず、横死した者の遺髪を用いる。
鉄はできるだけ人を多く殺した剣や、自殺に用いられたものを厳選する。
様々な道具を死にまつわるもので取り揃えた。
恐るべき剣を造ることに熱中した。
何よりも、狂気にも似た師匠の真の姿に魅了されていた。天才は人を惹きつける。
師匠の空耳が増えた。
「ん、おお、もう少し、もう少しじゃでな」
最初は狂気のなせるものかと思っていたが、日を追うごとに、師の語りかけるそれが形をなしていく。
最初は影のようなもの、次は人の形になって、その後はもっとはっきりと子供の形をしていると分かった。
そんなこともあるだろうと、不思議にも思わなかった。
完成を間近に控えた日のことだ。
疲れ果てて眠るグラゼルとは逆に、ガルブは眠れなかった。
口の中が乾く。とにかく冷たい水が飲みたかくなり、外の井戸へ向かった。
「おい、ガルブ」
「えっ」
懐かしい声に振り返った瞬間、顎に衝撃。
殴られて無様に転ぶ。
茫然と見上げた先には、一人のドワーフがいた。
「父ちゃん」
死んだはずの父が怒りの形相で仁王立ちしている。
子供のころに手ひどく叱られた時と同じ顔だった。
何か言おうとしたら、すうと空気に溶けるようにして消えた。
ガルブは急に恐ろしくなった。
火神に唾を吐くような行いに熱中し、鍛冶場を穢すような真似をしていたことに、今更になって恐怖と後悔に襲われる。
こんな所にいてはいけない。
荷物を取りに戻って、姿をくらまそうと思った。
鍛冶場を見やれば、入口に子供の姿がある。
貴族のお姫様のような格好をした人間の少女だ。
こっちをじっと見ている。
「あ、あああ」
ガルブは逃げた。
目の前で、その子供の顎が地面にまで落ちたのが分かったからだ。
工房の敷地から出て振り返れば、グラゼルが子供と共に立っている。二人の目は落ち窪み、暗黒の淵のように黒々としている。
悲鳴を上げて走った。
背後からはたくさんの笑い声が響いていて、耳を塞いで聞こえなくなるまで走り続けた。
錯乱して教会に駆けこみ、そのまま高熱を出して三日ほど寝込んだ。
癒し手がいなければ、そのまま死んでいてもおかしくないほどの高熱だったという。
◆
「後は、あんたも知ってるとおりだよ」
ガルブは語り終えると、火酒を呷った。
「グラゼルは剣を完成させて、シルセン子爵に献上したのか」
「あそこまで出来てりゃあ、師匠一人でもできただろうよ。シルセンのことは嫌ってたからな」
シルセン子爵と剣にまつわる事件もまた、有名な怪異譚である。
まことしやかに語られ、芝居の演目ともなった怪異譚だが、流布している話と現実は大きく異なる。
筆者は酒を好まない。酒壺はそのままガルブに進呈して立ち去ることにした。
「おっ」
帰り支度をしていると、そんな声を上げてガルブは後ろを振り返って、何事か独り言を呟いた。
「なあ、アンタ、薄気味悪い話を集めてるって言ってたよな」
「ああ、それがどうした」
「呼ばれても、振り返るなよ」
去り際に厭なことを言われた。
筆者は幽霊や怪異が好きでたまらない。しかし、それは安全なところから見るから楽しいのだ。
帰り道は、後ろが気になって仕方なかった。
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