法務官ベイル・マーカスの怪奇記録 『人形の祠』

海老

第1話 神聖魔法医師リーリシアに聞いた話

 城塞都市トリアナンは近郊に幾つかの資源迷宮が存在する大都市だ。

 資源迷宮から採取される剥ぎ取り品や魔石売買による莫大な富。それを目当てにやってくる旅人や商人たち。そして、冒険者。

 トリアナン伯爵の治める城塞都市は、年々その密度を増して、今では城壁の外にもスラムを形成するに至った。

 一攫千金を夢見る冒険者、虎視眈々と富の流れをつかもうとする商人、食い詰め者、様々な野心と欲望の渦巻く大迷宮都市。

 人々の生気が強ければ強いほど、陰もまた深くなる。




 低層冒険者向け資源迷宮として有名な『ダリオの嘆き谷』。その中腹には人形の祠ドールズシュラインと呼ばれる休息地がある。

 一見すれば、そこは長く人の住んでいないあばら家だ。

 荒れ果てたあばら家に魔物は近寄らない。

 ダンジョンの安全地帯である。

 だというのに、足を踏み入れた者の多くが悲鳴を上げるという。

 あばら家の中には色とりどりの人形が無数に飾られ、乾燥花や獣の頭骨などが意味ありげに柱にくくりつけられている。大小の蝋燭から発せられる炎の揺らめきがそれらを照らし出すのだ。

 筆者も小さく悲鳴を上げてしまった一人である。

 あまりにも多くの人形に囲まれると、人間こそが場違いな闖入者のようで、不安と恐怖に襲われる。


 この祠には奇妙な話が多く残されている。

 そのほとんどは人形が動いただとか髪が伸びるだとか喋っただとか、どこにでもあるような他愛ない怪談話である。

 新人冒険者にとっては貴重な安全地帯で、屋根のあるまともな休息地だ。その怪談のほとんどが、安全地で気の緩んだ新人をビビらせるためのデタラメであると思われている。

「あそこは、安全な場所なんかじゃないですよ」

 と、目を伏せて教えてくれたのは、元修道女で神聖魔法医師のリーリシアである。


 リーリシア女史は還俗して現在は診療所を営んでいる妙齢の女性だ。

 終業後の診察室でお話を伺った。

「私も人形を捨てた一人です。あんなことしなかったらよかったって、今は思います」

 忌まわしい、口にも出したくないといった様子で絞り出した一言である。

「魔物やアンデッドが住みついているとか、魔女が住んでるとか、そんな意味ですか」

「いいえ、あそこに魔物や魔女はいないんです。アンデッドも近寄りません」

 かつて、邪教の巣窟であるとの通報があり、天道教会が調査に赴いたことがある。

 調査の結果はシロ。ただ人形があるだけのあばら家であると判明した。

 地権者が不明なこともあって、取り壊されず今も放置されている。

「たくさんの人形は、どうして?」

「最初に誰かが人形を捨てたんだと思います。それから、誰かがまた捨てて、捨てられない人形だとか、そういうものを置いていくことになったみたいなんです」

 冒険者のアルバイトの一つに、人形供養が存在する。

 供養といっても、ただ人形をあばら家に持っていくだけだ。それにまつわる奇妙な話も幾つか蒐集しているが、今は割愛させて頂く。

 人形の祠の噂が流れ始めて二十年あまり。人形供養と称して多くの必要なくなった人形が、来歴不明のあばら家に奉納され続けている。




 リーリシアが修道女であったころ、人々に癒しを施していた。

 この場合の癒しというのは、古い言葉で時戻しと表現される神聖回復魔法と医術のことだ。教会は今でも『時戻し』と『魔法』という言葉を嫌うため、癒しと称するのだとか。

 言ってはなんだが、夜の商売を連想させられる響きだ。

 話が逸れてしまったが、リーリシアの話を小説として纏めたものが下記である。




 シャンティという冒険者は、前衛で剣を振る女戦士だった。

 新人のころから生傷が絶えず、何度も教会に運び込まれてくるシャンティは、リーリシアにとっては妹分のような存在だった。

 気が合ったというのもあるが、いつの間にか仲良く、歳の離れた友人になった。


「リーリ、ちょっと聞いて欲しいんだけど」

 目立つ傷も無いのに教会にやって来たシャンティは、暖かな笑みを浮かべて珍しくワンピースなどを着ている。

「まあ、お洒落してどうしたの?」

「うん、彼氏……、できたの」

 リーリシアは「まあ」と驚いてから祝辞を述べた。

 シャンティのように男勝りな女性が良縁に恵まれることは多くない。理由は言わずもがなだが、彼女たちはだいたい同じ冒険者と最終的には結ばれるものだ。それは引退を意味している。

「で、どんな人なの」

「えへへ、今は事情があってナイショなんだけどね」

 ワンピースも彼氏に買ってもらったものだとか。

 詐欺や女食いの類を連想したリーリシアだが、ワンピースは最低でも金貨を三枚は積まないと買えないような代物である。

 シャンティにそれだけの金をかけて騙す価値は無い。

 逞しい女の好きなボンボンにでも見初められたのだと考えた。

「そう、今度会わせてほしいわ」

「うん、もう少ししたら、そういうのもできると思うから」

 シャンティはそう言って幸せそうに笑った。


 その幸せも長くは続かなかった。


「リーリ、お願いがあるの」

 教会に顔を出したシャンティの顔色と体つきを見て、リーリシアは全てを悟った。

 シャンティのお願いは、大きくなったお腹を萎ませることだった。

 天道教会は堕胎を悪であると断言はしてないが、必要悪だとも言わない。

「シャンティ、そんなに大きくなったら、もう産むしかないの。私も手伝うわ、だから」

「そうよね、リーリはそう言うよね」

 一晩よく考えると言って、シャンティは去った。

 それからしばらく彼女の姿を見ない日々が続く。

 三月ほどして見かけたシャンティはひどくやつれていて、お腹は凹んでいた。

 リーリシアが会いにいっても、すげなく断られるか居留守を使われた。

 シャンティは剣や鎧を売り払ってなんとか生活していたが、次第に様子がおかしくなり、薬物の使用を疑われ、仲間から金を借りて返さず、そんなことを繰り返して居場所を失った。

 再会は金の無心で、リーリシアは涙をこらえて銀貨を渡した。

「リーリ、ありがとうね」

 それが、最後に聞いた声である。


 その後、シャンティの噂を聞いた。

 スラムで体を売っていたとか、魔物に殺されたとか、荒野を裸で歩いていたとか、どれも厭な噂話だった。

 不思議なことに、誰も彼女を捨てた男の話はしなかった。



 前述した人形の祠の調査にはリーリシアも同行している。

 天道教の修道女として神聖魔法を修めたリーリシアは、修行時代にはレイスと死闘を繰り広げたほどの実力者だ。

 人形の祠はひどく不気味だが、それだけだ。

 そこかしこにある不気味なものには、どれも気味が悪いという以外の意味は無い。悪魔の召喚陣もなければ生贄の痕跡も無かった。


 人形が最も集まる『祭壇』と呼ばれている部屋には、足の踏み場も無いほどの人形が飾られていた。

 怪物との戦いに半生を置いた教会騎士までが顔色を変えたというのだから、その不気味さは相当なものである。

 どの人形も闖入者たる人間たちを睥睨しているかのようであった。

 リーリシアだけは、別の視線を感じていた。

「え」

 それは天上の梁からのもので、見上げれば、梁にくくりつけられた人形と目が合って、小さく悲鳴を上げてしまった。

「なんだ、人形ではないか」

 悲鳴に反応した教会騎士は恐怖を隠すためにそんな軽口を叩いた。

 リーリシアは動けなかった。


 叫びたいのに、声が出ない。全身がバインドの魔法をかけられたかのように動かないのだ。それなのに、目だけが動く。


 天井の梁には薄汚れた女がいた。

 ゴブリンほどの大きさに縮んで、四足で梁の上からリーリシアを見つめるシャンティがいる。その胸に、干からびた赤子を抱いて。

 狂女と化しているだけなら、どれだけ幸せだろうか。

 シャンティの股座は腹まで裂けていた。あんな姿で生きていけるはずが無い。

 声が出せていたら、悲鳴を上げて腰を抜かしていただろう。


 あれはアンデッドではない。死の世界にいるものだ。動く死体や魔力瘴気で動く霊体などではない。もっと恐ろしい、人のなれの果てだ。


 教義を否定する、修道女として持ってはいけない考えである。


 息が上手く吸えない。

 シャンティが口を開く。

 見てはいけない。聞いてはいけない。


 そこから先のことは覚えていない。

 幸運にも昏倒することができた。



 語り終えたリーリシア女史は大きくため息をついた。

「シャンティは、たまに子供を見せにきます」

 あれから、日常のふとした瞬間にシャンティの影を見るのだとか。

 視線を感じて見やれば、鼠ほどの大きさに縮んだ彼女が走り去っていく。その胸に何かを抱いているのだけは、走り方で分かる。

「考えすぎですよ」

「そうであったらどんなにいいか。神様は助けてくれませんでしたし、これはきっと罰なのでしょう」

「罰を与えられるのはあなたではありませんよ。法に触れることは何一つ無い」

 一等法務官にして世襲騎士でもある筆者の言葉に、リーリシアは皮肉げな笑みを浮かべた。

「あのとき、私が堕胎の邪術を施すべきでした」

 シャンティは二流の堕胎医によって、二度と子供を産めない体にされたのだとリーリシアは言う。

「確かめたんですか?」

「いいえ、年々縮んでいって分かりにくくなっていますけど、あの傷は堕胎の痕です。それも、腹を裂く荒っぽい、最悪の内容の」

 リーリシアの手が震えていた。

「マーカスさんの後ろを通り過ぎましたよ」

 はっ、と振り向いたが何も無い。

「冗談、冗談ですよ」

「よして下さい」

「ごめんなさい。ああ、それと、あの時、シャンティの持ってた人形、新人のシャンティに供養してくれって、人形の祠に持っていかせた人形なんです」

「見間違いか気のせいですよ」

 リーリシアは首を横に振る。

「いいえ、あれは堕胎と出産の術を学ぶ時に使う人形なんです。見間違えはしません」

 リーリシアが還俗したのは、世間体を気にせずどんな治療でも受けられる診療所を作るためだ。

 彼女は堕胎もやれば出産にも立ち会う。

 誰であれ、理由を問わず施術する。

 優しい魔女リーリシア。

 それが、彼女のあだ名である。

「ありがとうございます。良い話でした」

「……ご満足頂けたのね」

「約束通り、診療所の認可申請は通るようにしておきますよ」

 筆者は訳があって人形の祠にまつわる話を蒐集している。

 手段を選べない事情があり、話を聴き出すのに多少権力を使わせてもらった。

 おかげで、少しずつ分かってきたことがある。

「余計なことだけど、やめておいた方がいいわよ」

 その忠告は筆者には響かない。

 こんなに楽しいことは止められないからだ。

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