ヴェルデ、ヴェルデ、ヴェルデ

南枯添一

第1話

 

  日曜の朝、いつものようにクラブへ顔を出すつもりで、アパートの中庭まで下りた。中庭は狭くて、日当たりが悪い。通りに面して、木製の大きな扉があって、大抵は朝一で開け放たれる。通りを挟んで立ち並ぶ、暇そうな商店の軒先がいつもはそこから窺える。

 けれど、その朝、ちょうど下まで降りたときは眺めを遮るようにして停まる、黒いマスタングが見えた。

 庭木の陰に身体を隠した理由は、俺にも分らない。嫌な予感がしたんだと思う。

 マスタングから降りてきた四人は、一人を除いて、警官の制服を身につけていた。固まって、中庭に入ってきたそいつらは、真っ直ぐにアパートへ入った。

 しばらくして出てきた連中は、やっぱりオヤジを連れていた。寝癖が付いたままの髪や、よれよれのシャツはいつものオヤジだが、顎の青い陰は違う。髭も剃らしてもらえなかったんだ。けど、それだけだった。オヤジは不機嫌そうだったが、怯えてもいなかったし、暴れたりもしなかった。むしろ、自分からスタスタとマスタングに向かった。

 車の手前まで来たとき、ママァが出てきた。ホンの短い間に、ママァが着替えたのが分った。化粧までしていた。けど、よく見たら裸足だった。

 ママァにはその場にオヤジしかいないかのようだった。真っ直ぐに、立ち止まって振り向いたオヤジに向かい、最後はオヤジを引き寄せて、抱きしめた。やせっぽちのオヤジはママァの半分くらいの目方しかない。

 無視された警官たちは顔をしかめていて、一人が何かを言いかけた。けれど、そいつだけ制服を着ていない、のっぺりした顔の小男が、尊大な仕草でそれを制した。そいつの顔は表情が左右で非対称で、唇の左端だけがまくれ上がっていた。笑ってるんだと気付くのに時間が掛かった。

 非対称は指を振り回して、言った。

「好きにさせてやれ。これが最後になるかも知れないんだから」

 ママァの長い抱擁が終わると、今度は連中がママァを無視する番だった。連中はオヤジを後部座席に押し込み、制服姿の二人が挟み込んだ。小男が助手席に座ると同時に、マスタングは動き出して、そのまま行ってしまった。

 そうなってから、俺は庭木の陰から出て、ママァに近づいた。マスタングが盛大に吐き出した排ガスがまだ辺りに漂っていた。ママァが振り向きもせずに言った。

「わたしはあの人を取り戻す。何をしても取り戻す」そこで振り向いて俺を見た。

「セルヒオ。悪いけれど、それまであなたのことはほったらかしになるわ。構っていられない。まだ小さいあなたにこんなことを言うのは心苦しいのだけれど、お願い。少しの間、自分のことは自分で面倒をみてちょうだい」

 俺は通りの、オヤジがさらわれていった方角を眺め、うなずく代わりに肩をすくめた。

「小さいって、もう、ガキじゃねぇし」


 その足でクラブに行き、当分の間、練習にも試合にも出れないと告げた。初めて堅気のクラブに所属できて、キャリアの第一歩を踏み出したところだったから、残念なのは確かだったが、仕方のないことだ。それから、仲間に会いに行った。今のチームに所属する前、お遊びで作ってたチームのメンバーが、今でも俺の一番の仲間だ。

 今の時分、連中が集まっていそうな場所を考えて、俺は蟻の店に行った。

 オルミガは、昔のチームで右のラテラルをやってたチビで、おまけに色黒だから、そんなあだ名で呼ばれてた。蟻の店と言うのは、蟻の父親がやってるシチリア料理店で、流行ってないわけじゃないが、やけに細長くて窓が無いもんだから、奥の方までは滅多に客が入らない。だから、その辺りなら俺たちがたむろしてても、大抵は大目に見てもらえる。

 今日も4,5人がいた。連中の顔色を見て、ニュースはうに広まっていることが分った。オヤジは「アカ」のジャーナリストで通ってたから、そのうちこんなことになるだろうって、みんなが思ってたんだ。だから、回りくどい話は抜きで、俺も単刀直入に言った。

「なんか、働き口ないか?」

「働く?」アタカンテとして俺と組んでたペドロが尋ねた。

「ああ」と俺。

 当分の間、自分の食い扶持くらいは、自分で稼がなきゃならない。そう説明した。

「なるほど」ペドロはうなずいてから、ポンと手を叩いた。何か心当たりでもあるのかと思えば、

「小金を貯めてる、金貸しの婆さんを知ってるぜ」

「あのな」

「分ってる」したり顔で付け加える。「得物が入り用なんだろ。蟻に頼んでみろよ」

「ああ? うーん。それは――」

「犯罪は却下」俺は言いかける蟻を制して言った。「まだ、そこまで切羽詰まってねぇよ」

「プロになれよ」これはポルテーロだったのっぽ。「おまえの左脚で稼ぐんだ」

「雇ってくれるチームがあればの話だろ」

「おまえ、将来はプロになる気で今のチームに入ったんじゃなかったか?」

「将来はな。将来。俺はディエゴじゃねぇんだ」

「薬屋の後家を知ってるだろ」蟻が言いだした。「おまえのことを、やけに潤んだ流し目で見てたぜ」

「……」

 ふざけてるんじゃなくて、真面目に考えてこれだから救いがない。いくら友達でも、こいつらなんかに相談したことを、俺は後悔し始めた。そのとき、脇から声が掛かった。

「俺に一つ心当たりがある」

 脇の小卓で、読んでた新聞を畳みながらそう言ったのは、蟻の大勢いる兄貴たちの一人だった。誰だっけ? と思っていたら、蟻が言った。

「ほんとかい? マリオ」

「ああ」マリオは蟻にじゃなく、俺にうなずいて見せた。「明日の昼に、もう一度ここに来な」


「あのさ。有り難いとは思ってるんだ……」

 街道脇に立ち、マリオに連れて行かれた店の看板を見上げながら、俺は言いかけた。ネオンはまだ点いてないが、誰が見たって酒場だ。職場の選り好みはしないが、さばを読んでも十四歳の、働き口なんかあるのかよ。

「十八だって言ってある」マリオが言った。「それで押し通せ」

 俺は改めて、昔の西部劇に出てくるサルーンみたいな店の構えを眺めた。ま、俺だってかっぱらいや追いはぎがしたいわけじゃない。

 マリオに付いて入った店の中は、開店前のせいか、ひどく殺風景だった。ガランと空っぽな感じで、ぼんやりと薄暗い。饐えた臭いがした。煙草やアルコールの匂いでもなかった。強いて言うなら、ヘビースモーカーや酔っ払いの体臭だ。そいつが建物自体に染みついていた。

 ここに居るように、俺に指示してから、マリオは奥へ入っていった。

 残った俺は辺りを見回し、そこにいるのは俺だけじゃないことに気付いた。右手の奥にだだ長いカウンターが走ってて、その隅っこで、えらく色の黒いじいさんが豆の煮たのを喰っていた。じいさんは喰うのに夢中らしく、俺には視線も寄こさなかったから、俺もじいさんのことは気にしないことにした。

 そのうち、マリオが戻ってきた。髭をチックで固めた、痩せて顔色の悪い男を連れていた。そいつは俺を一目見て、鼻に皺を寄せ、年は幾つだと訊いた。

「十八です。セニョール」

 言われてた通りに答えると、そいつは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

 俺はどうがんばっても、十五以上には見えないから、無理もないんだが、それでもむかついた。むかついた俺が全てをぶちこわしにするような台詞を返す寸前に、カウンターのじいさんが口を挟んだ。

「ギターラは弾けるか?」

 じいさんは豆の皿から顔も上げていなかった。

「もちろん」

 もちろん、生まれてこの方、指一本触れたこともない。

カンテはどうだ?」

「自分で言うのはなんだけど、友達には天使ようだってだって言われてます」

 じいさんは大きなゲップをすると、汚れたナプキンで口を拭って、立ち上がった。

 後で知ったんだが、この店には小さなステージがあって、毎晩ちょっとしたショウを見せた。じいさんはそっちの責任者だったんだ。

 もちろん、じいさんは俺を出演者としてスカウトしたいわけじゃないから、唄もギターも、ホントはどうでもよかった。実はじいさん、人手が足りなくて困ってたんだ。それまで助手に使ってた若いのが、じいさんの緩い基準でも、手癖が悪すぎたんだとさ。

 立ち上がったじいさんは、それでも俺のことを睨めつけた。

「なんでもいい。一曲歌って見せろ」

 仕方がないだろ。

 最初の一節が終わる前に、じいさんは俺を止めた。あきれたように首を振る。

「それが天使の歌声だと」

「天使は唄がうまいって、聖書のどこに書いてあるんです? セニョール」


 そんなわけで、俺はじいさんの助手兼酒場の下働きとして、働き始めた。給金は雀の涙だったが、無いよりましだ。それに夜の仕事だから、昼間は学校に行ける。ママァはそれを知って喜んだ。

 仕事の内容はもっぱらバックステージでの雑用だった。これが幾らでもあった。こんなところのステージに登るような連中はさ、とにかく世話が焼けるんだ。正直、子守の方がよっぽど楽だと思う。少なくとも、赤ん坊は酒瓶を投げつけて、鏡を割ったりはしない。

 言ったように、じいさんは俺が歌えると思ってたわけじゃない。けど、ステージに登ることもないわけじゃなかった。演者と演者の合間で、次の演者を紹介したり、時には間をつなぐのも俺の仕事だったからだ。

 次の演者が飲み過ぎたか、ケンカを始めたかで、延々間を持たされることはしょっちゅうだった。何度かは「天使の歌声」を披露する羽目になった。外したら負けのペナルティを蹴ったことが、プロになってから一度だけある。毎度毎度、そんときくらい嫌な汗をかいた。

 ヴェルデに始めて声を掛けられたのも、そんな歌披露の後だった。


 そのとき、俺はステージを逃げるみたいに飛び降りて、裏の仕事のために店内を斜めに過ぎっていた。

「おーい。ぼうや。ぼうや。ぼ・う・や」

 俺は立ち止まって、バーカウンターで他の客が振り向くくらいの大声を出してる男を見た。そいつには見覚えがあった。いつも遅くに来て閉店まで粘る、人相の悪い客だ。いつもカウンターの端に離れて座り、何事かを低い声でつぶやきながら、一人で飲んでる。ヴェルデと呼ばれてたのは、そのつぶやきが「ヴェルデ、ヴェルデ」と聞こえるせいだった。

 目鼻の寄った悪党面にはいつも脂が浮いていて、着た切り雀のスーツはつんつるてんで、おまけにくしゃくしゃだった。上背は俺と同じくらいしかなく、太鼓腹で、近づくと嫌な匂いがした。

「セニョール」近づいてから俺は言った。「ぼうやは止せ」

「ほお」ヴェルデはニヤリと笑った。「ぼうやじゃなくて、大人の男だって言うなら、これくらい飲めなきゃな」

 ヴェルデはカウンターの中に手を突っ込むと、勝手にショットグラスを取り出して、自分のボトルから縁まで注いだ。

「仕事中です、セニョール」グラスを突き出されて、俺は言った。

「それにやくざの酒は飲まない」

 それを聞いてヴェルデは腹を抱えて笑った。ひとしきり笑った後、カウンターの中のバーテンダーを振り向いた。

「客の相手をするのも仕事のうちだよな」

 初老のバーテンダーは、少し引きつった顔を俺に向けて、うなずいてみせた。下着の中でハリネズミが暴れてるのを、我慢してるような表情だった。

「それだけじゃねぇだろ!」

 ヴェルデがいきなり怒鳴りつけた。まるで銃口でも向けられたように、バーテンダーは一瞬で青ざめた。

警察さつの旦那だよ。やくざじゃない」

 ヴェルデはニッと笑った。俺を振り向いて、グラスを突き出す。

「これで飲めるよな。ぼうや」

 俺は薄笑いを浮かべたヴェルデの、不細工な顔を睨めつけると、グラスをひったくった。蒸留酒は初めてだが、ワインなら普通に飲んでる。大したことなんかあるもんか。

 俺はグラスの中身を一息で喉の奥に放り込んで、むせた。

 きついってだけじゃない、酷い味だったんだ。ヴェルデが呑んでたのは、ワインの絞りかすで作った、所謂カストリだ。けど、グーラッパとか、マールとか、そう言う堅気の酒を想像して貰っちゃ困る。ホントの貧乏人の酒だ。取り柄は度数が百プルーフを越えてて、さっさと酔えることくらい。

 二十歳のときに、フィンランドの二部リーグで半年だけプレイしたことがある。寒さと極夜のせいで、あの辺の人間は世界で一番大酒を飲む。いかれた奴らになると、ロシアから輸入した工業用エチルアルコールを飲むんだ。冗談にそいつを一度口に含んでみたことがある。ヴェルデの酒に比べたらまだいけた。

「そのざまじゃあ、大人の男とは言えないよな。なあ、ぼうや」

 まだ咳き込んでる俺を見下ろして、ヴェルデは嬉しそうに言った。


「ここのオーナーの本業を知ってるか?」

「コカインだろ」と俺。「ギャングのボスじゃなかったっけ?」

「ギャングよばわりはいいが、そっちのことには口を閉じてろ――ああ、そうだ。だから、ああいうたちの悪いお巡りが、たかりに来るんだ」

 じいさんはそう言った。ヴェルデからようやく開放されて、楽屋に戻ったときのことだ。俺は酔いが回って、少しふらついてた。

「おまえ、気に入られたようだな」

「なんでだ?」俺は顔をしかめた。「まさか――」

「そっちの噂は聞かないし、多分違うな。それでも、まあ、ケツには気を付けろ」

 じいさんの嫌な予言は当たって、このときから、俺は何かとヴェルデに絡まれるようになった。ヴェルデの奴、やたらと俺を呼び止めては、ありがたくもない飲み物をおごってくださる。

 こっちではなるべく目も合わさないように気を付けてるんだが、目ざとく俺を見つけては手招きだ。無視してると、大声を出すから、その前に行くしかない。

 それで、俺が近づくと、ヴェルデは目も上げずに、カストリ酒のグラスだけを突き出しやがる。例の「ヴェルデ、ヴェルデ」も止めない。あるとき、ピンときた。ヴェルデのリフレイン。ロルカの〈夢遊病者のロマンセ〉だ。

 そんなことを考えて、俺がつい、グラスを取らずにいたら、奴は不意に顔を上げた。

「どうした? ぼうや」

「ロルカ?」

 しまった、余計なことを言った。そう思ったが、ヴェルデの方も驚いたらしい。しばらく間があった。

「――ぼうやのくせに、くだらないことを知ってるんだな」

「父親のせいです、セニョール。俺の父親はロルカのことを敬愛してて――」

「ロルカなんてバカ野郎だ」ヴェルデは俺を遮るように言った。

「少し知恵を働かせて、少しばかり愛想をよくすれば、死なずに済んだ」

「そうですね、セニョール」

 ガルシーア・ロルカはスペインの詩人で、あの国で内乱があった頃、少しばかり骨がありすぎたせいでファシストに処刑された。けど、反骨の詩人と悪徳警官って言うのは何とも奇妙な取り合わせだ。

「長いものには巻かれなきゃな、ぼうや」ヴェルデは続けてそう言った。

「意地を張ったって、いいことなんかない。人間要領よくやらなきゃな」

「まったくです、セニョール」

 ヴェルデは俺に何かを言いかけて、口を半開きにした。けど、そのまま笑い始めた。

「そうだ。そのとおりだ。ぼうや」


 こんな関係は俺がここを止めるまで続くもんだと思ってた。そう思ってうんざりもしてた。けど、違った。それはある夜、唐突に終わったんだ。

 その夜、また「天使の歌声」を披露させられた俺は、ようやく出てきたマヌケな演者にステージを譲って、足早に楽屋に向かっていた。それを遮る奴がいた。

 そいつは地味なスーツを着込んだ、中肉中背の若い男で、端正な顔立ちをしてた。夜の遅い時間だって言うのに、髭は当たったばかりのようで、後ろになでつけた髪には櫛目が通っていた。

「なかなか、唄えるじゃないか」

 耳鼻科に行った方がいいですよ、セニョール。

 喉まで出かかった台詞を飲み下して、俺は礼を言った。そいつの目を見たら、なぜだか、なめた口は利けなかった。もしかしたら、恐かったのかも知れない。

 そいつは、まだ少しだけ時刻が早くて、ヴェルデがいないバーカウンターを見やっていった。

ヴェルデって呼ばれてるんだって?」

「なんです? セニョール」

 そいつは二つに折った紙幣を、二本の指でつまんで俺に差し出した。紙幣にはカードが一枚挟んであった。

「セニョール。これは?」

「彼が来たら、そのカードを渡してくれ。金の方は君が取っといてくれればいい」


「行かない方がいい」

 カードを渡したとき、俺はヴェルデにそう言った。カードには通りの名前と時刻らしい数字だけが書かれていた。見ない方がいいことは分ってたけど、我慢できなかったんだ。

 ヴェルデは視線を上げて、俺を見た。けど、俺じゃなくて、俺を突き抜けて、何処か遠くを見てるようだった。

「ありがとよ」

 奴との付き合いで、礼を言われたのはこのときが最初で、最後になった。

 次の日の朝、裏通りのどぶで、汚水に顔を突っ込んで死んでるヴェルデが見つかった。

 死因は出血多量。腹を三発、撃たれてたそうで、あんまり楽には死ねなかったろう、と店の連中はどこか嬉しそうに噂をした。

「弾にはみんな、ナイフで切れ目が入れてあったんだ」噂を仕入れてきた蟻が、したり顔で言った。「そんな風に細工をした弾で撃たれると絶対助からないんだ。弾が砕けて、臓腑はらわたが裂けるんだよ」

「へえ」と俺。

「プロの手口さ」蟻が更にすかして付け加える。

「なるほど。汚職警官だから、ギャングの恨みを買ってたんだな」

 俺がそう言うと、蟻は信じられないとばかりに目を見張り、小馬鹿にしたような口調で言った。

「ギャングは警官を殺したりは、絶対にしないよ」

 プロって言ったのはおまえだろう。けど、何かが引っかかって、俺はそう言い返すのを止めた。


 オヤジがとうとう釈放になったのは、それから一週間後のことだ。

 ママァはこの日のために自分で縫ったドレスを着た。小さくなってた俺のスーツも仕立て直してた。俺は靴を磨かされて、ネクタイを締めさせられた。警察署までの道行きは、二人っきりのパレードだった。

 署内では散々待たされて、それからオヤジが奥から連れ出されてきた。

 オヤジは頬が痩け、目の下に隈を作ってて、あれだけ痩せてたのに、まだ痩せることが出来たんだと、驚くくらいに痩せて、小さくなっていた。目方で言ったら、俺より軽かったと思う。

 けど、ママァの抱擁を受けながら、「ファシストどもに俺のペンは折れない」とか、まだ署内だって言うのに、大声で演説を始めた。

 こうじゃなきゃ、オヤジじゃないが、少しは懲りろよ。俺はそう思った。

 そのとき、署の入り口から入ってくる若い男がいた。何気なく、そっちへ目をやって、俺は慌てて顔を背けた。あの男だったからだ。カードの男だ。

 俺はこっそり奴をうかがい、そいつが警察の人間だって気付いた。プロだけど、ギャングじゃない。蟻が何を言っていたのか、俺はようやく理解した。

「どうした?」

 オヤジが俺の頬に手を当てて尋ねた。柄にもなく優しい声音だった。俺は何も言わずにうつむいた。顔は上げられなかった。あいつがこっちを見てたから。あいつが見てたのはオヤジの背中だった。

「行きましょう」そのとき、ママァが言った。「ごちそうを用意したの」

「楽しみだな」オヤジが答えた。「どうしたんだ?」

「どうもしない」俺は言った。「どうもしないよ」

「そうか」

 オヤジはそう言った。何かを察したようで、俺の髪をくしゃくしゃにした。俺を見る目付きが、どこかあの夜のヴェルデに似ていた。

 それから、オヤジは俺とママァの肩に腕を掛けて、笑った。俺たちはオヤジを中心に三人で肩を組んだまま進んだ。オヤジがまともに歩けないのが、それで分った。

 ようやく警察署を出ると、外は晴天だった。澄んだ空に、緑の風が吹いていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヴェルデ、ヴェルデ、ヴェルデ 南枯添一 @Minagare_Zoichi4749

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ