第39話

 地上数十階の屋上から真っ逆さまに落下するベアトリス。何度か壁をって勢いを殺そうとするがこのままでは墜落死ついらくしまぬがれないように見える。

 しかし、ベアトリスの表情になんら不安も躊躇ためらいも感じられない。自信にあふれ、むしろこの状況を楽しんですらいるようだ。


 その時、何者かが地上から壁を伝ってけ上がってくるのが見えた。見間違いではない、地上を走るのと同じように垂直すいちょくに駆けているのだ。


「なんて非常識な!」


 自らのことはたなに上げ、ベアトリスは吐き捨てるように叫んだ。


 深緑色のマフラーをたなびかせ、ただ一直線に向かってくる男、その制服には見覚えがあった。第一宙域所属、宇宙連邦政府秘蔵の特殊部隊だ。


「ギガンテスか!?」


 忌々いまいましい。グラサッハの奴め、注意事項ちゅういじこうがあるなら先に言えと、今さらながら呪いたくなるような気分であった。


 ヴァージルは腰の剣を抜き払うと、ベアトリスとすれ違いざまに一閃いっせんをひらめかせ、そのまま屋上へと駆け上がって行った。




 ヴァージルが屋上へ姿を現すと、待ちかねたようにカンザキとメイが、ワンテンポ遅れて未だよく状況を把握はあくできていないレイラが駆け寄ってきた。


「どうだ、ったか?」


 カンザキが興奮気味にまくしたてる。


「俺が会ったのは女の方だが──…。」


 一瞬、まゆをひそめるカンザキであったが、すぐに思い直したようで


「いや、実験はあの女が主体となってやっていたようだし、グラサッハとは別の意味で放っておくとまずい奴だな、あれは。」


 と言って納得をしたようだ。


 ヴァージルはカンザキたちに見せるように、剣を水平に構えた。その先端は確かに血でべっとりとれている。しかし、ヴァージルの表情は晴れず、とても勝利者のものではない。


「あの女、俺の剣を手で振り払いやがった。」


 憮然ぶぜんとしてつぶやくヴァージルを、とても信じられないといった顔でカンザキとメイが見つめていた。


 彼の腕は戦艦の装甲を引きがすほど頑強がんきょうかつ非常識であり、その剣は鋼鉄をバターのごとく切り裂くことができる。そうした場面を実際に何度もたりにしているのだ。


 そんな死神の鎌に等しい剣閃を、線の細い、気だるげな女が払いのけたなどと、にわかに信じがたいことであった。


 だが、ヴァージルがそんなうそをつくはずもなく、起きたことだけが事実であり現実である。


 重苦しい沈黙の中、奴らとの再戦は避けられぬものと予感する三人であった。




 ヴァージルと一瞬の攻防をり広げたベアトリスであるが、そのままでは当然、地面に叩きつけられ無残むざん四肢しし肉片にくへんをまき散らすかと思いきや、残り5階分といったところで体操選手のようにくるりと回転し、優雅ゆうがとも言える動作でつま先からトンと降り立った。


 運動神経が良い、などといった次元の話ではない異質さがあった。


 ベアトリスはほこりを払おうとして、ふと気が付いた。白衣のすそが血まみれになっている。違和感を感じて右手を挙げると、そこでようやく右手首が半分ほどざっくりと斬られていることに気が付いた。


 軽くおどろき、次に自然と笑みが浮かんだ。あれが、第一宙域最強の特殊部隊の力なのかと。


「ふぅん、やるじゃない…。」


 まるで痛みなど感じていないかのように、ゆっくりとした動作で右手首を左手で押さえる。


 すこし離れた所から、轟音ごうおんが聞こえてくる。アスファルトをえぐり、土煙の中にグラサッハがたたずんでいた。ベアトリスほどスマートに着地したわけではないようだ。


 通常、高所から飛び降りて足から着地すれば、足の骨はぐずぐずに砕け、衝撃しょうげき脊髄せきずいが飛び出し脳を貫き即死するものだが、グラサッハはへらへらと笑いながら


「おお、痛てて。足がしびれちまったい。」


 などと言って、交互に片足をげてねていた。


 あたりを見回し、ベアトリスの姿を見つけて近寄ると、そこで彼女の白衣が血に染まり、右手首を押さえていることに気が付いた。


「ありゃ、どうしたんだそれ?」


 まったく心配などしていないような口調である。


「ギガンテスにやられたのよ。」


 お前の心配などされたくない、といった固く冷たい口調で返す。


「え?ああ、そういえば居たなあ。あのメンバーの中に。」


「そういうことは先に言いなさいよ…ッ!」


 斬られたことはいい、それは己の未熟によってもたらされた結果だ。だが、いい加減な真似をされた挙句あげくに、毛ほども悪いなどとは思っていない態度に苛立いらだちを隠せずにいた。


 そんな不穏ふおんな空気を切り裂くように、一台の車が二人の間に割って入る。


「ベアト、グラ、乗って!」


 ベアトリスの側近そっきんの女性が顔を出して叫んだ。ドアが自動で開きベアトリスは助手席へ、グラサッハは後部座席へ乗り込んだ。ドアが閉まるか閉まらないかといったあわただしいタイミングで急発進する。


 グラサッハが窮屈きゅうくつそうに体をもぞもぞと動かした。


「ちょっとこの車、小さすぎやしないか?」


「あんたの態度が大きすぎるのよ!」


 猛スピードで他の車両を追い越しながら、戯言ざれごとに付き合っていられないとばかりに女が叫んだ。


 高速道路に出てようやく余裕が出てきたのか、横目でベアトリスを見て初めて彼女が負傷していることに気が付いた。どうしてみゃくを計っているのかと思いきや、ざっくりけた傷口を押さえていたらしい。


「うわ、ベアト!それどうしたのよ!?」


「そう大きな声を出さないの。怪我けがをしたのは私であって、あなたじゃないのよ。」


「だから心配なのよ、怪我の程度ていどがわからないから!」


「かすり傷よ。それより、脱出艇だっしゅつていの準備は?」


「エンジン掛けて待たせているわ。戦艦も周回軌道上しゅうかいきどうじょうで待機してる。エスコートの準備は万全よ。」


 自信に満ちた返答に、ベアトリスは満足げにうなずいた。手際てぎわのよい仕事とはこういうものであり、それをやってくれる者がいるのは本当に気分がいいものだ。


 ベアトリスはすっかり機嫌きげんを直し、傷口から手を放して、窓を開けて真っすぐに伸びた黒髪を風の中に遊ばせながら手ぐしをいれた。


 右手は、すでにつながっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る