第36話


「時速800kmとはいかないが、こいつだってなかなかのもんさ…ッ!」


 高速道路を弾丸のごとく突き進む一台のバイク。カンザキはエンジンを全開にしてグラサッハに指定された雑居ビルへ向かっていた。


 視線を脇へやると、かすかに黒煙が立ち昇る様子が見える。グラサッハが、ただ挑発のためだけに爆発を起こし、数多くの人間があの煙の下で苦しんでいるのだ。怒りで運転が荒くなりそうになるのをなんとか押さえつけまっすぐに走る。


 オートパイロットを解除し、制限速度を大幅に超えた速さで他の車両を追い越していく。自分のバイクからも他の車からも盛大に警告音が鳴らされるが、かまっている余裕はない。


 この速度なら20分くらいで到着するだろうと考えていると、突如とつじょとして後方から爆発音と振動が伝わってきた。はじかれたように振り返ると、そこに一台の車が炎上している光景が広がっていた。

 何ごとか、と考える間もなくもう一台が爆発炎上する。


「嘘だろ…やめてくれよ。」


 カンザキの不安が具現化したように、炎の中から装甲車が飛び出した。両サイドには機関銃が備えられている。爆発した二台の車はこの犠牲ぎせいとなったに違いない。そして、奴が三台目の標的として狙うのは自分だろう。


 バックミラーにちらと映る運転手の姿。それはヘルメットのアイシールド部分が割れた、自治領の警備隊員であった。顔面に数発の銃弾を撃ち込まれて、なお立ち上がり追ってきたというのか。


 さらにスピードを上げて引き離そうとするが、装甲車も同時にスピードを上げ迫ってきた。機関銃がうなりをあげてアスファルトをえぐりまき散らすのを、ジグザグに運転して紙一重でかわす。左右に逃げる幅の少ない高速道路があだとなったようだ。

 逃げ場は、無い。


 逃げ場がないということが、逆にカンザキに腹をくくらせる結果となった。

 行動が制限されているのは向こうも同じだ。ふところに手を差し入れ、棒状のものを取り出した。トレンチコートの内側、左右に3本ずつ、計6本用意した付き手りゅう弾だ。

 余談ではあるが、カンザキのコートがやけに重い原因の半分はこれのせいである。


 周囲を見回し他の車両が無いことを確認すると、口でピンを引き抜いた。その形状から、通称ポテトマッシャーと呼ばれる手りゅう弾を後ろ手に放り投げる。

 かん、からと金属音を立てながらバウンドして、激しい爆発を巻き起こした。


 投げるのが早すぎたのか、装甲車のずっと手前での爆発であった。大きく開いた穴を躱して装甲車はなおも迫る。


 同じ手順でもう一度投げる。今度は遅すぎた。装甲車が通り過ぎた後で爆発が起こる。

 しかし、カンザキの顔に落胆らくたんの色は無い。緊張はしているが、焦ってはいない。


 機銃掃射きじゅうそうしゃを壁際ぎりぎりにまでせてなんとか躱した。左肩を壁にこすってお気に入りのコートに穴が開き、カンザキは一瞬眉をひそめたが、気にしている余裕はない。


「やりたい放題やってくれやがって、お返しだ!」


 ハンドルから手を放し、器用に4本の手りゅう弾をつかんでピンを抜く。先ほどの投擲とうてきはタイミングをはかるためのものであった。同じ距離、同じスピードと条件をそろえて、一つずつ手りゅう弾を落としてゆく。


 地面に落ちた置き土産は、装甲車の右側で爆発しそのまま浮かび上がらせた。二発目、三発目と連鎖的に爆発を起こし、数秒の滞空時間たいくうじかんを経て、ひっくり返った亀のように逆さまに落下した。

 タイヤが、からからと空しく回る。


 カンザキは180度のターンを決めてその場に停止し、軽く口笛を吹いてからゆっくりと、装甲車に近づいた。


「レース場じゃあ散々さんざんだったが、私のかんもなかなかのもんじゃないの。」


 タイミングよく手りゅう弾を炸裂さくれつさせたことに満足げなカンザキであった。


 流れ出した燃料に引火し、一瞬、激しく燃え上がると今度は装甲車自身が爆発を引き起こした。これでひとまず鬼ごっこは終わった、はずだ。


「こんな状況でなければ玉屋たまや鍵屋かぎや喝采かっさいしたいところなんだがなぁ…。」


 炎にらされた彼の顔色は、決して晴れやかなものではなかった。バイクから降りず、エンジンもかけたまま燃えさかる装甲車を眺めていた。


 やがて炎の中から影がうごめき出たときは、まさかとも、やはりとも思い、カンザキは静かに銃を構えた。そのまま影の正体を見て、言葉を失った。


 ヘルメットが割れてようやく素顔をおがむことができた。その顔は青黒く、うみのようなものがえずしたたり落ちていた。


 まぶたは無い。いまにも目玉がこぼれ落ちそうなほど両目が盛り上がっている。


 鼻は無い。黒々とした二つの穴が顔の中心にぽっかりと空いているのみである。


 唇は無い。所々折れた歯がむき出しになっている。


 まるで、映画に出てくるゾンビのようだ。身も震えるほどに恐ろしい風貌ふうぼうだが、カンザキが初めに抱いた感想は、


あわれだな…。」

 で、あった。


 痛みを感じていないのか、体のあちこちに火が付いたままゆっくりと動き出す。しかし、身体の損傷そんしょうが激しく思うように進めないようだ。バランスを崩し、泳ぐように体を揺らす。


 顔がだめならここしかあるまいと、カンザキは化け物の頭部、脳に狙いをつけて弾丸を発射した。

 立て続けに6発、血か脳漿のうしょうか膿かもわからぬ液体をまき散らして、仰向けにどうと倒れた。断末魔だんまつまのうめき声はただの反応か、あるいは泣き声か。ひどく悲し気に聞こえたものである。


 ぴくぴくと痙攣けいれんしているが、もはや立ち上がることもなくなった化け物が炎に包まれるところをしばらく見つめていた。


 やがてカンザキはバイクを旋回させると、そのまま振り返りもせずに走り出した。燃え盛る炎に劣らぬ怒りを、その胸に抱いて。

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