第35話
「さ、入りましょ。」
入り口わきに置いてある二本足で立つカエルのマスコットらしきものの頭をポンと叩くと、それは頭をゆらゆらと揺らしながら
「いらっしゃいませ、美味しいよ!」
と、やけに明るい声でしゃべりだした。
こういった遊び心はいかにもメイの好みそうなものだと、レイラは考えていた。素直に可愛いと思えるものから一歩外したようなものがメイの
「ね、どうよ?いいでしょこれ?」
「そうね、こういうセンス嫌いじゃないわ。ただ、カエル肉の宣伝をカエルがやっているところに、そこはかとない闇を感じるのだけれど。」
メイは首をひねって少し考えた後、納得する答えが出たのか頷きながら答えた。
「カエルだからって、全宇宙のカエルを愛しているとは限らないでしょう?人間だって人間同士で殺しあっているんだから。種族が一緒でも、そこらへんはどうでもいいんじゃないの?」
「私は全宇宙の人間と仲良くできる自信は無いけれど、どこかで食人が行われているって聞いたら、うぇってなるわよ。」
「じゃあ、このカエルは同族が食われることに性的な喜びを感じるサイコガエルだ、とか…。」
二人の視線が、首振りのようやくの収まったマスコットに注がれた。無機質な笑顔を浮かべるカエルが、今ではひどく不気味なものに感じられた。
怖いもの見たさ、といった様子でレイラが恐る恐る手を伸ばす。
「え、触るの?」
メイが左目を丸くしていった。
「今、もう一回触ったらさ、『おのれ知ったな!』とかいって
「あるいは、『お前がディナーになるんだよ!』とか…。」
レイラのピンと
「いらっしゃいませ、美味しいよ!」
顔を見合わせ、けたけたと笑う二人。ひとしきり笑って満足したのか、メイが肩をすくめていった。
「美味しいんだってさ。」
「それじゃあ、カエルくんのお
と、背中を叩きあいながら店に入った。カエル店の前ですっかり馬が合ったようである。
ライス、ミソスープ、そして
そんなレイラの様子を、メイは優しげな眼で眺めている。
グリーンティーをすすって、一息ついてからいった。
「調理されていれば意外に食べやすいものね。ええ、素直に言って美味しかったわ。」
「もっとこう、ゲテモノ料理が出てくると思った?」
「ちょっとだけそういう不安はあったわ。」
「内臓むき出しカエル丸ごとスープとかも、頼もうと思えば出てくるけど?」
メイがにやにやと笑いながらそんなことをいう。カエルの
食事中ではなく、食事が終わった後でいうのは彼女らしい気づかいだが、できればいわないという選択肢はなかったのだろうか。
「宇宙を飛び回っていればどうしても食料問題は目にする機会が多いからね。人口爆発で食料生産が追いつかないとか、戦争で生産施設が破壊されたり人手を回せなくなったり、あるいは惑星そのものが
「どんなところでも育つもの、というのが重要なわけね。」
「そういうこと。この分野は幅広く研究されているみたいで、食用ガエルなんかは基本中の基本ね。他には食用ミミズとか、食用イナゴとか、食用ネズミとか…。」
「ミミズは栄養満点だって聞いたことがあるけど、できればこのから揚げみたいに原形が分からないように出して欲しいわ。ミミズとレタスの生サラダでございます、なんて出されても食べる気しないわよ。」
そういいながらフォークを上下に振って見せる。どう考えたってパスタの代わりにはならないという点ではメイも同意するところであった。
「食糧問題の解決といっても、それを食べる側の気持ちを無視するのもね。そこらへんはバランスが大事だわ。そういった意味では、あれはちょっとね…。」
「あれって?」
メイは目だけを動かして周囲の様子を探ってから、少し声を落としていった。
「…ゴキブリ。」
「うぇ…。」
思わず身を後ろにそらすレイラ。あれはこの世のありとあらゆる生物からもっとも食用とはかけ離れた生物ではなかろうか。
「いやいやいや、悪趣味な冗談とかじゃなくてね。大真面目に研究している奴とかいるらしいのよ。」
「ゴキブリだけにブラックジョークってね。えぇと、その研究者たちはテロ組織かなにか?」
「残念ながら本気よ、正気かどうかは知らないけど。知ってる?ゴキブリを食料としている生物って結構多いのよ。鳥さんもアリさんもみんな大好きゴッキー。なんでも食うし、
「本当に、見た目がどうしようもないのよね…。よくもあそこまで人間の生理的嫌悪感をピンポイントで
突如、どこからか軽快な音楽が流れ出した。メイが何かに気づいたようで、ちょっと失礼と一言断ってから、胸の谷間に手を突っ込んで携帯端末を取り出した。
よくよく考えれば挟んで保管してあったわけではなく、首からヒモをつけてぶら下げていたのだが、レイラはしばし呆気に取られて固まっていた。
メールでも届いたのか、ディスプレイに表示された文字を見て、メイは
「あ、艦長。」
と、ぱっと表情を明るくした。
しかし、内容を読み進めるうちに笑顔は消え去り、凍り付いたようになった。照明の関係か、その顔は青白いようにも見える。
「緊急招集… 反政府軍… グラサッハ…。」
ぶつぶつと呟くメイの顔を、不安げに
どうしたのかと聞こうとしたところでメイは勢いよく立ち上がり、皿に残ったから揚げをつまんで口に放り込むと、10クレジット札をテーブルに叩きつけて店の外に走り出した。
「え…ちょっと、待ってよ!」
レイラも慌てて財布を取り出すが、この店は食券制で既に支払いは済んでいることを思い出し、そのままメイを追って走り出た。
いざという時すぐに合流できるよう、スペース・デブリの乗組員同士で携帯端末の位置情報は共有されている。レイラが端末を操作しながらメイの後を追うと、サンダル状の
「メイ!いきなり走り出してどうしたのよ!?」
呼びかけると、メイはひどく緊張した顔を向けてきた。いつも笑っているか、ぼんやりとしているか、その二種類の表情しか見たことがなかった。怒りと恐怖が混ざり合ったような表情が、非常事態であることを何より
「艦長が敵に追われているわ。すぐに行かないと。」
「敵ぃ?」
「まずはホテルに戻って格納庫に行くわ。艦長がバイクを預けていたように、私も艦から引っ張ってきたものがあるのよ。」
動きづらいことに気づいたのか、メイは履物を脱いで走り出そうとする。そんな彼女の背中にレイラが落ち着いて語りかけた。
「タクシー使えば?」
メイがぎこちなく振りかえり、ああと呟いて肩を落とす。そんなことにも気づかないほど動揺していたようだ。
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