第34話

 いまだ歓声の止まぬモーターレース場を背に、カンザキはおぼつかぬ足取りで歩いていた。


 運に流れがある、などと言えば人は笑うだろう。だが、何をやってもうまくいかない時期というものは確かにあるものだ。こういう時はもう帰って酒をでも飲んで寝るしかない。


 スペース・デブリは修理中であり、メンバー全員が同じホテルに部屋を取っているのだが、ロビーでメイとばったり会って憔悴しょうすいした様子を見られ、それみたことかといった得意げな顔をされるのもなんとなくしゃくであった。金は無いが、しばらく帰りたくもない。


 適当にバイクで流して、ポケットの小銭で食えるような安い食事をとって時間を潰そうかと考え、路地裏の駐車場へ向かった。


 愛用のバイクにキーを差し、ふと何者かの視線を感じて顔を上げた。数メートル離れて男がじっとこちらを見ている。


 見ている、というのは正確ではないかもしれない。その男はフルフェイスのヘルメットを被っており、どこを見ているのかわからないからだ。顔だけはカンザキに向けている。


 男と判断したのもその体格からであり、顔はわからない。


 酔っぱらってでもいるのか、首を少しかしげたような格好で、体が少しだけふらふらと泳いでいた。


 飲酒可能な賭博場とばくじょうである。酔っぱらいもいるだろう、自棄やけになった者もいるだろう。少なくとも、精神的に疲労した男ならば1人いる。


 こういった相手には関わらずにさっさと出ていくのが得策とくさくなのだろうが、問題はその男の着ている制服が、自治領の警備隊のものである、ということである。


 一体、何の用かといぶかしげに眺めていると、男は緩慢かんまんな動作でふところに手を差し入れ、熱線銃を取り出した。銃口はまっすぐにカンザキへ向いている。


「ちょっ…ええっ!?」


 状況が飲み込めない。だが、ほうけて突っ立っているわけにもいかない。慌ててバイクのかげに身を隠すと、ワンテンポ遅れて高圧レーザーが頭上を通り過ぎた。男は身体をふらふらと揺らしながら熱線銃をでたらめに発射している。


 カンザキのバイクには対レーザーコーティングがされているが、他の車両はそうはいかない。流れ弾が当たり、何台かのバイクが爆発炎上した。


「おい、銃殺する前にせめて罪状ざいじょうを言え!私がいったい何をした!?」


 警備隊に狙われるような悪いことをしただろうか。心当たりと言えば戦艦の不法所持と密輸くらいだ。

 不法所持と言っても、そもそも自治領に出入りしているフリーの船乗りで、艦を正規の手順で登録し、律儀りちぎに税金を払っている奴がどれだけいるだろうか。


 密輸にしても、人身売買と麻薬は扱っていないし、正規の宇宙港ではないにしろ、最低限の貨物チェックくらいはされている。本当にチラ見する程度のチェックではあるが。

 自治領はこうした船乗りが出入りすることで成り立っている部分もあるので、今さらとがめだてして誰が得をするというのか。


 男は答えない。相変わらず狙いの定まらぬ撃ち方をしており、ときには空に放ったりもしていた。


 正気ではない、そう判断してカンザキはコートの内ポケットから銃を取り出し握りしめた。


「今朝の占いは見ていないが、かに座が最悪なのは間違いないな…。」


 熱線銃をあらぬ方向に、しかし途切れさせずに撃ち続けながら男はゆっくりと近づいてきた。このまま待っていれば、確実に殺される。

 カンザキは大きく息をついて覚悟を決めた。男の熱線銃からエネルギー弾が天に向かって放たれたタイミングを見計らい、銃を構えたままバイクの陰から躍り出た。


 彼の銃は熱線銃ではない。旧世紀の通常弾発射式拳銃だ。装弾数も6発しかなく、反動もあるので無重力空間での使用には向かない。

 だが、宇宙で暇を持て余し射撃訓練室で繰り返し使っていた馴染なじみのある銃であり、何百年も前に設計されたものであろうとも、人殺しのために作られたものであることに変わりはないのだ。


 流れるように男の胸に狙いをつけて三度、引き金をひいた。熱線銃が主流となった今では対レーザーコーティングチョッキは出回っていても、鉛玉への対策はほとんどされていない。

 三発の弾丸は男の胸にめり込んで、そのままゆっくりと崩れ落ちた。出血が、意外なほど少ない。


 痙攣けいれんする男をチラと見てから、カンザキは周囲に監視カメラでもないかと見回した。カメラがあるならこの男の異常性を証明できるし、なければそれはそれで逃げよう。


 ふと、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。数台のバイクや車が火柱を上げる中、銃を構えたまま周囲を警戒する。やはり誰もいない。


「おいカンザキ。こっちだこっち。」


 またしても誰かが呼ぶ。しかし、周囲に人影は無い。少し離れて警備隊が倒れているだけだ。

 まさか、とは思いつつ死体に銃を向けたまま、じりじりとスリ足で近づいた。念のため、消費した三発の弾丸を込め直す。


「そんなに怖い顔するなよ、せっかくの再会だろう?喜べよ。」


 今度ははっきりと聞こえた。やはり、仰向あおむけに倒れた警備隊からだ。しかし、その声は不自然であり、どうやら直接しゃべっているのではなく、ヘルメットにマイクか何かが仕込まれているらしい。


 この声には聞き覚えがあった。カンザキの呼吸は荒くなり、周囲は高温であるにも関わらず冷たい汗がひたいから流れ落ちた。心臓が、咆哮ほうこうをあげている。


 心臓に撃ちこまれた傷などまるでなかったかのように、男は緩慢かんまんな動作で立ち上がった。相変わらず、ふらふらと体が揺れている。胸から血ともうみとも見分けがつかない液体がピュッとき出した


 カンザキは銃を構えたままゆっくりと後退し、距離を取った。相手の動きは不安定なのに、声だけははっきりと聞こえる。こいつはただの操り人形だ。


「おいおい、つれない奴だなあ。俺の声をもう忘れたか。」


「反政府軍、グラサッハ…。貴様、まだ生きていたのか。」


 カンザキの口調にはむき出しの敵意が込められているが、グラサッハはまるで意にかいしていないようで、警備隊のヘルメットから不快な笑いが漏れだした。


「言いたいことがあるならさっさと言え!」


 激情げきじょうと共に引き金をひき、乾いた音がして警備隊員の左肩の肉が弾けた。どういった手段かは知らないが、彼はただ操られているだけのようである。いくら傷つけたところでグラサッハにはどうということもないのだろうが、とにかく撃たずにはいられなかった。


 銃に意識を集中した。この硬い感触だけが暴れ出しそうな感情を抑えてくれる。


「久しぶりに会おうぜ。俺は今、北に50キロほど先にある雑居ビルの屋上にいる。来いよ、そのオモチャを振り切ってな。」


 男の目の前に電子モニターが浮かび上がり、地図とビル名が表示された。カンザキはそれを一瞥いちべつしていった。


「会ってどうする、一緒に飲みにでも行くのか?冗談じゃない。てめえのツラなんざ見たくもねえや。」


「ふん…。」


 グラサッハがつまらなそうに鼻を鳴らすと、突如として爆発音が聞こえ足元に振動が伝わった。

 少し離れたところで、爆発事故でも起こったらしい。いや、このタイミングだ、事故などではあるまい。カンザキは振り向いて確認をしたい衝動しょうどうを抑え、男から視線を離さなかった。


 電子モニターから地図が消え去り、代わりに爆発現場の様子が映された。破壊され、炎と煙にまみれているが見覚えがある。モーターレース場付近のレストラン街だ。カンザキも何度か利用したことがある。


 大人のうめき声、子供の泣き声。血と臓物ぞうもつをまき散らす人間の群れ、あるいは先ほどまで人間だっただろう肉塊。


 レース場の近くにいるわけがないとわかっていても、ついメイとレイラの姿がないかと探してしまった。このA4用紙程度の小さな画面がもどかしく、それでいてこの光景を見たくもなかった。

 カンザキはこうした地獄から抜け出してきたのだ。メイも、スコットも、ヴァージルも。


「遊ぼうぜ、カンザキ。そうでなけりゃあ俺はさびしくって、こうして街の連中に付き合ってもらうしかないじゃないか。」


「てめえのそういうところが気に食わねえんだ。戦争がやりたきゃ馬鹿同士で勝手にやっていりゃあいい。赤の他人を巻き込んで、何の主義主張を語ろうっていうんだ。」


「赤の他人だからいいんだろう、どうなろうが俺は痛くもかゆくもないんだ。それで、お前は結局どうするつもりだ?見捨てて逃げるか、あの時のように───…」


 5発の銃声がグラサッハの言葉をさえぎった。鉛玉が警備隊のヘルメットに突き刺さり、そのまま再度、どうと倒れた。

 カンザキは硝煙しょうえん越しにその様子をしばらく眺めた後、薬莢やっきょうを落としてポケットから無造作に弾丸を掴みだして装填そうてんし直した。


「貴様の安い挑発に乗ってやる。直接ブン殴ってやらなきゃ気が済まんのでな。」


 警備隊には目もくれず、バイクに飛び乗ってアクセルを全開にして弾丸のごとく走り出した。

 グラサッハに対する怒りと恐怖で胃液が逆流しそうになる。そんなものを全て吹き飛ばそうと速く、がむしゃらにスピードを出した。

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