第33話

「ほげぇ…」


 明細書を握りしめて、レイラは無意識のうちに奇声をあげた。先日、奇襲を受けて小破したエンジンの修理代であるが、これが想像を絶する金額だったのである。


 スペース・デブリは大気圏上にある大規模宇宙ステーションの修理工場に預けてある。

 地上と宇宙ステーションをつなぐ軌道エレベーターで降りている途中であり、普段ならば街を一望できる景色に見とれていたところであろうが、今のレイラにそんな余裕は無く、かたわらに立つカンザキも苦笑いを浮かべている。メイだけはいつもと変わらぬ様子だ。


 巨大な軌道エレベータはビルが丸々一つ昇降しているようなものであり、中には

レストランや遊技場、駐車場から貨物室まで揃っており、三人はレストランの壁際に集まっていた。


 カンザキは手招きするようなジェスチャーをしてレイラから明細書を受け取り、ずらりと並んだ数字に目を走らせながら、ため息交じりにいった。


「あんまり貯金とかにも手をつけたくないんだよなあ。宇宙の運送屋なんて野垂れ死に前提の仕事だからな、銀行も金を貸しちゃくれん。何もしていないのにブラックリスト行きだよ。」


「聞けば聞くほど、やくざな商売ね…。」


「具体的に言うと、闇金が土下座して帰ってくださいって言うレベルね。」


 メイは気楽に言い放ったが、その内容のひどさにレイラは呆れ果てていた。

 金銭の貸し借りをするためには信用、あるいは保証が必要となる。宇宙の運送屋でも、地上に拠点となる事務所を設けている企業ならば銀行の融資ゆうしの対象ともなるが、輸送艦一隻だけでやっているようないつ宇宙の藻屑もくずとなるかわからないような連中に金を貸したがるものなど存在しない。治安が乱れに乱れた第三宙域ならばなおさらである。


 スペース・デブリという最新鋭の戦艦を欲しがるものはいくらでもいるだろう。これを担保にすれば湯水のごとく資金を引っ張れるような気がしたが、そもそも借金の返済が不可能になったときはすなわち戦艦が無くなったときなので、やはり銀行屋からは見向きもされていないようだ。


 レイラは話題を変えようとし、何かないかと周囲を見渡してあることに気が付いた。メンバーが足りない。


「ねえ、そういえばスコットと大佐の姿が見えないんだけど。」


「あいつらならボーナスもらって即座に夜の街へ消えていったわよ。」


 人差し指と中指の間から、親指を突き出すような手つきをして、メイはにやにやと笑っている。本当に黙ってさえいれば美人なのだが、とレイラはしみじみと感じていた。


「そういえばレイラはスペース・デブリに入ってから、長期休暇は初めてよね。もしよかったら色々と案内しようか?」


「夜の街はちょっと…。」


「別にストリップ劇場に出ろとか言わないわよ。この自治領なら、そうね、食べ歩きとかどう?洒落しゃれたお店と、うまい定食屋、どっちが好み?」


「その二つならどちらかといえば定食屋かな。あんまり、スイーツとかビュッフェってがらでもないし。」


 メイは、資源惑星でのレイラの姿を思い浮かべた。スーツの上にエプロンをかけ、フライパンを叩きながら海賊たちに食事を振舞っていたのは、周囲に合わせていたのではなく素であったらしい。


 一応、高級とまではいかないものの、お洒落な料理店のツアーも考えていたのだが、頭の中のそれらは全て破棄した。趣味が合うならば、とことん趣味に走ってやろう。


「んーッ、オッケーオッケー。そういうことなら、お姉さんにどーんと任せなさい。ところで、宇宙ガエルの肉って食べたことある?もも肉をから揚げにすると美味しいんだけど。」


 一体どこに連れていかれるのだろうかと不安になったが、メイのことだ、相手を不快にさせて喜ぶような真似はしないだろう。短い付き合いだが、そういった点だけは信用している。


 宇宙ガエルとやらも、メイのおすすめだというのであれば食ってやろうじゃないか、できれば原形がわからないものであればいいが。


 そこまで考えて、ふとカンザキのほうを見やると、彼は女同士の会話に入ることを早々に断念だんねんしたのか、携帯端末から宙にモニターを浮かび上がらせて何事かを熱心に見ている。


「ねえ、艦長はどうするの?」


 そう声をかけると、カンザキは待っていましたと言わんばかりに、にやりと笑った。


「カエル肉も悪くないがな、ゲネシス自治領に来たらこれだよ、これ!スピードモーターレース!」


 得意げに電子モニターを拡大してみせると、そこにはすさまじいスピードで暴走する鋭角的えいかくてきな車の映像が流れていた。どう見ても、デートやショッピングのための車ではない。


 時速800kmで走るレースであり、着順を当てるだけではなく、どの車がクラッシュするかも賭けの対象になっている、危険であり、少々悪趣味な賭博場だ。


 笑顔を浮かべて日程を確認するカンザキに対して、レイラの視線は冷ややかであった。


「やめときなさいって。艦長、賭け事に弱いんだから。レース場に行って、勝って帰ってきたことあったっけ?」


「勝つとか負けるとかは結果に過ぎない。いいか、金が人間を使うのではなく、人間が金を使うのだ。それを思い出すためにも定期的に金をドブに捨てる必要があるのだ。」


「素敵な発想ね、つい一カ月ほど前にもやっていたと思うけどさ。まずは記憶力の欠如けつじょを問題にするべきではなくて?」


 メイがカンザキを言い負かすという、珍しい光景が展開された。カンザキはばつの悪そうな顔をして、モニターに目を落としている。言い負かされはしたが、止めるつもりはないらしい。


 メイもそれ以上言うつもりはないようで、仕方ないなと呟きながら背もたれに体をあずけた。


 そんな二人のやり取りを見ていたレイラが、まるでお母さんみたいだね、と言うと、メイは本気で嫌そうな顔を向けてきた。

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