第31話

「土産だ。」


 スペース・デブリの艦橋部に戻ると、ヴァージルはスコットに布きれのようなものを投げてよこした。


「サンキュー大佐。今夜はホームランだ。」


「バットが唸るか。」


「球もだ!」


 意味不明な会話を交わした後、今度は艦長席の前で敬礼をした。乱れのない、まるで武道の達人の構えを連想させるような美しくも力強い礼であった。


 カンザキもまた、立ち上がって敬礼を返す。スペース・デブリにそんなことをしなければならない習慣はない。彼らの関係は上官と部下ではなく、軍の同僚というわけでもない。悪友とでも呼ぶのが一番しっくりくるだろう。これはただの悪ふざけである。


 カンザキはすぐに演技を中断して、笑いながらいった。


「殺さなかったんだな。」


「子供のしつけだ。ムキになることもあるまい。」


「ま、美人を殺すのは後味が悪いからな。それが自分のものになるかどうかは別として。」


「同感だ。ただ、悪い子にはお仕置きをしてやらんとな。」


「そうだな。今までさんざんケツを蹴り上げてくれたお礼をしてやろうかい。」


 いかにも何か企んでいますといった悪い顔でカンザキはコートをひるがえして正面モニターの前に立つ。スコットとヴァージルもそれに続いた。


「レイラ、あちらさんに通信だ。回線開いてくれ!」




 輸送戦艦スペース・デブリの艦長カンザキと、高速戦艦シルバー・ウィングの艦長ジュディは通信機を介し数百万キロを隔て再び対峙たいじした。前回との相違点は、余裕の笑みを浮かべている者と、渋い顔をしている者が真逆だということである。


 モニターには三人の男が映っており、そのうちの一人が先ほど襲ってきたマフラーの男だと知ると、数名の部下が悲鳴を上げて艦橋部から逃げ出した。

 海賊がトラウマを植え付けられるというのもあまり大っぴらに言える話ではないが、見栄を張って生きる家業にも限度がある。せめて身内だけでも優しくしてやろうと、後でカウンセリングに連れて行こうと考えるジュディであった。


 とりあえずは向こうの要求を聞こうと思うのだが、なぜか自分たちから通信を求めてきたにも関わらず、男たちは何も言おうとしなかった。

 艦長らしき黒服、黒ネクタイの男。少し考えてから、その男の名がカンザキだと思い出した。

 変態的な動きで強襲を仕掛けてきたマフラーの男。

 もう一人の、怪しげな丸メガネは初めて見る。


 しびれを切らしたジュディが

「ちょっと、何か用があって話しかけてきたんじゃないの?」と話をうながすが、やはり彼らは何も答えない。


カンザキが薄笑いを浮かべて見ているのが無性に腹が立った。


 よく見ると、丸メガネの男だけが正面を向いておらず、手元の布を広げたり丸めたりしている。あれは何かと注視していると、男は得意げに布の両端を持って広げて見せた。


 パンティ、である。薄桃色の女性用下着、パンツ、ショーツ、パンティ。


 海賊団の誰もが唖然あぜんとしていた。こんな場面で、そんなものを出す意図がわからなかった。ただ一人を除いては。


 ジュディは顔面蒼白で凍り付いていた。腰に手をやり、スカートの上から確かめる。無い。


 思い返すと、ヴァージルがジュディの背後に回ったとき、なぜわざわざ肩を叩くような真似をしたのか。それは意識をそこに逸らすためだったのだろう。具体的にどう抜き取ったのかはわからないが、あの男の早業ならあり得る話だ。


 今まで気が付かなかったいうのも迂闊うかつな話ではあるが、理不尽な強襲きょうしゅうを受けてからずっと無理にでも気を張ってきたのだ。自分自身をかえりみる余裕などなかったのである。


 ジュディは今、ノーパンである。乙女の恥じらいの象徴しょうちょうたる三角布はスペース・デブリの手の中にある。

 海賊たちは皆、何が起きているのかわからないといった顔をしているので、黙っていればそれで済んだかもしれないが、丸メガネの男が布を口にあてて深呼吸を始めると、つい叫びだしてしまった。


「ああああああ!やめろおおお!!」


 頭を抱えるジュディの姿に、海賊たちのあいだで事情を察したが何も言ってはいけない空気、というべきものが流れ出した。


「それじゃ、風邪ひくなよ?」


 ようやくカンザキが口を開いたかと思えば、それだけ言って一方的に回線を遮断してしまった。

 後に残るものは怒りとも羞恥しゅうちともつかない感情の奔流ほんりゅうの中で、ぷるぷると震えるジュディ。そして何もかける言葉もなく、立ち尽くす海賊たちであった。


「こりゃあダメですね。撤退しましょう。」


 ヘンリーの呟くような進言に、ジュディは弾かれたように顔を上げた。苛立ちのこもった目で睨みつける。剣呑けんのんな雰囲気を感じ取ってか、バートが二人の間に割って入るようにしていった。


「俺もヘンリーの意見に賛成です。スペース・デブリの連中があんな挑発を仕掛けてきたのは──…。」


 そこまで言うと、つい視線が下がってしまった。今、履いていないのだなと。


 読心術の心得こころえがあるわけでもないジュディにも、この場合はバートが何を考えているのか丸わかりであった。話を続けろと短く叱ると、バートはわざとらしく咳払いをしていった。


「もう勝負はついた、これ以上続けるなら容赦ようしゃはしない。そういう意味ではないでしょうか?」


「距離も相当離されていますからねえ。こちらの射程に入る前に反転する余裕くらいはあるでしょう。俺たちが有利だったのはあくまでケツにぴったりくっついていたからであって、正面からタイマン張るには相手の性能が未知数です。ちょいとばかり危険すぎます。」


「爆発物が他にも仕掛けられているかもしれませんし、あの変態マフラーが再度襲って来れば防ぎようがありません。部下たちも完全に委縮いしゅくしています。戦えと言われれば戦うし、死ねと命じられれば死にましょう。ですが、勝てという命令だけは、遂行すいこうできそうにありません。」


 ヘンリーとバートが交互に勝ち目のないことを語る。どの言葉にも反論のしようがないし、流れが変わったということは理解している。それでも、何かにすがるようにいった。


「情報屋に高い金を払ってスペース・デブリの動きを掴んで、何度も何度もこの宙域を下見して、妨害電波発生装置を大量購入して設置して、皆で額を突き合わせて作戦を立てて…!あんた達はそれを踏まえたうえで、何の成果もなしに撤退しろって言っているのよね!?」


 母を喜ばせたかった、認めてもらいたかった。大戦果を挙げて部下たちにもボーナスを振舞ってやりたかった。戦艦奪取おめでとうパーティの企画も考えていた。全て台無しである。


 惨めに敗北し、お情けで見逃されて今、二人の側近が厳粛げんしゅくな顔で追撃をいさめているのだ。


「はい、その通りです…。」


 バートの絞り出すような声。ジュディはぎゅっと唇を噛み、拳を握りしめた。そうだ、自分は部下たちの命を預かっているのだ。戦いの中で命を落とすことはある程度、仕方がないにせよ、犬死させることだけは絶対に許されない。

 敗戦の屈辱くつじょく糊塗ことするために彼らを無駄な死地へ送ることなど、理想とする母のような海賊とは程遠い行為のはずだ。


「通常航路を離れて、停止しなさい。」


 小さい、だがよく通る声で指示を出した。


「お嬢…。」


「負傷者の手当と、爆発物の調査を。特にエンジンルームやオイルパイプを重点的に。その後、修理と補給のできる星に向かうわ。」


 側近の二人が大声で指示を出し始める。その様子をぼんやりと眺めながら、ジュディは艦長席に座り込んだ。

 本当に、あと少し。手の届く距離に最強の戦艦があったのだ。あの時ああすればよかった、こうすればどうなっていただろうと、次から次へと考えが浮かんで消えた。涙がにじみ出そうになるのを慌ててそでで拭った。


 やがてヘンリーとバートが戻り、揃って頭を下げた。


「心中、お察しいたします。勝っている時に追撃することは簡単です、アホでもできます。真に将器しょうきを問われるのは引き際を見極めることです。」


「結果は出せませんでしたが、お嬢が目の前の悔しさを押さえ撤退を決意した判断、配下として嬉しく思います。」


 本当に正しい判断だったのか、今はハッキリと答えることはできない。ただ、二人が慰めようとしてくれているのはわかる。その優しさだけは受け止めよう。


「…ありがと。今回は失敗したけど、私もいつかはママみたいな立派な海賊になれるかな?」


「なれますとも。今のお嬢に必要なものは二つ。それは経験と──…。」




「替えのパンツかな。」




 言ってやったぜ、とばかりにヘンリーが満面の笑顔を浮かべていた。


 こいつらに、ごく普通の慰めなど期待すること自体が間違いであった。ジュディはゆっくりと立ち上がり、大きく息をついて天井を見上げる。


「いい話のまま終わらせろボケェ!」


 ジュディの右ストレートがヘンリーのあごを打ち抜いた。


 やはりこの娘はいいものを持っている、とヘンリーは旋回する視界の中で満足げに考えていた。

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