第30話

 艦内の通路を無人の荒野を行くが如く、無造作に歩いていた。前方には自動小銃を構えた海賊が十数人いるのだが、むしろ気圧されていたのは彼らの方であった。


 海賊としての経験が、人としての本能が激しく警鐘けいしょうを鳴らしている。この男に

手を出してはいけないと。

 だが、通した後でこいつはどこへ行くのか?艦橋部か、エンジンルームか?いずれにせよ己と仲間の命を助けるためには戦わなければならないのだ。


「うわあああああああ!!」


 プレッシャーに耐えかねたのか、海賊の一人が銃を乱射した。それが合図となって、全員がつられたように引き金をひいた。たった一人を殺すには明らかに戦力過剰であり、死体は原形を留めない。はずだった。


 すでに男の姿はその場にはなく、壁を走り、天井を走り海賊たちの後方へ降り立った。最後尾の男の肩をぽんと叩いた。


「おつかれ。」


 それだけ言うと、また何事もなかったかのように奥へと歩き出す。

 海賊たちはその場に呪縛じゅばくされ、振り向くことができなかった。もう一度あいつの姿をみれば、死神の鎌が首をねていくのではないかと、そんな恐怖が彼らを縛り上げたのである。


 宇宙連邦政府第三宙域、特務機関『ギガンテス』。特殊工作員とはいっても情報収集や世論操作などではなく、ただ忍び込んでぶっ壊す、これだけを追求した部隊であった。

 そこで長い間、切り札とも死神とも呼ばれており、今は戦時死亡扱いとなっている男。彼の名を、ヴァージルという。




 艦橋部では監視カメラから送られてくる映像に誰もが言葉を発せずにいた。艦内通路の広さは学校の廊下程度である。50人も60人も一気に送り込むわけにはいかず、戦力の逐次投入ちくじとうにゅうは下策だと理解していながらも小分けに送るしかなかった。


 そうした待ち伏せポイントが順番に潰されていくのを黙って見ているしかなかった。ある所では戦意を喪失し、またある時は当身を食らって気絶させられた。そうして、謎の侵入者はゆっくりと艦橋部へ向かっているのである。


 このままではまずいと、ヘンリーが艦内マイクに飛びついた。


「聞こえるか、侵入者。そこで止まり大人しく投降しろ!さもなくばスペース・デブリは粉々に吹っ飛ばしてやる!奴らは既に、我々の射程内だ!」


 ハッタリである。距離はいまだミサイルが届くか届かないかの位置を保っており、バリアエネルギーも尽きてはいないようだ。ただ、艦内にいる侵入者には外の様子はわからないはずだ。投降はないにせよ心配になって帰るかもしれない。


 だが侵入者はまったく取り合わず、動揺もしなかった。気絶した兵の傍から自動小銃を片手で拾い上げ、監視カメラ向けた。


「あの男が貴様らごときに負けるはずが無かろうよ。」


 そういって発砲し、監視カメラは粉々に砕けた。マズルフラッシュの中で最後に映った顔は、ヘンリーたちをあざ笑っているようにも見えた。


 どうするか、せめて艦長だけでも脱出させるべきか───…


 ヘンリーがそんなことを考えていると、ジュディは気丈に立ち上がり指示を出した。


「残る人員を全て艦橋部へ集めなさい!奴が入ってきたところを一斉射撃でミンチにしてやるわ!」


 常識的に考えればその判断は正しいように思われた。侵入者が1人現れたからといって放棄していたのでは戦艦の運用などできはしない。敵が手練てだれだというのであれば、最大限の戦力を一気につぎ込む。それでいいはずだ。


 だが、ヘンリーの心は晴れなかった。相手の言うことに疑問を持ったが、うまい反論が思いつかない。そんな気持ち悪さを抱えていた。


 待ち伏せさせていた人員を呼び戻し銃を構えて、出入り口を要とした三段の扇状に広がった。その数、実に87名。後ろにジュディたち幹部3名が控えている。


 あの男がまっすぐ艦橋部へ向かって来ていることは監視カメラの映像からわかっている。そう、もうすぐここへたどり着いてしまうのだ。

 ジュディはスカートに手をこすりつけて汗をぬぐい、レーザーサーベルを高く、まっすぐに掲げた。


 襲い掛かる海賊を軽くいなし、隔壁かくへきが閉じれば蹴り飛ばして、やがてその男はやってきた。


 ウィィンと、いつもと変わらぬ音を立てて自動ドアが開く。180の視線が突き刺さり、89の銃口を向けられていながら、ヴァージルはやはり平然としていた。


「奥さん、米屋です。」


 一瞬、何を言われているのかわからなかった。少し考えた後でも理解はできなかった。この男は真面目な顔をして何を言っているのか。ただ一つ、虚仮こけにされているということだけはよくわかった。自分たちを敵として見てすらいない。


 スペース・デブリはバカの見本市か。怒りが恐怖を凌駕りょうがし、サーベルを勢いよく振り下ろした。


「ブッ殺せ!!」


 ジュディの可憐かれんな顔に似合わぬ豪快ごうかいな号令のもと、自動小銃が一斉に火を噴いた。ヴァージルが素早く動くことも、壁や天井を走れることも知っている。だからこその三段構えだ。


 正面の兵はまっすぐ狙いをつける。二段目はヴァージルの頭上を狙い、三段目は45度の角度をつけて乱射した。これならばどこにも逃げ場など無いはずだ。弾丸のドームの中でぐずぐずの肉片と化し、後に残る血だまりだけが彼が生きていたという証となる。


 問題はただ一つ、ヴァージルが予想よりもはるかに素早かったことである。


 いない、そう気づいたときは既に遅かった。背後に忍び寄る気配。左右に控えるヘンリーとバートの顔が驚愕きょうがくに歪んでいた。

 やめてよ、何よその顔は、何が起こっているの───…


 聞きたかったが、声にならなかった。ジュディの顔もまた、恐怖で凍り付いている。


 誰かが、艶のある黒髪を指先で撫でまわしていた。そして、耳元で甘く囁く。


「綺麗な髪だ。シャンプーは何を使っている?」


 男のさびのある声だ。あごが自分のものではないかのように震え出し、歯がかちかちと音を立てた。


 敵の死も、味方の死も数多く見てきた。それでもまだ自分には関係がないと頭のどこかで思い込んでいた。そうした現実逃避ともいえる楽観さがなければ海賊船になど乗っていられない。


 今、初めて本物の死の恐怖を味わっている。泣き出したかった、叫びたかった、それすらできないでいた。あ、あ、と声にならない声が漏れるばかりである。


 部下たちが困惑した様子で遠巻きに見ていた。撃てばヴァージルは盾を使って生き残り、ジュディだけが無残な死骸しがいさらす。誰もがそれを理解していたからこそ見守る以上のことは何もできなかった。もっとも、ジュディが人質に取られる格好でなくとも何もできなかったであろうが。


 突然、肩を叩かれた。親しい友人に挨拶するかのようにぽんと軽くである。それでもジュディは飛び上がらんばかりに震えた。


「じゃあ俺、帰るからな。」


 それだけ言うと、ヴァージルは海賊たちに向かって歩き出す。海が割れるワンシーンのように左右にさっと避けてしまった部下たちを叱責しっせきする余裕など、今のジュディにあるはずもない。


 そのまま散歩にでも行くような足取りで艦橋部を出て行ってしまった。


 残された者たちはただ呆然ぼうぜんとしていた。それ以外にできることはなかった。何がしたかったのかという疑問と、悪夢から解放された安心感で誰もが脱力している。ジュディなどは艦長として見栄を張ることも忘れ、そのまま床に座り込んでいた。


 その中で、最初に動き出したのはヘンリーであった。


「通信手!46番をモニターに出せ!」


 それはヴァージルの戦闘機を初めに発見した監視カメラである。先ほどまで自動小銃を担いでいた通信手が慌ててデスクに戻り外部カメラの映像をモニターに映す。果たせるかな、ヴァージルがちょうど戦闘機に乗り込むところであった。

 外部装甲に打ち込まれたアンカーを外し、そのまま小惑星帯の中へと飛び去って行った。


 ようやく我に返ったジュディが、デスクに手を預けながらもよろよろと立ち上がった。髪を振り乱し、恐怖と怒りが混ざり合った夜叉やしゃのごとく表情である。元の顔立ちが美しいだけに、鬼気迫る迫力があった。


「スペース・デブリとの距離は!?」


「離されました、追いつくまでに全速力で3時間はかかります!」


「追え、このまま逃してなるものか!全速前進、対空警備を密に!」


 ジュディの指示に、精彩せいさいを欠いた動きではあるが海賊たちは持ち場に戻ろうとした。そのとき、またしても強烈な振動が襲う。


 ヴァージルが潜入してきた時とはまるで違う、ミサイルでも食らったかのような衝撃である。首を前後に揺らしながらもデスクにしがみついてジュディは転倒を免れたが、海賊のうち何名かは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられるのが見えた。


「今度は何よ、何なのよッ!?」


 涙目で叫ぶジュディ。戦う覚悟も、場合によっては死ぬ覚悟すらあったつもりだ。だが、それはあくまで常識の範囲内での戦いの結果としてである。

 理不尽が次から次へと襲ってくる状況下で、弱音の一つも吐きたくなるのは致し方ないことであろう。


「第3エンジン大破!爆発物が仕掛けられていたようです!!」


 心当たりならある。どう考えてもあの男だ。わざわざ艦橋部までやって来て、ひとをおちょくって、置き土産まで用意していったのだ!


「まだよ、まだ…。エンジンの一基くらいどうということはないわ。残ったやつをフル稼働でいけばなんとでもなるわ…。なんたってこっちはガチガチの高速戦艦なんだから…。」


 過呼吸になりそうなほど乱れた息で、脂汗を流し、それでも気丈に前方モニターをにらみつける。母に誇れる海賊であろうという心意気はまだ砕けてはいなかった。


 しかし、勇気は無理に絞り出しているだけである。


 バートから「敵艦から通信です。」と言われたときは、ひぃっと情けない悲鳴を上げてしまった。


「もう嫌な予感しかしないんだけど…。外出中だって言っておいてくれない?」


「宇宙でどこに逃げるっていうんですか。回線開け!」


 バートが無精ひげを撫でながら指示を出すと、正面モニターに三人の男が姿を現した。


 悪夢の終着点は、いまだ先らしい。

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