第29話

 正面、大型モニターの中で黒髪の少女が微笑んでいる。あらゆる男を魅了する笑顔だが、それは優しさに溢れたものではない、勝者の愉悦ゆえつによる笑みだ。


 なぜ宇宙で漆黒のゴシックドレスなど着ているのかと聞こうと考えたが、メイの姿を一瞥いちべつして質問は取り下げた。どう考えても巫女装束のほうが不自然だ。

 カンザキが葬式のスタイルで、メイが紅白のお目出度い恰好をしているのだから差し引きゼロということにならないだろうか。ならないだろう。


 他のメンバーにしても、武器商人か女衒ぜげんにしか見えない男、ジャングルにいそうな特殊部隊、運送会社の事務員等々、なぜ宇宙戦艦に乗っているのかと問われれば紹介に1時間くらいはかかりそうだ。

 この話題は鬼門のようなので黙っていることにした。


「初めまして、戦艦シルバー・ウィング艦長、ジュディよ。」


「どうも、輸送戦艦スペース・デブリ。カンザキだ。」


 カンザキが投げやりに答えると、ジュディは一瞬怪訝な表情を見せた。輸送戦艦という名に疑問を持ったのだろう。そしてすぐさま真顔に戻ったのは、名前から用途を理解したのか、あるいはもうすぐ自分たちのものになるのだからどうでもいいと考えたのか。


「早速本題に入るけど、その戦艦を明け渡してもらおうかしら?」


「ふうん?」


「そうすれば乗組員たちの命は助けてあげるし、近くの惑星で降ろしてあげる。

悪くない条件でしょう?」


「お優しいことだな。」


 いつの間に淹れていたのか、メイがコーヒーの入ったカップを差し出す。やはりこれがないと頭が回らない。軽くうなずくことで礼を言い、間を取るように一口すすった。砂糖とミルクの量も、今の気分にぴったりだ。


「断る。こいつはオモチャじゃないんだ。子供は家に帰ってバイブ突っ込んで遊んでろ。」


 ぴしゃりと言い放つと、ジュディの整った顔が不快感で歪んだ。

 降伏勧告をした意図のうち3割くらいは善意によるものかもしれない。乗組員の命を助けるというのも本心からだろう。それをこうまであからさまな悪意を持って返されたのだから不快に思うのも無理はない。


 もっとも、カンザキたちにとっては余計なお世話である。財布を盗んでおいて、カード類だけは返してやるから感謝しろと言われているようなものであった。


「交渉どころか、話を聞く気すら無いわけね…。」


「おねだりの仕方を覚えてからまたおいで。脱いで、しゃぶって、尻を振れ。そうすれば1ミリ程度は考えてやる。」


 ジュディの顔が怒りと羞恥で満面朱に染まる。海賊たちも大概たいがい下品であるが、悪意や嘲笑が自分に向けられることは無かった。

 この男は何を考えているのだろうか。圧倒的に不利な位置を取られ、その命は風前の灯火だというのに、差し伸べた手に唾を吐きかけてきたようなものである。


「じゃあ死ね、クソッタレ!」


 罵倒と共に、海賊側から一方的に回線を遮断された。


 さて、口げんかに勝ったはいいものの、状況はなんら改善されてはいない。レイラが不安と期待に満ちた目を向けてくるのを、思わず視線を逸らしそうになった。


「派手に啖呵たんかを切っていたけど、何か勝算があるのね?」


「うむ!」


 あるわけがない。このまま鬼ごっこを継続し、力尽きる前に打開策を見出さねばならないのだ。


「後方よりレーザー接近!」


「バリア展開!」


 少しでも距離を詰められるとたちまち攻撃が飛んでくる。スペース・デブリへの直撃は防いでいるものの、隕石や艦の残骸に当たり、それが散らばってさらにレーダーが効きずらくなる。

 畜生、何もかもこの隕石群が悪い。


「美女に追われるっていうのはもっとこう、楽しいことだと思っていたんだがなあ…。」


 と、そこでふと思いついた。小惑星帯は誰の味方なのかと。海賊どもはこの地形を利用して身を隠し背後を取っただけであり、ここがあいつらの領土というわけではない。自分たちが利用してもいいはずだ。


 カンザキの頭の中で、パズルの破片が音を立てて組み合わさった。ヴァージルを手招きし、作戦を説明する。デスクの上のモニターに映るものは格納庫と、レーダー妨害電波発生装置。

 ミサイルやレーザーと並ぶ戦艦の必須装備であり、特に珍しいものではない。


「やれるか?」


「ああ。」


 短いやり取りの後、ヴァージルはすぐに駆け出した。頼れる男の背中を見送り、カンザキはいまだ不安げな顔をしている仲間たちに笑顔を向けて、注目しろとばかりに二度、手を叩いた。


「メイ、敵さんのレーダーを妨害してくれ。それで王手だ。」


「それだけでいいの?」


「勝利の女神をホテルに連れ込んでシャワーを浴びている段階さ。何ら問題ない。」


「風呂から出たら、女と財布が消えていましたってことにならなきゃいいけどね…。」


 そう呟きながらも、彼の作戦に異を唱えるつもりはなかった。説明なら終わった後で求めればいい。カンザキが自信満々に指示を出すときは本当に勝機があるときだけだ。メイもスコットも、新参のレイラもそれはよく理解している。


 スペース・デブリの側面から丸っこいレーダー妨害装置が100基ほど射出された。


 レイラは艦内をぐるりと見回し、そういえば大佐ヴァージルがいないなと考えていると、意地の悪い人相をしたカンザキと目が合った。

 背後を取られ振り切ることもできない状況で、いまだ危機を脱してはいないというのに、彼はむしろこれから何が起こるか楽しみだと期待しているふうに見えた。


 どうせろくでもないことだろうと呆れつつ、少しだけ楽しみになったレイラであった。順調に染まりつつあるようだ。




 戦艦シルバー・ウィングの艦橋部で、ジュディはモニターに映るデータを見ながらほくそ笑んでいた。

 わずかではあるが、スペース・デブリの速度が落ちている。命中率が悪かろうと、バリアで弾かれようと強引に叩き続けた甲斐はあった。


 このまま距離を詰めて攻撃し続ければ行動不能にできるはずだ。ミサイルもエネルギーも充分にある。


 それにしてもスペース・デブリ、宇宙のゴミなどというふざけた名前はいただけない。あの艦を手に入れたら改名しようと考えていると、突如としてモニターが砂嵐に包まれた。


「何ごと!?」


「妨害電波発生装置です、50基以上の装置がばら撒かれています!」


 敵は何かを企んでいる。艦を停止させ様子を見るべきだろうか?いや、とジュディはすぐに考え直して首を振った。

 警戒させること自体が目的なのかもしれない。停止しているあいだに距離を稼いで逃げ切るつもりか。そんな小細工をせねばならないほど追い詰められているとも考えられる。


「このまま前進!だが警戒を怠るな!」


 ジュディは立ち上がり、大きく手を振って前進の意思を示す。

 母から特別にと預けられた側近であるヘンリーとバートにちらと視線を送ると、二人とも軽くうなずいた。これでいい、そういうことだろう。


 経験不足からくる不安を払拭し、小惑星帯を突き進むとやがて妨害電波も薄まり、スペース・デブリを再び射程圏内に捉えた。

 第三宙域最強の戦艦が手に入る、興奮で胸が高鳴った。心なしか、艦橋部全体の熱が上がっているように思える。


 エンジンにもう一度ダメージを与えれば、もはや逃げることは叶わない。これで終わりだと確信し、凛々しい声で指示を下す。


「ミサイル一斉発射用意!」


 そのとき、突如として振動が伝わり、アラームが鳴り響く。

 素早くダメージチェックをすると艦の後方、格納庫からシステムレッドが表示されていた。気圧が急激に下がっている。

 どうやら格納庫の天井に穴が開いたらしい。


 隕石やら輸送艦の破片が当たった程度で穴が開くほどやわではないはずだ。どうしたことかと頭を捻っていると、バートが幽霊でも見たかのように慌てて叫んだ。


「お嬢、大変です!外を見てください、外を!」


「そとぉ?」


「46番カメラを拡大しろ!」


 バートの指示でシルバー・ウィングの外部装甲、つまりは宇宙の映像が映し出される。そこにはアンカーで固定された戦闘機と、生身で宇宙に出る男の姿があった。


「………は?」


 まるで意味が分からない。


 ジュディは放心したようにぽかんと口を開けていた。美少女が台無しの間抜け顔だが、誰もそんなことを指摘する余裕はなかった。全員、似たような顔をしているのである。

 百聞は一見に如かずとはよく言ったものだが、見ても理解が追いつかないことだってある。


 深緑色のマフラーをたなびかせた軍人風の男が、素手で戦艦の装甲を引っぺがし、六角形を組み合わせたハニカムコアと呼ばれる断熱部を拳で貫き、内部へ侵入したのである。


 その一部始終をカメラで見ていたのだが、現実のものだと頭が理解するまでにしばしの時間を要した。


「総員戦闘配置!侵入者を排除しろ!発砲を許可する、繰り返す、発砲を許可する。射殺しろ!」


 いち早く立ち直ったヘンリーは艦内マイクを掴んで叫んだ。


「ジョークでもエイプリルフールでもないぞ、侵入者だ!宇宙でマフラー付けてる変質者を見つけたら即座に撃ち殺せ!」


 ジュディもようやく立ち直ったのか、艦橋部に残る部下たちに指示を出す。


「スペース・デブリへの追跡は続行!侵入者を排除すれば何も問題は無いッ!」


 そうだ、何も終わってなどいないし諦める必要は無い。ジュディは腰に差したレーザーブレードの柄を強く握りしめた。


「宇宙で白兵戦って、やる機会があるのね…。」


「海賊家業じゃよくあることです。もっとも、それは相手の動きを止めた後で制圧するためにですが。」


 そばに立つバートに小声で話しかけると、彼もまた緊張を残す声で答えた。

 海賊の目的は撃沈することではなく、奪うことである。だから相手の船に乗り込むことも多々あるのだが──…。


「馬鹿が生身で突っ込んでくることって、よくあることなの?」


「ないです。」


 人類が宇宙に進出してから800年強、ついには地球外知的生命体と出会うことは無かった。

 ならば今日が初めてだな、とバートは泣き出しそうな顔で考えていた。




 カンザキは大口を開けてげらげらと笑い、デスクを叩いていた。レイラは大きな目をさらに丸くしてモニターを見つめている。


 戦闘機に取り付けられたカメラからヴァージルが敵戦艦に乗り込むまでの映像が届けられたのだが、それがあまりにも非常識な内容だったのである。


「相変わらずあの野郎、人間辞めているわね。あ、真似しちゃダメよ?」


「しないわよ、できないわよ!」


 メイの呑気な声で、レイラもようやく正気を取り戻した。

 ひとしきり笑い終えたカンザキが目じりに溜まった涙を指先で拭いながら説明をする。


「レーダー妨害装置を射出したのは逃げるためじゃない、大佐の戦闘機を敵艦に近づけるためさ。普通に接近すれば対空機銃で落とされるかもしれないからね。相手はスペース・デブリに追いつくことで頭がいっぱいのはずだ。直接乗り込んでくるなんて、まあ予想外だったろうな。」


「生身で装甲を引き剥がすなんて、そりゃあ誰も予測しないわよ。説明されてもまだ納得がいかないんだけど…。」


「慣れなさい。敵はもっと納得がいっていないわよ、きっと。」


 メイが澄ました声でいった。敵に対しては容赦がないのもいつも通りである。


 今、自分にできることは何もないだろうとレイラは周囲をぐるりと見回した。


「とりあえず、私にもコーヒーもらえる?」


 思いついたことはそれくらいであった。

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