お嬢様フルスロットル

第26話

 白を基調とした教室の中、チャイムの音が鳴り響いた。ただのチャイムではない、一学期終了の合図であり、夏休み開始のゴングであった。


 そわそわと浮足立った学生たちが、買い食いや寄り道の相談をするなか、ジュディはひとりノートパソコンの電源を落として帰り支度を始めていた。


 小柄で、可憐な印象を与える少女である。腰までまっすぐに伸びた艶のある黒髪、軽くつりあがった目と、それを覆い隠すような長い睫毛まつげ。ネクタイ付きの制服を押し上げる、豊かで張りのある胸。

 言うなれば漆黒の華、青春の美の結晶であった。


 どこか浮世離れしたところのある彼女であり、クラスメイトもどこか遠慮して遠巻きに見ているだけではあったが、そうした垣根を一切気にせずに飛び込んでくる友人も存在していた。


「よっ、ジュディちゃんこれから暇?カラオケ行こうぜ、キャラオケ。駅前の店に新台が入ったとかで、それがまた評判よくってさあ。私は気になって夜も眠れず、昼寝をしているくらいで──…。」


 興奮した友人が早口で説明するところ、バーチャルリアリティで大観衆の前で歌うような体験ができるらしい。会場も多い所は数万人規模のホール、少ない所では100人も入れば満員御礼、寿司詰め状態のライブハウスまで選択可能だそうだ。


「ちょっと3時間ばかしアイドルグループ結成しようよ。カッちゃんもノンちゃんも来てくれるってさ。」


 仲の良い友人の名を挙げ、目をキラキラとさせて誘ってくれた。


 正直なところ、ものすごく行きたい。女子高生なのだ、女子高生らしい遊びを満喫したいではないか。


 だが、ジュディは長い睫毛を伏せて、苦渋の決断とばかりに口を開いた。


「ごめん、行きたいのはやまやまなんだけど、夏休みのあいだ家の手伝いをしなきゃいけないのよ。今日くらいはとも思ったけど、もうすぐ迎えが来るのよね。」


「そうなんだ…。」


 大輪の花のごとき美少女がいるかいないかで盛り上がりが全く違う。それが女だけの集まりであったとしてもだ。

 残念ではあるが、しつこく食い下がっても良い気はしないだろうと、諦めて気持ちを切り替えた。


「偉いなあ。家の手伝いなら仕方ないよね。で、ジュディちゃんの家って何やってんの?」


「ああ、それはね──…。」


 言いかけたところで突如、学校が雲に覆われたかのように影が差す。窓際に生徒が数人集まり、何事かと口々に喚いている。


 ジュディと友人も窓から顔を出すと、まず空に浮かんだ巨大な戦艦が視界に入った。下を見ると、小型艇が校庭に着陸し、自動小銃を装備した男たちが出てくるのが見えた。


 短髪で、どこか眠そうな顔をした男が拡声器を持って

「お嬢、お迎えに参りました!」と、叫んだ。


 騒然そうぜんとする校舎内。誰もが現状を理解できずに困惑する中、ジョディがぽつりと呟く。


穀潰ごくつぶしども、意外に早かったわね。」


 鞄を手に取り、颯爽さっそうとした足取りで教室を後にした。


 そんなジュディの姿を見て、友人は慌てて廊下に飛び出す。振り向いたジュディと視線が合うが、何を言えばいいのか、言葉が出てこない。


 先にジュディが口を開いた。


「サオリちゃん、さっきの質問に答えるわね。」


 ジュディがにやりと笑った。はかなげな少女という印象など何処どこへ行ったのか、不敵で力強い笑みであった。


「ちょっと海賊を、ね。」




 校庭に生徒は一人もいない。彼らは揃って校舎内に避難し、窓から顔を覗かせている。浮かぶ表情はこれからどうなるかという不安と、若者らしい好奇心。


 校庭の真ん中を不法占拠する小型艇と海賊たちに向かって、ジュディは迷いなく

歩みを進める。黒髪をなびかせ、風を切るように堂々と。その姿には一種の威厳のようなものすら感じられた。


「お嬢、お勤めご苦労さまです!」


 海賊たちは一斉に腰を落とし、頭を下げた。


 先ほど拡声器を持っていた男、副艦長であるヘンリーが一歩前へ進み出る。一瞥したジュディは無言でヘンリーに向かって鞄を放り投げた。ヘンリーはしっかりとキャッチした後で、おっとっとなどと言っておどけてみせる。


「いや、それにしてもレベルの高い学校ですなあ。」


「学費さえ出せば誰でも入れるバカ学校よ。なんせ、私が通っているくらいなんだから。」


「おつむの話じゃあなくてですね。あそこで養豚場のブタみたいにズラッと顔出しているガキどものことですよ。お嬢ほどの別嬪べっぴんさんはいないにせよ、高く売れそうなのがちらほら見えるじゃあないですかい。」


 ヘンリーの言葉に、ジュディは睨みつけてドスの効いた声を出した。


「この学校に手をつけたら、あんた簀巻すまきにしてミサイル孔に突っ込むわよ。」


「あっはっは、わかっていますとも。ジョーク、ジョーク。麻薬と人身売買はご法度、それが我々のモットーです。」


 笑って誤魔化しながら、こういうところは母親そっくりだなと考えていた。


 殺気を出すと同時に、色気も滲み出る。特にマゾヒストの性癖があるわけではないが、叱られると背中がぞくぞくしてくる。

 だが、まだ足りない。ジュディの母親である海賊団の頭領に叱られたときは密かに勃起ぼっきすらしていたものだ。


 この小娘を一人前の海賊に仕立て上げること、それがヘンリーたちに与えられた使命である。ジュディには才能がある。ダイヤの原石を思い通りに磨き上げることは一種の快楽である。


 まるで世界に通じるボクサーを見つけたトレーナーのように、ヘンリーの胸の内は希望に満ちていた。俺が、世界に連れて行ってやる。


 10年後に、数十隻の船を配下において指揮をするジュディの姿を幻視した。圧倒的な力を持ちながら、弱い者からは奪わず、政府軍や悪徳商人を潰してまわる義賊であり、大侠者。正しき者は彼女を頼り、悪しき者は彼女を恐れる。


 その傍らにはいつも、眼光の鋭い老人がいる。レーザーブレードの仕込み杖を握った海賊団の相談役。それはもちろん未来の自分だ。


 ヘンリーは恍惚として妄想にふけっていたが、激しいエンジン音が彼の夢を強引に妨げた。小型艇が戦艦に帰ろうとしているのだ。


「何してんの、置いていくわよ。」


 ジュディが開いたドアから身を乗り出していった。


 小型艇は30センチほど浮かび上がっており、ヘンリーは手すりを掴んで慌てて飛び乗った。お嬢の代わりに学校生活か、冗談ではない。


 忘れ物は無いかと周囲を確認してから、ジュディはふと思いついたように開いたドアから校舎の三階に向かって手を振った。これでもう、忘れ物は何もない。

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