第25話
通信を受け取ったスペース・デブリの艦内で、カンザキはコーヒーカップを片手に視線を宙に留めたまま思案していた。
どうしたのだろうかとレイラが顔を覗き込む。長考するというのは彼にしては珍しいことだ。やがて、方針が決まったとばかりにぽつりと呟いた。
「ばかめ。」
「はい?」
聞き間違いだろうかと
「宇宙戦艦の艦長が理不尽な要求をされたときは、ばかめ、あるいはくそくらえと答えるのが相場というものだ。いや、礼儀といってもいい。」
そんな礼儀作法は初耳であり、その必要性も理解できない。どうせまた彼の懐古趣味から出てきた発想だろう、談話室にずらりと並んだ旧世紀のコミックは全て彼の私物である。
レイラは深く考えることはやめた。
「おい艦長、あと30分で衝突するぞ。」
スコットが重大なことをのんびりとした口調でいう。カンザキもまるで動じず
「じゃあ、あと20分は何もしなくていいな。」
と、新たにコーヒーを淹れ始めた。今のところ衝突する、しないといった問題よりも、カップの中身に執心しているようだ。
「衝突までの時間は短い。だが、一杯のコーヒーを飲み干す時間は充分にある…だ。いかんな、ちょっと語呂が悪い。」
いつもの
「メイ、私にもシュークリーム…あれ?」
カンザキがきょろきょろとあたりを見回す。レイラもつられて観察してみると、メイの姿が見えない。どうしたのかと気にしていると、当の本人が艦橋部後方の自動ドアから勢いよく入ってきた。
「おっす、ただいまッ!」
顔は上気し、薄く汗ばんでいるようにも見える。いったい何をしていたのか、そういえばさっき艦長は何と言っていたか──…。
腕を振って歩くたびに、上下に揺れる胸がいつも以上に
誰も特にツッコミを入れようとしないので、レイラもそれに
「ミサイルを!ミサイルを撃たせてください!野郎、ブッ殺してやる!」
スペース・デブリの正面、数百万キロに位置するこの巡洋艦でも、ミサイルを撃たせろと叫ぶ者がある。ただしこちらはより深刻で、ほぼ錯乱状態というべきか。
泡を吐きながらミサイル発射装置を連打しているところを戦友らに取り押さえられ、本日二人目の独房入りとなった。
艦長席から安全装置を解除しなければ発射できないので、いくら押そうと無駄なのだが、それよりも周囲に与えた影響が大きすぎた。緊張で兵が錯乱したのだ。誰もがもう、冷静ではいられないだろう。狂乱が
部下たちからは半ば悲鳴に近い進言が次から次へと寄せられた。
曰く、首都星に援軍を要請して撃滅してやりましょう。
曰く、
曰く、乗組員を全て脱出させたうえで、この艦をぶつけてやりましょう…等々
いつかは選ばねばならない事である。一番現実的な策はコースを変えることだが、それを本当にやってしまっていいのか。自分の一存で部下たちの未来を閉ざしてしまってよいものだろうか───…。
ここで、「
「相手が何を考えているのか、何をしたいのかわからないことが問題ならば、いっそのこと回線を開いて直接対話を
「呼びかけに答えるだろうか?」
「返事とは呼べないものの、一応は『ばかめ』と返してきたわけですし、まったくの居留守を決め込むつもりではないかと思われます。」
正直なところ、気が乗らない。
最新鋭の戦艦を乗り回し、無言で航路を塞ぐような非常識な奴と通信機越しとはいえ顔を合わせたくなどないというのが本音である。
だが、刻一刻と状況は悪化し、兵たちは神経を
「よし、わかった。私が直接交渉する。回線開け!」
ランベイルは腹をくくったとばかりに宣言をした。
「艦長、政府軍から通信。艦長同士の対話を求めているけど、どうする?」
「二人きりで対話ねえ…。なんだろう、愛の告白かな?ずっと前から愛してました、って。」
「つい二時間ほど前に出会ったばかりでしょ。しかも直接、顔を合わせたわけじゃないし。」
「吊り橋効果ってやつかな。」
「吊り橋を揺らしている張本人が言うことじゃないわよ。」
レイラの鋭いツッコミに、やはり彼女はスペース・デブリと相性がいいのだなと感じながら微笑むカンザキであった。
艦長席のコンソールを操作し、待機状態の個人回線を開く。
電子モニターが浮かび上がり三十代半ばくらいの男が姿を見せる。疲れた顔で、
そのくせ目だけがぎらぎらと光っており、カンザキを
艦橋部の全員に見えるよう大型モニターに映っているのとはわけが違う。あくまで個人のデスク上のことであり、テレビ電話のようなものである。二人とも座ったままであり、敬礼もしない。
相手の偉そうな服と階級章を見て、はてこの階級章はなんだったかと考えていると、相手が先に口を開いた。
「宇宙連邦政府軍、第三宙域警備隊所属、巡洋艦アダマンテーウス。艦長のランベイル少佐だ。」
「ああ、どうもご丁寧に。輸送艦スペース・デブリ。艦長のカンザキだ、よろしく。ご機嫌いかがかな?」
「おかげさまで最悪だ。面倒ごとは抜きにして単刀直入に聞くぞ。なぜ我々の進路を妨害する?目的はなんだ?」
「しんろぼうがい?」
カンザキは、何を言われているのかわからないといったふうに、大げさに驚いて見せた。
「私たちは善良で公正で、第三宙域の発展に
「馬鹿が…、それができれば苦労はしない!我々は政府軍だぞ、民間船に道を譲るような真似ができるか!論外だ、論外!」
ランベイルが叫ぶと、カンザキの顔から感情が抜け落ちた。突如として雰囲気が変わり、見透かすようにじっと睨まれていると、ランベイルの背に冷たい汗がひとすじ流れた。
「言いたいことはわかる。あんたらの立場もある程度は理解できるつもりだ。だがな、はっきり言って私たちには何ら関係のないことだ。人にものを頼むときは言い方ってもんがあるだろう。」
「は?言い方って…、まさか最初の通信文が気に入らなかったとか、そういうことか?それだけでこんなことをしているのか!?」
「そうだよ。」
「そうだよって…え?」
あまりにも単純であり、あっさりと言われたことで、逆にランベイルの思考が追いつかなくなった。
「自分で送った文章をもう一度見直してみろ。」
喧嘩を売られたので、買った。カンザキにとってはそれだけのことである。
彼とて病院船が目的地へ移動しようというときは快く道を譲る。政府軍の艦であっても、作戦行動中であり、礼節に則った通信を送られれば、艦を端に寄せるだろう。
だが、なんら正当な理由もなしに
ランベイルたちは喧嘩を売ったという自覚すらないのだろう。それが当たり前のことだと思って行動しているのだ。政府軍が通るところ、民間人は全て
本来、人が人を
その結果、自分たちは体制側に所属しているから偉いのだ、などという勘違いが発生する。何の根拠もない自信だから、こうしてイレギュラーが発生すると慌てふためくことになるのだ。
お前たちのやったことはそういうことだぞ、とカンザキは視線で威圧していた。ランベイルもまた、カンザキの妙な迫力に押されて何も言えずにいた。
「こんにちは、ありがとう、ごめんなさい。これが言えない人間はろくな奴じゃないぞ。さあ、ごめんなさいと言ってみろ。後はこっちでイモ引いてやる。」
「ご、ごめんなさい…。」
雰囲気に流されるような形で言ってしまった後で、ランベイルは素早く周囲を見回した。部下たちは不安げに見ているが、音声遮断フィールドは効いているはずだ。このやり取りは他に聞こえてはいまい。
本心から謝罪したのか、それともただの一時しのぎか、そんなことはどうでもよかった。一応の決着はついたのだ。カンザキは無言でうなずき、一方的に回線を切断した。
「スコット、進路をずらせ。相手の10キロ脇を通り抜けるような感じで。」
「なんだ嫌がらせはもう品切れか?」
「いい加減、馬鹿をからかうのも飽きたよ。」
カンザキは身体を伸ばしたり、肩を回したりしてから、ぴんと揃えた指先で頬を
上下に動かすと、いつものようにのんびりとした表情が戻ってきた。
笑顔でレイラに向き直り
「それじゃあレイラ、あちらさんに通信文を送ってくれ。」といった。
「それはいいけど、今度は何?『死ねブタ野郎』とか、『自分で尻の穴を広げろ』とか『とっ捕まえて肉便器にしてやる』とか、そんな感じ?」
すっかりスペース・デブリに染まってしまったレイラに、カンザキは苦笑しながら手を横に振った。
「そんな
にやりと笑うカンザキを数秒ほど眺めて、レイラも思い当たったと手をポンと打った。
「貴艦の航海の無事を祈る…ってね。」
巡洋艦アダマンテーウスの艦内は沸き立っていた。
通信手が「民間船、コースを外れました!」と、報告するとあちこちから歓声が上がる。手を叩いて喜ぶ者、緊張の糸がぷつり切れて椅子にもたれかかる者と様々であった。
軍帽を放り投げて好き勝手に叫ぶ様子は、さながら大戦に勝利したかのごとくである。
そんな部下たちの様子を苦々しく見ながら、ランベイルは艦内マイクを取り出して一喝した。
「騒ぐな!民間船が軍艦に道を譲った、当然のことだ!いちいちみっともなく喚くな!」
艦内は静まり返った。というよりも白けた空気が流れたと評すべきか。
正体不明の戦艦が高速で正面から迫ってくるという脅威から解放されたのである。これを当然のことと考えるのは少し無理があるだろう。
何の利益にもならない、本当にくだらない戦いだった。拘束者を二人も出して何をやっていたのかと、考えるほどに空しくなった。
首都星に報告するわけにはいかない、自らの恥を喧伝するようなものだ。部下たちにも奇跡の復活とばかりに騒がれては困る。
「少佐、お疲れさまです。」
ただ一人、ボルヴィスだけはランベイルの心情を理解してか、
ランベイルは、相棒ともいえる曹長の顔を見ながらふと、忌々しい戦艦不法所持の不良中年の言葉を思い出した。
こんにちは、ありがとう、ごめんなさい。これが言えない人間はろくな奴じゃないぞ──…
何を偉そうなことを、とも思う。だが、そういえば最近、誰かにありがとうと言ったことがあるだろうかとも考えた。
疲れた頭を振って、無理にでも笑った顔をボルヴィスに向ける。作り笑いでもカラ元気でも、笑顔は笑顔だ。気持ちが大事だと思うことにしよう。
「おい曹長。」
「は、なんでありましょうか。」
「君にはいつも苦労をかけるな。感謝している。」
言いなれない言葉だけに、どこか照れくささが残る。
そしてランベイルは、ボルヴィスから向けられた珍獣でも見るかのような顔を生涯忘れることはなかった。
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