銀河でもっともくだらない戦い

第22話

「どうしてこんなことになっちゃったかな──…」


 数百万キロメートルの距離を隔てて、スペース・デブリの通信手レイラと、宇宙連邦政府軍少佐ランベイルは同じ感想を抱いていた。


 ことの発端は数時間前にさかのぼる。




 スペース・デブリの艦橋部ブリッジに5人のクルーが集まっていた。オートパイロットで安定航行しているので、当直を1人残してあとは休んでいても構わないのだが、部屋にこもっていても暇なのでなんとなく艦橋部に足を運び、気がつけば全員揃っていたという次第である。この艦ではよくある光景だ。


 また、正式に仲間になったばかりで不慣れなレイラのサポートをいつでもできるようにとの配慮もあった。


 彼女は今、眉間にしわを寄せて通信機のマニュアルを読み漁っている。カンザキからは「この仕事は習うより慣れよだから、適当でいいよ。」と、言われているができる限りの知識は蓄えておこうと、暇を見つけてはこうして学習している。

 根が真面目なのだ。むしろ他の連中がいい加減に過ぎるというべきか。


 とん、とレイラのデスクにサイダーのペットボトルが置かれた。顔を上げると白い服の、突き出た胸が視界に入る。さらに見上げると、滑らかにながれるブロンドの髪の女が微笑んでいた。スペース・デブリの砲手、メイである。

 レイラはちょこんと頭を下げて、ペットボトルを手に取った。


「ありがと、宇宙で炭酸飲料っていうのもなんだか不思議なものね。」


 数百年前、アースで戦争をやっていた時代には戦艦にラムネやサイダーの製造機器が取り付けられていたこともあるので、戦艦でサイダーを飲むのは伝統的といえばそうなのだろうか。


「減圧された状態で炭酸あけたらどうなるんだっけ?」


 答えられそうな奴は誰かと見回して、レイラとメイの視線は艦長席で止まった。

 カンザキは握りこぶしをぱっと開いて見せる。


「ボン、だよ。」


 艦内は基本的に1気圧、つまり地上と同じ気圧となるように与圧されている。

 そのため、ペットボトルが破裂したり、栓を開けたとたんに炭酸が勢いよく抜け噴き出るといったことはない。


 文明の進歩に感謝しつつ、レイラはサイダーを口に含んだ。疲れた頭に甘い刺激が染み渡る。


 炭酸飲料が噴き出す、それだけならただの笑い話で済むだろう。しかし、精密機械が関わるとなれば大問題である。


 重力制御が確立されていない時代には、噴き出した液体が珠となって浮かび上がり、あらゆる隙間に入り込んで大惨事となった事例も多々ある。


 戦闘機の中で炭酸飲料を飲もうとすると派手に噴き出し、キャノピーがべとべとになって前が見えずそのまま撃墜されたという、笑っていいのか悪いのかよくわからない話も存在するくらいである。


「シュークリームも食べる?」


「え、そんなものまであるの?」


 メイがちらりと自分のデスクを見やる。その視線を追っていくと、デスクの下に小さな冷蔵庫が鎮座していた。


 デスクにコーヒーメーカーをネジ止めしているカンザキといい、冷蔵庫を持ち込んでジュースやお菓子をため込んでいるメイといい、こいつらは宇宙をなんだ思っているのか。


 もっとも、レイラもいまやその一員というわけなのだが。


「コーヒーが欲しければ艦長に。お菓子やジュースが欲しければ私に。酒のツマミになるような塩っ辛いものが欲しければスコットに言ってね。イカとか、おせんべとかそういうの引き出しに入っているから。」


「なんでツマミなんか持ち込んでいるのよ…。」


 スコットは満面の笑みを浮かべ、ドリンク剤のコマーシャルを彷彿とさせるように親指をぐっと立てて

「一杯だけならOK!」と、宣言した。


「当直でなければな。」

 カンザキは苦笑してみせる。


 和気あいあいとした空気の中、レイラはやはり来てよかったと、しみじみと感じていた。


 さて、通信手席にも何か持ち込もうかと考えていると、突如アラームが鳴った。緊急性のない、注意といった意味の音である。


 自動で開いたウィンドウモニターを指でなぞり、警告文を読み上げる。


「前方に政府軍、巡洋艦が1隻。…と、このままだと正面衝突するコースみたいね。」


 スコットが面倒くさそうにいう。

「よくもまあ、この広大な宇宙でぶつかるような器用な真似ができるもんだ。」


「重力場や磁気嵐の影響で、動きやすいルートというものは限られてくるからな。そんなこともある。」

 ヴァージルの説明で、レイラは合点がいったとうなずいた。


「そのうち宇宙にも信号機が付けられんじゃねえの。」


「困るわね。私ら暴走行為の常習犯じゃない。」


 放っておくとおしゃべりに収拾がつきそうにないので、カンザキはパンパンと手を叩いて注目を集める。こういうところはしっかりしているようで、会話がピタリと止んだ。

 艦長の指示には従うこと、それは全員が生き延びるために必要なことだ。


 カンザキはわざとらしく咳払いすると

「レイラ、あちらさんに通信文を送ってくれ。こういう時のテンプレートが通信用フォルダに入っているから。」


「お友達って書いてあるフォルダのこと?ちょっと名前がストレートすぎやしない?」


「分かりやすいってのは大事だよ。歴史上、メールの送り間違いひとつで戦争になった事もあるくらいだからね。」


 お友達フォルダの近くには、殺す、脅す、おちょくるなどといった、物騒な名前のフォルダが並んでいる。

 なるほど、これは確かに間違えるわけにはいかないようだ。


「そこに書いてあるのは『このままではぶつかってしまうので、こちらがコースを変更しましょうか?』という内容だ。黙って航路を変えると、お互い同じ方向に避けあっていました、なんてことになりかねないからね。」


 レイラにも、見知らぬ人と視線を合わせながら反復横飛びを続けていた経験はある。それは商店街でお互いに止まっていたからいいものの、超高速で航行している宇宙戦艦が同じコースにいれば被害甚大となるだろう。


「こういう文を送るとね、向こうから返ってくるんだ。『お気遣いありがとう、こちらがコースを変更するので大丈夫です』って。」


「それですれ違う時にお互い『貴艦の航海の無事を祈る』って送りあうのよ。宇宙の良き礼儀ってやつよね。」

 カンザキの説明に、メイが補足を付け加えた。


「へえ…、なんだかいいわね、そういうのって。」


 最近はどうも厄介ごとや物騒なことが続いたので、そうした優しいやりとりができることがなんだか楽しみに思えてきた。何か得するわけではないが、見知らぬ人と敬意を示しあうことは素晴らしい。

 レイラが宇宙に求めていることはそういうことだ。口元に自然と笑みが浮かんだ。


 慣れぬ手つきで送信の準備をしていると軽快な電子音が鳴り、政府軍から先に通信文が送られてきたことを示した。


「ああ、先を越されたか。仕方ない、こっちがコースを変えるか。」


「ちょっと待って、政府軍から送られた文章なんだけど…。」


「なんだい?」


 なぜかレイラは困ったような顔をしている。読み上げにくい文章なのだろうか。カンザキは手のひらを向けて、どうぞと話を促した。


「『邪魔だ、さっさとどけ民間船』…だってさ。」


 カンザキの表情が凍り付いた。コーヒーカップを持って立ったまま硬直している。


「おいおい、思いっきり舐められてんじゃねえか。宇宙の礼儀と優しさはどこ行った?」


「向こうの艦長のおふくろはしつけを放棄したらしいな。そもそも政府の軍人に対等の礼儀を期待する方が間違いだ。」


「愚息の教育に失敗したってとこは、あんたらだって一緒でしょうに。」


 クルーが口々に文句をいうなか、カンザキはため息をつきながらカップを置いて、右手で顔を覆った。


「スコット、速度落とせ。」


「なんだよつまんねえな。このまま泣き寝入りか?タマぁどこに落としてきやがった?軍のマスかき手伝ってやるほどラブ&ピースな集団じゃないだろ俺たちは!」


 スコットが不満げに叫んだ。あまりにも礼儀知らずな物言いに怒ったのか、政府軍に見下されることが我慢ならないのか、恐らくはその両方だろう。


 どうも彼らは揃って、政府軍と聞くと態度を硬化させるようなところがある。

 レイラとて、つい最近地上げの被害にあったばかりなのでわからなくもないと、このときは深く考えなかった。


 皆の注目が集まる中、カンザキは手を下ろして顔を上げた。笑っている、そして目に異様な光を湛えている。


 レイラはこの表情を見たことがあった。管理局で局長を脅していた時と同じ顔だ。絶対にろくなことにはならない、そう確信した。



「何を言っている。コースはこのままだ。」



 誰ひとり、彼を止める者はいない。煽るものが3人と、呆れるものが1人いるだけである。

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