第16話


 6枚の板をサイコロ状に組み立てた、惑星開拓支援用の簡易住居。造りはしっかりとしており、すきま風が入るようなことも無い。照明、ベッド、エアコンにキッチンが常備してあり、簡易的な囲いのついたトイレとシャワーがある。


 一人で暮らす分には住み心地は意外に悪くない。実際、開拓が進んで自由に家が

建てられるようになった後でも、そのまま簡易住居に住み続けようとするものぐさ者が続出するくらいであった。


 そんな箱型の簡易住居が立ち並ぶ、別名みつばちハウスというちょっと可愛らしい名前の付いた社員寮の一室で、レイラはうつろな目をしてベッドに寝転がっていた。


 慣れないアルコールを流し込んではみたが、ただ悪寒と頭痛が追加されただけで

酔うことはできなかった。


 何もかも、忘れたかった。だが、心に打ち込まれた絶望というくさびは一時的な救いを求めることさえ許さなかった。何をしている時でも、心に重くのしかかる。

 泣くことができれば少しは気が晴れるのだろうが、もはや涙も枯れ果てた。今はただ、からっぽの心を持て余している。


 全てが無駄になった。惑星を発見し、開拓を進めたことも。海賊の目を盗んで脱出し、輸送戦艦を連れて帰ってきた冒険も。理不尽な現実があざ笑うように蹴散らしていった。


 深夜の二時過ぎだというのに、外からはまだ多くの人の声が聞こえる。

 誰もが先の見えない生活に不安を感じていた。その反動か、今までの不安を埋めて、未来を手にしたのだという実感を得るために夜通し液体燃料をかき集めているのだろう。


 それが悪魔の罠であったとも知らずに。


 外の喧騒が、どこか遠い世界の出来事のように感じる。何も知らないという気楽さが羨ましくあり、哀れでもあった。


 ピンポン、とどこかで軽快なチャイムが鳴った。二度、三度と鳴らされる。寝転がったまま頭だけを動かしてドアのほうを見た。

 どこか、ではない。チャイムが鳴らされているのは自分の部屋だ。監視用小型モニターには、カメラに向かって手を振るカンザキの姿があった。


 彼が悪いわけではない。むしろ案じていたからこそ忠告をしてくれたのだ。頭では理解しているが、今は見たくもない顔だ。そんな自分がつくづく嫌になる。


 出迎えるのもおっくうなので、そのまま動かなかった。カーテンの隙間から明かりが漏れているので、居留守を使うのも無理があるだろうかと考えた。時間が時間だ、照明を点けたまま寝る人だっているだろう。何をしに来たかは知らないが、カンザキにはそのまま帰ってもらおう。


 すると今度は、どんどんと激しくドアが叩かれた。


「レイラさーん!惑星売りに行こうぜー!」


 レイラは驚愕して飛び起きた。慌ててドアを開けて、唇に指先を当てる。


 静かにしろ、このバカ。ジェスチャーが伝わったのか伝わっていないのか、カンザキはいつも通りの平然とした顔をしている。


「艦長、あなたいきなり来て何やってんのよ?」


「こんな時間に女性の部屋を訪ねるのは非常識だったかな。」


「そこじゃなくて!…惑星を売るとか、誰かに聞かれたらどうするのよ。」


「いつかは話さなけりゃならないことだろう?」


 正論ではある。だが、いつ話すか、誰が話すかはこちらで決めることであり、カンザキに指図されるいわれはない。たとえ未だに話していない理由が、勇気の不足であったとしてもだ。

 大人げないとは自覚していても、どうしても態度が硬化してしまう。


「それで、何の用?」


「君をさらいに来た。」


「はい?」


「と、いうのは冗談で。さっき言ったろう?惑星を売るために惑星管理局に行くから一緒に来てくれ。」


 あまりにも突然であった。トラブルに巻き込まれる前に早めに手放さなければならないのだろうが、それにしても急すぎて頭が追いつかない。


「惑星を売ること、君を連れていくことは社長の許可をもらっている。電話するなり直接会うなりして確認してもらってもいいぞ。ああ、誤解しないでくれ。私は惑星管理局に土下座しに行くんじゃない。高値で売りつけに行くんだ。」


「ちょっと待って、あなた宇宙開拓法については知っているでしょう?惑星を発見してすぐ売るならともかく、所有申請をしてから改めて売却するとなると、税でほとんど持っていかれて引っ越し代くらいしか残らないのよ?」


「そこを交渉で何とかするのが腕の見せ所さ。」


 カンザキは真剣な眼差しを真っすぐに向けてきた。


 本当にそんなことができるのだろうか?多額の借金を抱えて逃げ出すように開拓星を去ることと、まとまった金を得て身辺整理をし、人生を再スタートさせるのとではまるで意味合いが違う。


 何より、権力者たちの横暴の前にただ言いなりになったのではない。自分の足で立ったのだという矜持が残る。


「夢はいつか覚める、そんなことはわかっていたわ。でも、後になってみんなで、いい夢だったと笑えるようにしたい ───… 」


 頬を熱いものが流れ、伝わり落ちる。とうに枯れたと思っていた。いや、そう思い込もうとしていた涙が、かすかな希望を前に溢れだす。そうだ、諦めたくなんてない、絶対にだ。


「本当にいいのね、あなたを信じても?」


「任せろ、スペース・デブリは開拓者の味方で、アフターサービスも万全だ。」


 カンザキが内ポケットから差し出した物が二つ。ハンカチとゴーグルだ。


 ハンカチで涙をぬぐい、ぶびぃとも、ぶぼぉとも、なんとも名状しがたい盛大な音を立てて鼻をかむと、少しだけ思考が晴れた。代わりにカンザキの顔が少し曇ったが、今は咎めている場合ではないと判断したのか、ただ苦笑を浮かべるのみであった。


 ゴーグルは何に使うのだろうと手に取っていじっていると、カンザキが肩越しに後ろを指さした。彼が乗ってきたのであろうバイクに、用意のいいことにサイドカーが付いていた。


「さあ、乗った乗った。ゴーグルを付けていないと目が開けられないからな。」


「どれだけスピード出すつもりなのよ?急ぎではあるけど、一刻一秒を争うってほどじゃないでしょう?」


「必要があるからスピードを出すんじゃない、風になりたいから出すんだ。」


「ちょっと意味が分からないわ。」


 レイラがサイドカーに乗り込んでベルトを付けたことを確認すると、バイクは急加速で飛び出していった。身体がシートに押し付けられ、ぐぇっというガマガエルのような乙女にあるまじき声が漏れる。


 簡易住宅が、人々が、木々がすさまじい速さで後ろに流れていく。


「ちょっと艦長!カンザキさんッ!」


「おう、なんだいッ!」


 大きな声を出さなければまともに会話もできない。だが、スピードの中で大声を出すのは鬱屈した感情を晴らすようで、悪い気はしなかった。


「私、あなたのこと信じるからね!さんざん格好つけておいて、後悔したって知らないわよ!」


「男の人生の最優先事項さ、格好つけるっていうのはね!」


 二人を乗せたバイクは無人の荒野を突き破り、やがて宇宙港とは名ばかりの平原にたどり着く。

 輸送戦艦、スペース・デブリの巨体が鎮座しており、その脇にちょこんとついた出入り口から光が漏れていた。


 遠くからでも目立つ紅白女、メイが大きく手を振っている。その両脇にスコットとヴァージルが控えていた。


 カンザキがスピードを緩めると、レイラがゴーグルを取ってそれを握ったまま手を振って答える。


 彼らならばやってくれる。それは期待から確信へと変わった。

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