【 14 】


 先の爆音を皮切りに、騒々しく足音の入り乱れる気配をキリンジは感じていた。


 場所は地下二階でありながらも、頭上遥か上の世界で繰り広げられる混沌が手に取るよう分かる。キリンジには僅かな地の振動や空気の流れでそれを察することが出来た。


──そろそろ、抜けださせてもらうか……


 それらを確認すると、改めてキリンジは己の体を見下ろした。


 身を包み込む拘束衣は、先に取り乱したキリンジの汗を吸い、真空パックさながらにその表皮に貼り付いていた。

 しかしながらそれすらもがキリンジの狙いである。


 腹部の前で交差された両腕の、左右それぞれの親指を立てて布地に突起を作り出す。爪に感じる布の圧と硬さを吟味するや次の瞬間、戻した親指を人差し指に挟み込むや鋭くそれを弾いて爪先を布地に打ち付けた。


 その衝撃によって麻は裂け、親指両方が拘束衣から頭を出す。これこそがキリンジの狙いであったのだ。


 拘束衣は『面』の張力によって対象を緊縛する衣類であり、すなわち『点』の突破力に対してはその真価を発揮できない。加えて繊維の荒い麻ともなればなおさらである。

 そのことを知るからこその攻略法であった。


 より強く肉体の鋭角が布を穿てるよう、キリンジはあえて発汗をして拘束衣の収縮を誘った。後は一連の通りだ。


 親指の自由が取り戻せるや、そこからくの字に曲げた指先を布に食い込ませ、捩じるようにつまみ上げる。

 キリンジの握力によって麻は引きちぎられるや、さらに指と掌の可動部は増した。


 後は幾度となく指先を駆使して拘束衣の袖を引きちぎっていくキリンジ──徐々に虫が食い進めるかのように引きちぎり、身の内ですっかり解放された両の親指を今度は腹部の面に押し当てるや先の要領で再びそこへ二点、穴を穿いた。


 数分後には──キリンジはすっかり拘束衣を引きちぎり、そこからの脱出を果たす。


 一歩、牢内に歩み出すや凝り固まっていた体をほぐすように左右へ首を折る。


 黒のシャツにジーンズ、そして素足という姿は捕らえられた時のままだ。その服装であっても十分に体が動かせることを確認するようその場で跳躍を繰り返すと、やがては組み格子の前へと歩み進んでいった。


 改めて格子を確認する。

 赤松で組まれたそれは木内に含まれる油分ゆえに柔軟で、切るに至っては刃にまとわりつき、叩くにおいても撓(しな)り弾んでは衝撃を吸収してしまう。


 そんな鉄壁の格子を前にもしかし、キリンジは一向に慌てる様子もなく掲げた右手の拳骨をそっとそこへ当てた。

 鋼鉄製の南京錠が下りる閂(かんぬき)の裏へ合わせたまま、しばしキリンジは俯いて精神統一を図る。


 やがては静かに左足を引いては体を開くと、体位はミコトがキリンジに見せた当身の構え・『素胴突(すどうづ)き』のそれへと移行していく。


 体内に流れる力と自重の流れを操作し、そして完全に両足を踏み込んで打ち込みを完成させるやその瞬間──おおよそ木を打ちすけたとは思えぬ甲高い音が反響した。


 耳鳴りのような余韻が細く残るその中でキリンジは構えを解き、背を伸ばす。

 そうして再び見下ろす鍵の閂そこには、まるでコルク栓でも引き抜いたか如くに断面の鋭利な穴が一点、穿孔されていた。


 後の脱獄は地味なものである。

 閂の消失したくぐり戸を音もなく押し開くと、キリンジは長身を屈めてそこから出る。


「もしシュラがいるならば……謁見の間、か」


 邸内の見取りを脳内に展開させると、キリンジは一同が会するであろう場所へ見当をつける。


 其処こそは頭首カムイが寝食を営む屋敷の北端──駆け出したキリンジはたちどころに牢を抜け、地上へと通じる石段を五段八段飛ばしに駆けあがっていく。


 予感があった。そしてそれは、けっして前途の望めるような明るいものではない。


──間に合ってくれ、ミコト……間に合ってくれ、サヤカ!


 ゆえに祈り、そしてただ駆けた。

 焦燥に駆られるキリンジの胸中からは、一向として不安が晴れることはなかった。



────────────



 同刻──カムイは中庭に面した渡り廊下を進んでいた。


 地下から地上へ上がると、喧騒の度合いはいよいよ以て殺伐としたものとなっていた。


 空気の中に建材の燃焼する据えた臭いが漂っている。さらに遠くからは何者かの怒号が幾人も重なって響いてきているのが分かった。

 おそらくは集団を以てこの堺家を襲撃したのであろう。それに応じる天三宝の気配も加わっては、合戦さながらの様相をここに呈していた。


 しかしながらその中においても、カムイに一切の動揺は現れない。

 今の足の運びを確かめるような歩みも、平素日頃において日向の下を進んでいるかの如きに落ち着いたものであった。


 数寄屋造りの広大な平屋の中を斯様に進みながらカムイは、小さく二度三度と舌打ちをした。

 まるで小鳥のさえずりを思わせるような等間隔の拍子を持った破裂音──それに反応して、


『──お呼びでしょうか、殿』


 何処から現れたか影が一つ──歩み続けるカムイの背後に寄り添った。


「ヌコロフか……現状を知らせよ」


『は。──数分前に南正門内の上空より、彼奴等は飛来しました。その数は凡そで100、統率は取れているようで屋内へ侵入する際に爆薬の類を使用したようです』


「勝敗は問わぬ……儀式の間(あいだ)、彼奴等を謁見の間に近づけるな。この屋敷も……天三宝も今宵を以て廃棄する」


 天三宝の放棄──すなわちは一族の断絶すらもカムイは顔色一つ変えることなく告げた。


「些細である……」


 そしてこの老人には珍しく、嗤った。

 背後に控えた従者ヌコロフもまた首(こうべ)を垂れると、沈黙を以てそれに殉じる。


「加えて、『七曜星』と『太陽の剣』も呼べ。……七曜は『火星(あかぼし)』、『水星(あおぼし)』、『金星(きぼし)』の三名でよい」


 御意──と一言応え、ヌコロフの気配が消えた。

 その段に至り、ようやくカムイは歩みを止める。


 つま先の向きを変えると体を中庭へ開き、そこから空を見上げた。


「すべてが、古からの取り決めのまま……籌策(ちゅうさく)は帷帳の内に廻らすのみ」


 望む天空に雲の類は一切無い。

 それどころか月明かり眩い今宵は、金色(こんじき)の羽衣が空に舞うかのごとくに月光が天から降りて星明りすら望めなかった。


 天空には白く新円なる眩い月、そしてそのすぐ下には──


「歓迎しようぞ………来人(ライジン)族よ」


 数分前までは影すらも存在していなかった巨大な『浮島』が──楕円の陰影をそこに作り出していた。


 突如として東京の上空に現れたそれ。今宵において堺家を襲撃した集団もまた、彼の場所より飛来した者達であった。


 そしてカムイは依然としてそれを見上げては、


「かの皇天と皇地の約束の地………天神嶺(てんじんりょう)よ」


 嗤う──声なき声を以て喉を震わせた。


 古の時代より支度が進められてきた宴が、今宵ここに完成を見ようとしていることへ高揚したのである。


 すべては皇天の為に──

 すべては天三宝の為に──

 そしてすべては──



「天命、我にあり」



 己の為に──。


 枯れた老体に漲る野心は、月の光に潤うかのよう身の内から溢れ出してはカムイを嗤わせるのであった。

 


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高天原・天神嶺 たつおか @tatuoka

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