祖師谷臨時政府

FZ100

祖師谷臨時政府

 遥かな未来、彼方の恒星系で異変が起ころうとしていた。永らく銀河に君臨してきた帝国の首都惑星、その秘された座標が暴かれ、地球軍の宇宙艦隊に包囲されてしまったんだ。防衛線を突破され、惑星を覆うプラネタリー・シールドももはや限界、陥落は間近だ。


 首都惑星にある亜空間回廊制御装置が破壊されれば銀河に張り巡らされた亜空間ネットワークは崩壊する。亜空間通信や亜空間航行が阻害されれば帝国の維持は不可能、自力で跳躍航行可能な地球軍の艦隊が圧倒的優位に立つだろう。


 無数の艦艇が惑星を包囲する中、包囲網を縫うようにして飛び回る戦闘機があった。ボディにペイントされた流星のマークは帝国軍のものでも地球軍のものでもない。


 戦闘機のコクピットではパイロットのアガタが何とか敵を押しとどめようと孤軍奮闘を続けていたけど、所詮多勢に無勢。戦局はあきらかに不利だった。


 アガタの脳裏に声がこだました。


 ――アガタ、別れのときがきた。


 <観察者ウォッチャー>と呼ばれる超越者。アガタに超人的な力を与えたのは彼。アガタは思ってもみない言葉に驚愕した。


「何を言うんです、メナス」

 ――あれを見ろ。


 アガタはスクリーンに目をやった。幾筋もの光がアガタの戦闘機めがけて飛んでくる。


 アガタは息を呑んだ。確かにあれは<観察者>。メナス以外の<観察者>が乗り出してきた。この非常事態に!


 ――彼らは警告してきた。私の行ないは時の流れに干渉するものだと。


 <観察者>は誕生して以来、中立を守り不干渉を旨としてきた。だけど、メナスは敢えてその禁を犯してアガタに力を貸したんだ。で、彼らは禁を破ったメナスに制裁を加えるべくやって来たというわけ。


「せめて元老院の子弟だけでも逃れさせることはできませんか?」


 ――時間がない。


 戦闘機のボディが激しく揺れた。被弾した? メナスとの会話に気をとられてしまった。アガタは計器に目をやった。いや違う、<観察者>の攻撃だ。


 ――君を救いたい。生き延びて伝えよ。


 アガタの体が宙に浮き、光の泡が覆った。同時にシールドが破れ、戦闘機は木っ端微塵になった。


 意識を取り戻したアガタが見たのは虚空に開いた小さな小さな黒い穴だった。メナスの声が響いた。


 ――これが最後になる。特異点を超え、過去の地球に向かえ。


 黒い穴は特異点と呼ばれるものなんだ。


 グン、と一瞬引っ張られたような感覚がした。と、アガタは特異点を無事に超え、青く輝く惑星を見下ろしていた。


 太陽系第三惑星・地球。その大気圏にアガタを乗せた光の泡はゆっくりとゆっくりと降下していった――


     ※    ※    ※


 居間のステレオコンポから流れてくる曲はシベリウスの交響曲第七番。いつも聴いてるから覚えてしまった。田心たごりさん――フルネーム田心県たごりあがたの語りがクライマックスにさしかかると、交響曲も佳境となった。管弦の響きが低く一つに集中し一気に爆発しそうになる。が、突然曲はコダーイの『ハーリ・ヤーノシュ』というんだっけ、『音楽のくしゃみ』と呼ばれる出だしに差し替わってしまった。


「――今日はここまで」


 田心さんは語り終えた。いつも『くしゃみ』で話は終わるんだ。田心さんが自分で編集したらしい。


「じゃあ、アガタはそうやって地球に来たんだ」


 漫画家の田心さんは自称・銀河の英雄。でも、どうしたって四十代半ばの冴えないおじさんにしか見えない。


「カフカの『変身』って小説知ってる? 目が覚めたら僕は僕だったんだ」


 いつかのお話では、お酒を飲んでへべれけに酔っぱらって千鳥足で歩いてたら、ふと自分を離れたところから見ている気がしたんだって。それがきっかけで記憶を取り戻したとか。微妙に矛盾してる気がする。でも、田心さんに言わせると英雄伝説ってのは矛盾した異伝があるものなんだって。


「それでどうして漫画家してるの?」


 三明唐音みあけからねちゃん――僕、社家地航太郎しゃけちこうたろうの幼馴染で田心さんの姪っ子がくすくす笑う。


「そうだよ。地球人に追われてるのにどうして地球にノコノコやってきたのさ」


 僕もアガタの目的が今一つピンとこない。


「いつも言ってるじゃない。地球人の横暴を訴えて未来を変えるため。漫画家をしてるのはね、絵を描く、それがメナスが僕に残してくれた唯一の力なんだ」


 田心さんはいたずらっぽい笑みを浮かべる。唐音ちゃんもときどきそんな表情をするから、そういう家系かもしれない。


「地球側からしたら僕は大悪党だからね、真実を訴えてるの」

「別れたメナスはどうなったの?」


 田心さんの表情が曇った。


「<観察者>メナスはおそらくどこかに幽閉されてるかと……」


 もちろん田心さんのホラ話。でも、時々本当に信じてるんじゃないかと疑ってしまう。


 奥さんの純さんが紅茶を差し入れしてくれた。


「結婚前は随分浮名を流したそうよ」


 銀河の英雄タゴリ・アガタ――地球の発音とちょっと違うらしいけど――は行く先々で女性にモテモテだったとか。実際の田心さんは丸顔で髭づら。額が薄くなってメタボリック症候群気味。


「今は君一筋だからね!」


 田心さんは苦笑して念を押す。純さんはアシスタント役も兼ねるそうだ。僕の母と同い年らしいから、多分三〇代後半。


 と、電話のコール音がした。田心さんは発信元を確認するとすかさず受話器をとった。


「もしもし。……あ、はい、ええ、ええ、何とか――」


 編集さんからいつもの電話。月刊誌に連載を二本抱えて結構忙しいらしい。で、その催促。業界に田心さんの遅筆は知れ渡ってて、ちょくちょく電話を入れて進捗状況を確認するんだそうな。


「じゃ、仕事に戻るから。続きはまた今度ね」


 田心さんは席を外すと奥の仕事部屋に戻っていった。紅茶を飲み終えると唐音ちゃんが壁の時計をみた。


「そろそろ塾の時間だよ」


 僕らは田心さんの部屋をお暇することになった。


「また来てね」


 純さんが声を掛けてくれた。ドアが閉じられると『祖師谷そしがや臨時政府』と書かれた金属プレートが誇らしげだ。田心さん――一千年前の地球にタイムスリップした英雄タゴリ・アガタは銀河帝国の亡命政府を祖師谷に置くことにしたそうな。アガタは帝国元老院の名誉議員だから正統な政権なんだって。



 で、僕の家は『臨時政府』のお隣というわけ。


「ちょっと待ってて」


 唐音ちゃんに待ってもらうと僕は塾に行く支度を整えた。


     ※    ※    ※


 小田急線は今高架に切り替える工事を行なっている。祖師谷大倉駅に隣接する商店街から少し歩いた道路沿いに僕の住むマンションというか集合住宅がある。


 田心さんが越してきたのは今年の春。挨拶に来た田心さんを出迎えたのは僕。そのときは気の優しそうなおじさんくらいにしか思ってなかった。


 数日後、学校に行こうとしてふと前を通りかかると、田心さんの部屋の前に見慣れないプレートが掛かっていた。『祖師谷臨時政府』とある。流星のマークは何の意味だろう、僕には全く想像がつかなかった。


 学校から戻ってくると、田心さんの部屋の前に見慣れない男二人組が立っていた。どうやら田心さんは留守らしく待ちぼうけ、といったところだろうか。きちんとしたスーツに身を包んでいる。


 男の片割れが携帯電話を取り出すと、どこかにダイヤルした。しばらくして、


「つながらねぇ」


 と電話を切った。強面の人で僕はひょっとして、とビクビクしながら通り過ぎようとした。ドアを開けたところで、


「君、お隣さんだね。田心さん、どこ行ったか知らないかな?」


 と呼び止められた。冷や汗がどっと吹き出してきた。


「いえ、今学校から戻ってきたところなので知らないです……」


 消え入りそうな声で何とか答えると、


「そうか、しょうがないなぁ」


 あきらめたのか二人組は去っていった。僕はホッと胸をなでおろした。


 商店街に出かけると、何と田心さんとばったり出くわした。


「こんにちは」


 僕がおずおずと声をかけると、田心さんは、


「君、社家地さん家の――」

「あの、何か怖そうな人が来てたんですけど」


 田心さんはギクッとした表情で慌てて携帯電話を取り出した。どうやら電源を入れてなかったらしい。どこかにダイヤルしてつながると、


「いや、どうもすみません。ネームで詰まってて――」


 すっかり平身低頭だ。僕は、あの二人組はやっぱり、あんな人たちが連日うちのマンションに押しかけてきたら、と不安になってきた。『臨時政府』って看板掲げてるんだもの、誰かに狙われてるのかも。でも、追われてるなら目立たないようにするよなあ。


 田心さんの正体が判ったのは、それからしばらく後、玄関先で唐音ちゃんと鉢合わせして。親戚の家に遊びにきたらしい。


「コッタちゃん家がお隣さんなんだ」


 コッタちゃんってのは僕・航太郎のアダ名。赤ん坊の頃、うまくしゃべれなくて自分のことを「コッタ、コッタ」って言ってたからだって。それから小学五年の今まで僕はずっとコッタちゃんだ。


 玄関で出迎えたのは田心さんだった。後ろに僕がいるのを見て、


「唐音ちゃん、社家地君と知り合い?」

「同級生」


 僕もお招きされたというわけ。で、ようやく田心さんが漫画家だって判ったの。


「こないだの人はね、編集さん。担当交替するから引継ぎにね」


 ネタで行き詰って煮詰まっていた田心さんは編集さんの督促から逃げ出してたんだと。それはいいんだけど、『祖師谷臨時政府』の謎が残ってる。僕は尋ねてみた。


 田心さんの瞳がきらり、と光った。


「実はね、僕は――」


 それからめくるめく冒険譚が始まったんだ。


     ※    ※    ※


 ――宇宙が誕生して十数億年が経過、どこかで最初の生命が芽吹き、永い永い時間が過ぎ去って最初の知的生命体が産声をあげた。いつしか進化を極めてしまい、不自由を覚えはじめた知的生命体はついに肉体を捨てることにしたんだ。


 彼らは文明を封印して光のような漠然とした姿で宇宙に散らばっていった。行った先々で彼らは生命の進化を見守ることにした――だから<観察者>と呼ばれるんだ。


 数億年後、銀河に次の知的生命体が誕生した。やがて彼らも自分たちの生まれた恒星系から飛び出して宇宙に散りはじめた。そこで彼らは<観察者>が残した文明の痕跡に辿り着いた。


 それが宇宙に燦然と輝く銀河帝国のはじまりだった。<観察者>の残した高度なテクノロジーを得て帝国はどんどん膨張していった。やがて銀河のほとんどを支配領域に置くようになったんだ。


 その頃太陽系でも生命が芽吹いていた。時は流れ流れて、潮が満ちるように人類も宇宙に進出しはじめた。彼らが別の恒星系に辿り着いたのを確認した銀河帝国は地球人とはじめて接触したんだ。


 人類は驚いた。自分たちを遥かに凌ぐ文明が銀河一帯に広がっている。結局人類は帝国にひれ伏すことになった。帝国は寛容だったけど、地球人にとっては屈辱だった。表面上は帝国に従いつつ裏で牙を研ぎ続けたんだ。


 皮肉なもので、ある地球人が<観察者>の残した文明の遺跡を偶然発見した。自力で光速を超える跳躍航法――銀河帝国のテクノロジーをも凌ぐそれは、不幸のはじまりだった。


 不幸が次々と帝国を襲った。地球人の持ち込んだウィルスが突然変異して、あっという間に銀河全域に拡がってしまった。帝国のヒューマノイドにとってそのウィルスは致命的で、わずかな期間に人口が最盛時の四分の一にまで減ってしまった惑星もあるという。弱体化しはじめた帝国を尻目に地球人は徐々に帝国の領域を脅かしていったんだ――


 ときどきネタに詰まるのか、田心さんはしばらく考え込む。僕と唐音ちゃんが適当にお話の続きを考えると、


「お、それいいねえ。そうしよう」


 結構、僕らの提案を採用してくれる。そんなわけで激動の宇宙をさすらう英雄アガタの冒険は行き当たりばったり。


 ――平凡な若者アガタはあるときモルグBと名乗る地球人の青年と知り合った。亜空間回廊の管制官であるアガタの父に言葉巧みに近づくと、モルグBは秘された首都惑星の座標を探ろうとした。銀河に張り巡らされた亜空間回廊が帝国の力の源。それを制御する装置が打撃を受ければ帝国は崩壊の危機に瀕する。彼の意図に気づいたアガタは後を追った。


 が、モルグBが踏み込んだのは偽の首都。まんまと罠に落ちたわけ。アガタの通報を受け警務官が彼を取り囲んだ。ところがモルグBの実体は別のところにあったんだ。戯れにモルグBに力を貸した<観察者>がいたらしい。アガタの故郷を踏み台にしてモルグBは核心に迫ろうとした。モルグBの居所を突き止めたアガタが後を追った。が、アガタの乗った船には爆弾が仕掛けられていたんだ。


 爆発の瞬間、アガタは光輝く何かをみた。それが<観察者>メナスとの出会いだった。アガタの献身的な行ないに感心したメナスは、不干渉という<観察者>の戒律を破ってしまった。


 <観察者>たちは肉体を失って理性のみで思考し行動するようになって久しかった。でも、それでいいのか考えたのがメナスだった。だから彼は再び肉体を得ることで感情を学ぼうとした。それに彼は地球人の横暴さに眉をひそめていたんだ。


 アガタは超人的な力を得た。モルグBの実体を倒すと、故郷の惑星を襲撃してきた地球軍の艦隊を撃破、勇ましく凱旋した。それが英雄アガタの最初の冒険。道中、愉快な仲間達が加わってにぎやかになるんだ――


 お話のときはシベリウスの交響曲第七番を流すのが決まり。ムラヴィンスキーという偉い指揮者の演奏が好きなんだって。シベリウスの交響曲は指揮者と奏者によって響きがかなり違って、北欧の春を思わせる演奏もあれば、ムラヴィンスキーのように厳しい冬さながらのものもあってそこが魅力なんだとか。でも、『くしゃみ』はバチ当たりだよなあ。


     ※    ※    ※


 田心さんはいつものように自作のCDを再生しはじめた。


「今日はとっておきの話をしよう」


 奥さんの純さんはお出かけ。恋物語らしい。


 ――銀河を放浪していたアガタはあるとき、海賊に襲われた飛行船を救った。海賊船が接舷して地球人が突入、船は大混乱となったんだ。アガタが危機に駆けつけ、単身乗り込んだ。敵をちぎっては投げちぎっては投げで、海賊たちはほうほうの体で逃げ出した。


「ありがとうございます、キャプテン・メナス。何とお礼を申し上げればよいか」


 美しい娘の申し出にアガタは驚いた。船にプリンチェプス――帝国の元首の娘が乗っていたから。ちなみに帝国と訳すのは厳密には正確でないんだ。代々市民の第一人者がプリンチェプスとして君臨、元老院議員から後継者を指名する決まりだから。


「姫の名は――」


 田心さんが詰まったのを見て唐音ちゃんが言った。


「ノビルはどう?」


 この間、野草を摘みにいったから野蒜のびるだろう。


「じゃあ、そうしよう」


 昔の彼女の名前なんか使って純さんにバレたら大変だ。


 ――姫はノビルという名前だった。アガタはノビル姫を無事プリンチェプスの許まで送り届けた。姫とのロマンスと切ない別れは今でも忘れられない――


 そこで計ったように『くしゃみ』が鳴った。


     ※    ※    ※


 塾の帰り道、仲間と別れると僕は商店街をぶらぶらと歩いた。ついでに書店を覗いてみる。お決まりのコースだ。


 少年漫画のコーナーに田心さんも連載してる雑誌が平積みされていた。表紙は田心さんの絵。


「よう」


 声を掛けられて振り向くと田心さんだった。僕は雑誌を指差した。田心さんはにこりと微笑んだ。


「新連載だよ」

「じゃあ買います」

「おっ、助かるねえ。ついでにアンケートも書いてくれるとうれしいぞ」


 お隣さんに頼んでて大丈夫かな、僕は思った。レジでお金を払うと、


「今度、星を見に行かない? 唐音ちゃんも来るよ」


 田心さんのお誘いに僕は二つ返事でOKした。


 家に戻って読んでみると僕は思わず吹きだしそうになった。構想一〇年、壮大なスケールで描くスペースオペラ! と銘打たれた新連載は『臨時政府』そのままじゃん。多分、実質半年くらい。主人公は田心さんとは似ても似つかぬスリムでイケメンな若者デン・シンケン。田心さんの名前を音読みしてるだけ。


 漫画になって気づいたことがある。物語冒頭、宇宙船の類はあまり登場しない。移動手段の多くを亜空間回廊でカバーしてるからなんだって。


 それから田心さんと、お話がこの先どうなるか他の人には内緒って約束した。僕と唐音ちゃんだけが知ってるってまんざらでもないね。


     ※    ※    ※


 約束の日の午後、田心さんが迎えに来てくれた。


「唐音ちゃんのボディーガードで航太郎君をお借りします」


 近頃はお隣さん同士すっかり仲良くなって、お母さんは快く送り出してくれた。


 僕らは田心さんの運転する車に乗った。田心さんと純さん、僕と唐音ちゃんの四人だ。環八に入りしばらくすると中央道の入り口に進んだ。


 高速道は渋滞もなくスムーズに流れている。車窓の向こうの空は秋晴れで、これなら星の観察も大丈夫。


 運転しながら、田心さんがふと漏らした。


「今日で皆とお別れだよ」


 田心さんは真顔だ。僕が驚くと、純さんが笑った。


「お迎えが来るんだって。銀河の彼方から」

「なんだぁ、そんな話かあ」


 いつものホラ話。でも、今日は『くしゃみ』は流してなかった。


 目的地の高原に着くともう夕方だった。僕らの他にも家族連れが何グループか来ている。秋も深まって空気はひんやりと、むしろ肌寒いくらいだ。


「せっかくだからもう少し早く来てもよかったな」


 唐音ちゃんの言葉に僕もうなずいた。


「また来ればいいさ。それより夜は冷えるから風邪ひかないようにね」


 また来ればって、今日でお別れじゃなかったの? 夜通しの観察なので、今日は厚着してるんだ。


 純さんお手製のお弁当を食べた後、僕らは車で休んで夜を待った。車載テレビで映画を観てるうちに僕は眠くなってしまった。


「しばらく休むといいよ」


 田心さんが声をかけてくれた。


 目覚めると体に毛布が掛けられていた。毛布にくるまった唐音ちゃんが僕にもたれかかって寝息をたてている。女の子っていい匂いがするんだ、少し徳した気分。僕は唐音ちゃんを起こすと外に出た。


「二人とも起きた? そろそろだよ」


 田心さんが空を指差した。いつの間にか望遠鏡をセットしている。


 僕は田心さんが差した方角をみた。街から離れてるので夜空がはっきりと見える。満天の星だ。


「来てよかったろう」


 僕は素直にうなずいた。と、空に一条の光が奔った。流星だ。


「流れ星が降りはじめた」


 唐音ちゃんははしゃいでいる。そういえば流星群を観察するためにここに来たんだっけ。流星が闇夜に幾筋もの軌跡を描いて次々と降っていく。あたかも天空のショーだ。


「で、お迎えはいつ来るの?」

「さあ、さっきから待ってるんだけど、来ないなあ」


 田心さんは困り顔で腕組みした。僕は意地悪なこと訊いたなとちらと反省した。


 そのときだった。東から北東に流れているはずが、流星は逆に北東から東に流れだし、いつしかまるで撃ちあっているように交差しはじめた。不思議な光景に僕は言葉を失ってしまった。


「ねえねえ、今、流れ星が撃ちあってなかった?」


 僕は思わず隣の唐音ちゃんに尋ねた。


「え、そんなの見えないよ」


 唐音ちゃんは見えなかったと言う。じゃあ、気のせいだろうか?


「あ」


 唐音ちゃんが声をあげた。


 空に一際太い筋を描いて光が奔った。ほうき星かと思ったけど、それはすぐいくつかの光の瞬きとなって消えてしまった。しばらくしてパーン! という音が空気を振るわせた。世界が一瞬揺らいだ気がした。


「特大だな」


 感心した田心さんが言うには、隕石が燃え尽きずに大気圏で爆発することもあるんだとか。さっきの音はそう。


 何かの予兆だろうか、<観察者>同士が争ってる、そんな気がしてならない。僕は急に不安になってきた。でも、しばらく経ってもそれ以上何も起こらなかった。


「残念。今年は来ないみたいだよ」


 田心さんは続けた。


「でも、きれいだったろう? これを見せたかったんだ」


 僕はホッとしてうなずいた。


「じゃあ、祖師谷臨時政府は続くんだね」

「そう、県の使命はまだまだってとこかな」


 ふと僕は思った。もしかして出会いは偶然じゃなかったのかも。


 ……まさかね。僕は思わずくしゃみした。


(了)

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