フィクションなら何をしてもいいのか?

 という議論を見かけた。


 色々と意見が飛び交っていましたが。



 フィクションなら何をしてもいいんでしょうよ。


 じゃあ本当に何をしてもいいのか? と言えばそれも違うんでしょう。



 たとえば、明らかにその元ネタが分かる内容で、間接的に他人を誹謗中傷するような物を公開する事は問題だ。


「似ているだけでこれはあくまでフィクションです」


 それを規制する法律が無いというだけで、それをやってしまえば当人の品性が疑われるというだけです。



 場合によっては裁判になる事もある。


 その判決がどっちに転ぶのかなど時代にもよる。


 そもそも当人が法を逃れて誹謗中傷をする意図でやっているならそういう人間なんだろうけれど。


 意図せずにそうなっている可能性があるのなら、それを教えてあげるべきだとは思う。


 そういう時に「フィクションなら何をしてもいいわけではないですよ」という言葉になるかもしれない。



 要するに、


『自分の頭の中でどんな妄想を思い描こうが自由』と


『フィクションとしてどんな物語を書こうが自由』


 はこの時点では同じ。


 それをどう取り扱うかの違いでしかない。



 自分の頭の中の妄想を作品として表に出すなら、それは大丈夫なのとかと立ち止まって検証する。


 他人に迷惑をかけているのにその自覚を全くしないのは単に品性の欠けた人間でしかない。


 品性の欠けた人間を「他人が何をしようと知った事ではない」と放置してよいのかと言えばそんな事もない。


 日本国民の先達として、若い者がそんな行為をしているのなら、注意の一つもしてあげるべきなんだろう。


 そんな議論がネットでされるという事は、その大本は全世界に向けて発信されたものなんだろうから。


 外国人からしてみれば日本人全体の品性が書けていると思われるわけだから。


「フィクションなら何をしてもいいのか?」


 いや良くないよ。


 法律に反してはいけないし、他人を傷つけてもいけない。


 自分のイメージを落としてもいけないと思うし、民族全体のイメージを貶めてもいけない。


 というような事を投げかけても、


「そんな事は分かっている」


 と言うだろうけれど。


 それが分かっているような品性のある対応をしているかどうかで、それは分かると思う。


 品性の無い対応していながら分かってると言っても説得力が無い。


 グロい物を公開するなら、それによって不快な思いをする人がいる事を知っておかねばならない。


 それを「フィクションは自由だ」と主張するのは単なる子供。


 大人はそれを知って注意書きを添える。

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