書けるなら、読めるのかもしれないと思った
カクヨムでもたまに「~選考通過経験有り」みたいなプロフィールを見かける事があります。
結論から言うといったいどこがそれを通したんだ? と思う時がある。
二次以上通過するという事は少なくとも関係者が見ているという事ですから(二次も下読みの事もありますけど)。
(一次の場合は下読みなので、自分では判断できない物をあげて判断を任せる事があると現役下読みの人が言ってました)
まあその通ったものをカクヨムで公開しているわけではないので、どんな物が通ったのかは分からないのですが、
奇跡的に通るものが作れたのではないのなら、他の物を見て基本的なスキルは判断できると思うんですね。
それを見るとそれほどうまいわけでも面白いわけでもない。
まあ大昔に書いた物だけ公開しているのかもしれませんが、それでも文章のうまさの違いくらいのはず。
感性が突然変異を起こすとはあまり考えられない。
しかもそういう人が稀に作品評価します、と企画を立ち上げる事がある。
そしてその批評を見て「これはないだろう」と思う事があるのですね。
・自分の好みだけを書く。
・誤植だけ指摘する。
・どこの常識に照らし合わせたのか分からない様な的外れな指摘をする。
なんてのはむしろマトモな感想なのだと実感する。どんな意見でも活かすも殺すも受け取る人次第です。
その人のはそんなものではない。
・面白かったです
・興味深い内容です
・綺麗な文章です
ほぼほぼ上記のような一言。
それに若干修飾語が付加されている程度です。複数行書かれていればいい方。
書ける人間が批評できるとは限らないとは言え、いったい彼は何をしたかったのか?
本当に読んでいるのかどうかすら分からない。
それがすぐ返ってくるのならまだしも数か月経った今も全て終了していない。
数か月待ってやっと掲載されたと思ったら上の内容。
それも個人ページに掲載なので応援付くわけでも星付くわけでもない。
批評から得るものは何もない。
おそらく大半の参加者はそんな企画もう忘れているでしょう。
その人は少し前にも同じような企画を立てていたのですが、
そちらはもう少し多く書かれていましたが、内容的には深いものはない。
どの批評にもやたら書かれていたのが、
「イメージしにくい」
何がイメージできないのか?
情景か? 裏に流れるテーマか?
そもそもこの作品から何を、何故イメージしようとしたのか?
そして添えられているのが、
「僕の読解力の無さかもしれません」
なら読解力無さすぎでしょう。
その読解力でなぜ他人の作品を批評をしようと思ったのか。少なくとも自分で読解力が無いと思うのなら批評しちゃダメ。
その当人の作品を見てみも、状況描写が繊細とか特にそういう事はなかったので、私にも彼が何を見て何を感じているのかはサッパリ分かりませんでしたし、何より彼に分かる物を作り上げる事にメリットを感じられない。
その過程があるので、次の企画では一行感想になったのではないか、
つまりは読んでも何も得られないから――誹謗中傷しないのならそういう書き方にしかできなかったのではないでしょうか。
まあそんな事をするくらいなら偏った感性だろうと思う所を書いてくれる方がまだ有益です。
少なくともこの世に一人はそういう見方をする人が存在すると言えるわけですから、聞き入れる必要はなくても何かその後の参考になるかもしれません。
こういう例があると、批判しかしない場合でも真摯に向き合ってくれているんだなとひしひしと感じます。
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