フィクションとノンフィクション その2

 残る可能性は、現代かファンタジーか? ではないか。


 ファンタジーの設定の事をフィクションと言っているのではないか?



 作家の世界には「作家としての力量を試したければ現代物を書け」という言葉があります。


 出版社が、作家としての技量を量る時に現代物を書かせてみる事もあります。



 一般的にも現代物で売れる物を書ける方が技量が上だとする風潮は確かにあるのですね。



 もしかしたらその当人もそんなような事を言われた事があるのではないだろうか?



「ファンタジーだろうがSFだろうが面白い物は面白い」


 と言っているのではないだろうか?



 実際私が現代物を手がけているのは自分の技量を試す為でもあります。


 専門はゲームですからむしろファンタジーの方が仕事としては必要ですね。

(ていうか現代物のゲームって作った事あるのか?)



 そして実際そんな事実があるのか?

 現代物を書く者の方が技量があるのか?

 という話ですがそんな事はありません。



 ファンタジーが全く事実に基づいていないわけではないし、ファンタジーならそれで面白いわけでもないです。



 『現代物を書かせれば、その者の技量が分かる』


 というだけです。



 難易度的にはファンタジーの方が高いと思っています。


 SFもしかり。



 ノンフィクションの物語に、

「本当にこんな事があったんだ」

「本当にこんな人がいるんだ」

 と同情、共感、感動があるように、



 相対性理論に基づいた物語にも、

「こんな事が起こるんだ」

「そういう考え方があるんだ」

 と驚き、感動がある。



 黒魔術や秘密結社も、誰かが物語の為に創作した物ではありません。


 それらも実際に存在し、研究されてきたものなんですね。




 ではなぜそのような風潮があるのかと言うと、ファンタジーは特殊な設定だからです。



 時には作者にしか分からないローカルな設定の場合もある。



 分からない事があっても、よく読み返せば理解できるのか、本当に説明が不足しているのか、判断するのが大変だからなんですね。



 その点、現代物は現実世界のルールに基づいていますから、知らない事があっても知っておく事に損はない。


 精力的に調べながら読む事も無駄になりません。


 別の現代物を読む時にも役立ちます。



 ファンタジーは設定に破綻があっても判別しにくいのです。


 そういう者には現代物を書かせれば、技量を判断しやすい。


 まずプロとしての力量を見極めてから、物書きとして採用してから書かせればよいだけです。



 ではなぜ今ファンタジーの募集があるのか。


 これは私の言葉ではなく、出版、下読みの人間が記事に書いている事ですが、今の応募者には初めから技量が期待できないから。


 絶対数を確保できないから。


 結局矛盾点指摘して直させるのは末端の人間なので、自分達は面倒くさくないからなんですね。



 少し話が逸れましたが、要するに冒頭の一文は、


「技量の高い低いではなく、純粋に面白いかどうかを見る」


 と言っているのかもしれません。




 個人的には、売れればいいのであって技量は重要ではないと考えています。




 では技術の高い低いが面白さと無関係かと言えばそんな事はない。


 技術が低ければ面白くないのかと言えばそんな事も無い。



 むしろ技量を高めるのは基本姿勢であって「低くて良い」とするようなものではない。



 技術のある文章は読みやすく伝わりやすい。


 それは物語をより面白く見せてくれる。



 反対に技術が足りなければ斬新なアイデアで底上げするのも良いと思います。



 しかし「底上げされたアイデアの部分しか見ませんよ」というのは何かおかしいのではないか?



 やはり単なる、


「技量の高い低いではなく、純粋に面白いかどうかを見る」


 とも少し違うように思う。


つづく

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