フィクションとノンフィクション その1
フィクションかノンフィクションかを意識しない読み手です。
時間を割いて読書を楽しんでいると考えているので、
その物語が面白いかどうかだけが重要であり、事実に基づくか否かは二の次です。
という感想を頂きまして、少し気になったので考えてみました。
書いてある事は全くその通りで、同感なのですが、気になったのはその意図ですね。
要するに何を伝えたいのか? 何を言わんとしているのか?
「私は作品を読む時に1ページ目から読みますのでご了承ください」
と言われても、
……も、もちろん。そうしてください。
としか言いようが無い。
中には「あとがきから読む」という人や、ミステリーをラストから読むという人もいますから、
自分はそういう人間ではない、と言いたいのかもしれません。
何か分からない当人の中にある定義があるだと思われます。
最後の一文からは「事実に基づいているからといって高評価はしない」という風に取れますね。
(あってる? あってるよね?)
まず「事実に基づく」というのはどういう事か?
ドキュメンタリー性か?
しかし、
「異国にはこのような貧しい子供達が一生懸命生きてます」
「旧日本軍がどのような事をしてきたのかを同じ民族として知りましょう」
という物を見て、
「『いったいこれのどこが面白いの?』という姿勢を基本としている」
という事を公言するメリットも感じられない。
多くの人に見てもらいたいドキュメンタリー映画こそ、より興味を持ってもらえるよう「引き」は重要です。
結果誰も見てくれない、では存在する意味が無い。
やはりドキュメンタリーにも面白さは重要で、結局は全ての作品に言えるのだから別段取り立てる事でもない。
ましてやその「事実」は作者が作った物でもなんでもないですからね。
評価に関係するはずなどあり得ない。
ここで言う「事実」はドキュメンタリー性ではない。
では冒頭の「ノンフィクション」を「事実」としているのか?
感想のあった物語はエピソード等は事実に基づいていますが登場人物などはフィクションなものです。
つまりフィクションと一口に言っても、どこにフィクションがあるのか。
むしろ全てフィクションという方が難しい。
元素から新しい物を考え出した世界観を理解できる者はこの宇宙に存在しない。
キムタク主演の「脳科学」や「HERO」はキムタクがカッコイイ事もさることながら、設定が事実に基づいているからです。
DNAや司法制度が本物だから面白いんですね。
そこが間違っていたり嘘が入っていたら途端にあかんやつになってしまう。
なぜなら誰でも脳を持っているし、誰でも司法に触れるからです。
ここでは知的好奇心を満たす、という面白さを提供しているのです。
「逆転裁判」のようにあまり法的事実に基づいていない裁判物もありますが、それは基本ギャグだからです。
ギャグ物は間違いに対して突っ込ませるのが基本的な楽しみ方だから成立します。
要はフィクションもノンフィクションも必ず何処かしらにあるもので、面白さこそ重要だというのはやはり変わらない。
ならばこの事実というのは何なのか?
つづく
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