応援コメント

動物愛護を考える」への応援コメント


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    これ、背景があるのですよ、ウサギの件。
    実はそのウサギの生息地の自治体では、野猫の駆除を計画したんです。ところが、お察しの通りで愛護団体がこれに待ったをかけました。
    で、自分たちでなんとかするから待ってくれ、まではよかったんですが、現実には何もしてないも同然なので、野猫は相変わらずウサギを補食してウサギは減ってってるわけです。

    つまり、猫が可哀想だから、なんとかするから待って、と理想論でゴネたはいいが、実際のところは何もしてないからウサギの危機が切羽詰まってきた、けど駆除は相変わらず反対だ、ということです。
    で、全国展開で野猫駆除反対の署名運動はしたが、ウサギ保護の観点での活動はしてない、ということでネット上では署名した人々含めてでバカ扱いされている、というのが本当のところです。

    無責任というのは、主に署名をしたバカどもにです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    大方そんな所だと思いますけどね。
    ここで取り上げているのは「書いてある事からは何も伝わってこない」という事です。

    ここからは個人的な考察である事を前置きしておきますが、起きている事は
     ウサギが減りつづけている=何もしていない
    という末端に責任を押し付ける構図なのだと思います。
    私の知る限り猫だけを確実に全滅させる方法はありませんので、住民の安全を考慮すれば捕獲も駆除も手法に大差はないはずです。
    文句があるなら自分達で捕獲して愛護団体に引き渡せばよかっただけで、何もしていない事は同じです。
    捕獲して受け取りを拒否した時に初めて無責任を問えるものです。
    根本的な事を言えば、猫を捨てると言う犯罪行為を事前に撲滅しておけば完全に被害をゼロにできたものです。
    愛護団体は昔からそれを提唱しているにもかかわらず、それを無視、軽視した結果こうなっている。
    (外来の動物を捨てる事は生態系を破壊する行為ですからね)

    人のせいにするのではなく、自分達が住む地球なのだから皆で解決に向けて協力しなくてはなりません。
    害になるから殺すなら、人間が一番害ですよ。

    これも一つの物の見方です。
    作家として一方向の視点に固執しない性癖からの考察ですので私個人の思想とは無関係です。