いい話なら良いわけでもない

 以前、隣のプロジェクトで麻雀ゲームのシナリオを書いている人がいた。


 彼はゲーム畑の人ではなく、一般小説に関わった事があるだけで、ゲーム会社には制作として入社。


 別にゲームのシナリオを書きたがっていたわけではなかったけど、わざわざライターに発注するほどの物ではないので経験者だからとお鉢が回ってきたというものです。


 書いてはいるが自分の考える書き物の水準には程遠い。こんなんでいいんだろうか、と悩んでいた。


 要するに一応作家の端くれ、ストーリー性などに凝りたい。自分が「なんだこれ」と思うものを商品にするのはどうなのか、という事です。


 一応相談に乗る形で、


「これは麻雀ゲームのシナリオだから。もしこれにいい話を盛り込む事に成功したとしたら。それは『麻雀さえなければいいゲームなのになぁ』という評価になる」


 それは麻雀ゲームのシナリオとしてはクソシナリオなのね。


 ストーリーの繋がりをプレイしている人は追う事はできない。


 辛うじて追える人だけが「残念だ」という評価をしてくれるのであって、大半は「長い」「ウザい」で終いです。


 麻雀のキャラクターゲームを買う人は麻雀やりたくて買うのです。


 麻雀ゲーム中にキャラクターの絵が出て、声優さんが「ポン」「カン」「リーチ」と喋ってくれるのが楽しいのです。


 ストーリーの伏線なんかいちいち覚えていない。


 ストーリーモードはオマケ要素でしかない。


 この手のゲームのストーリーで重要なのは、


 キャラクターの物言いが原作に添っているか

 原作の設定を踏襲しているか

 麻雀のするに至る経過に納得感があるか

 対局の間を退屈させていないか


 などです。


 もちろん基本的にというものなので、上記の「納得感」などは、一切の関連性を排除する方針で進めるのもアリです。


 「ぷよぷよ」などがそうですね。


 「お茶がうまい」「茶柱が立ったから……勝負だ!」「ええーっ!?」


 みたいなものです。


 一番は一発ギャグ。その場で笑いが起きて、次には続かない。


 そして全体的に筋はある物のそれを前提としない。適度に分かるように……テレビドラマの脚本なんかもそうですね。


 途中でテレビつけてもいいように、どこから見てもある程度ついてこられるように作っている必要があるのです。


 そしてやはりメインはゲームであるがために、あまり複雑な話を入れない。


 僕はその手のシナリオまたは演出をする機会が多かったのですが、一応サクサク進めてストレスがないとの定評を頂いております。

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