クソゲーとクソラノベ 2 無料でも

 以前、無料ならつまらなくていいという考え方はダメで……、という話をしましたがそれについてもう少し掘り下げてみたいと思います。


 酷評されたり、文章の間違いを指摘されたりすると「無料なんだからいいじゃない」というような反応をする人も稀にいます(カクヨムはシステム上、酷評される事があまりないですが)。


 時は金なり、という言葉がある通り時間にお金と同じ、またはそれ以上に重きを置いている人もいます。


 投稿する、という事は不特定多数の人に読まれる事を知っていて公開しているのです。


 中には「文章拙いですが……、素人ですが……、ヒドイ内容ですけど」と前置きする方もいらっしゃいますけど(後述しますがそれは悪い事ではありません)、


 仕事でいうなら、


 プレゼンテーションの場や納品の際に「とても見せられる物ではないんですが」と添える人は実際にいます。


 その時、ディレクターまたはプロデューサーは「それで、そのヒドイ物を僕に見せてどうしたいの?」


 となります。


 いや、仕事じゃないんだから……、というのなら、


 ならばプロデューサーにプライベートな時間を空けて貰って見せるならいいのか? と言えばもちろんそんな事はありません。


 貴重な休みを無駄にしているわけですからね。


 まあこれは極端ですが、要するに「謙遜する」という事は「拙いと前置きしたのだから、面白くなくても読んだあなたが悪いんですよ」と言っているも同じだと思うわけですよ。


 もちろんプロになりたいんじゃないんだから、そんな厳しくなくても、というもんですが、


 あなたはそうでも、隣にいる同じくらいのスキルの人はプロを目指しているかもしれないんですね。


 そういう人達に少なからず影響する。


 まあ個人的にはそれも修行だと思うんですが、


 要するに公の場である以上、それなりにマナーがあるわけです。


 見苦しいオッサンが裸で歩いても「見る方が悪いんじゃ」とはならないわけです。



 もちろん「オレは天才だ」「読んだら絶対面白い」「オレはラノベ王になる男だ」と言えばいいというものでもない。そうなると今度は「鼻につく」わけですからね。


 そうならない為に謙遜をするのであって、別に無料なら何やってもいい事とは違う。


 この二つを混同しているのではないか? 無料である事を免罪符だと思っているのではないか? と思う場面がある事も事実なのです。



 ハッキリ言ってしまえば、誤植があろうが文章が稚拙だろうが面白さが世界水準に達してなかろうが、それは公開に値しないものではない。


 この作品のキモはそこではない、と自分の中で確固たるものを持っていればいいんです。


 誤植があるまま公開した所で正当な評価がされるだけで、それはそのまま受け取ればいい。



 僕の場合も、この兼人録では数回見直す程度。


 物語を後から後から直すのは心象悪いですが、エッセイや評論はそれほど差し障りがないからです。


 じっくり推敲しても入る時は入るのだから、


 推敲するよりは出来るだけ早いスパンでお送り出来る方がよいのではないか、


 と天秤にかけ、最善と思う方を選択しているだけなのです。


 もちろんそれがいつも吉とでるわけではありません。


 誤植があっていいわけではないので出来るだけ見直しはしますけどね。

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