完璧な作品
もし本当に完璧な作品という物を作る事が出来たなら……、
それは多分つまらない物になる。
前回のクソゲーの話に通じるものがあるのですが、
完璧という事は非の打ち所がないという事です。
非の打ち所がないという事は、突っ込み所がないという事なんですね。
笑い話、ジョークにたとえるなら、伝えるべき事を的確に、端的に、余す事無く伝えればそれで相手は笑うわけではない。
抑揚をつけ、伏せるべき部分を伏せ、時には溜めを作って相手を誘導し「ああ、そうかなるほど~」と分かった所で笑いが起こる。
同じネタでも下手な人が語ったのでは滑ってしまう。
誰もが面白いと思う物が完璧な作品だという事も出来るけれど、
面白さのツボは人によって違うし、同じネタでも何度も見れば飽きて面白さを感じなくなってしまう。
それは完璧という言葉には当てはまらない。
ここで言っている完璧とはそういう事ではない。
まあそんな難しい話ではなく、
登場人物の過去が謎に包まれていたり、その後どうなったのかが分からないようになっていると、見る人はそこを想像する。
同人誌などの二次創作をしてみようとよりのめり込む。
要するに完璧な作品というのはユーザーが介入する隙がない。
その時に「素晴らしい!」と評価されるのにすぐ話題に上らなくなるのはそれではないかと思うのですね。
作品というのはユーザーが楽しむものなので、ユーザー自身がいじって遊んで使える方が喜ばれる。
キャラクターや世界はユーザーのものである事を前提としなくてはならない。
完璧なものはどうしても作者のものになってしまう。
僕の周りでは割と昔から唱えられている定説なのですが、それがまた難しい。
なぜなら作っている以上自分の子も同然。
自分が一番可愛がっていると思っているわけですよ。
自分が一番この子の事を分かっていると思っているわけですよ。
大きくなったらパパのお嫁さんになる、と言われてメロメロなわけですよ。
誰にも渡したくないわけですよ。
だけどそのくらいの愛情を込めてないと面白い物にはならないわけですよ。
その絶対的な矛盾を乗り越えて、娘を嫁に出す心境で作品を送り出す。
そんな事は中々出来る事じゃありません。
その点ではアイドルを育てて世に送り出すプロデューサーは同じ心境なんだろうな。
少し脱線しましたが、ようするにエンターテイメントは美術館に飾られる絵画のような完璧さではなく、もっと馴染みと親しみがなくてはいけないのですね。
完璧すぎる者は一般ユーザーには取り扱いづらい。
しかしそれをたまに曲解してか、
スカスカの設定を上げてきて「想像の幅を広げているんだ」と言ってくる者もいるんですよね。
実際何も考えていないのなら、それは幼稚園児の作った物と何も変わらない。
作家なら没にするだけなんですが、そういう時は大抵「そんなんなら自分にも作れるんじゃないか」と思っただけの偉いさんだったりする。
なんともはや。
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