監督するという事はそういう事

 大昔、プロジェクトを取り仕切る監督をした時の事。


 「こういうものを入れようと思う」という提案に対し、「こっちの方が面白い」という対抗案が提示されました。


 僕はその面白さは分からなかったのですが、その場にいた僕を除く全員が「それは面白い」と賛同したので、


 僕はそれを一般論なんだろう、自分には分からないが、世間一般的にはそれは面白いんだろう、と捉えてその案を通しました。


 そして開発が始まり、広報から「この面白さは何ですか?」と質問がきた。


 だがそれに対して皆回答無し。


 「自分は監督じゃないんで」と誰一人答えない。誰も説明しない。そんな事を言ったという証拠もない。



 しかしそれは仕方がない。


 確かにそれを一般論として通したのは僕なのだから。


 監督としてその責任がある。



 その穴埋めに一人徹夜してえらい目に遭ったという経緯があるが。


 そこで学んだのは監督である以上、自分に理解できないものは絶対通してはいけない。


 人が面白いというのなら、その面白さを説明させる義務がある。最終的には誰も責任を取らない。


 後世の者が監督をする際にもそうアドバイスをしている。


 人の意見を取り入れる、という事はそれを理解して初めてできる事。

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