6
三人を乗せた車は、熊のマメが経営する修理屋、『ミラノのレオナルド』の前に停車した。向かいには、『モーテル・コンゴ』という錆びれた看板が立っていた。
ハイドは、ペーターを銃で小突いて外に出す。モーフィアスは中腰になり、へこんだフロントバンパーを眺めていた。
「これ、廃車だな」
モーフィアスは言った。
「マメさんに頼めばいいじゃねぇか」
「マメさんは、家電専門だよ」
「使えない」
「そういうなよ、家電は何でも直せるんだから」
二人は車の通りのない車道を横断して、コンゴの敷地内に入る。向かって右手には、事務所と駐車場があった。左手には二階建ての簡素な建物が建っている。
「この何号室だ?」
モーフィアスがペーターに訊く。
「二階の一番奥です」
ペーターは脇に当てられている銃口と、モーフィアスの顔を交互に見ながら答えた。モーフィアスとハイドはモーテルの部屋を見る。ペーターのいう二階の一番奥にある部屋の窓からは灯りが漏れていた。
「罠じゃないよな」
「ち、違いますよ」
「わかった」
モーフィアスが銃を抜くと、三人は歩き出した。
外にむき出して作られた階段を、足音を立てないようにゆっくりと上がる。火星の乾いた風が口笛のような音と共に流れていく。
三人が目指す部屋は、階段の反対側に位置していた。それぞれは物音に最大の注意を払いながら、各部屋の前を通過していく。
「ここか?」
小声でモーフィアスが訊いた。
「そうです」と、ペーターは答えた。
先頭のモーフィアスは最後尾のハイドに目で合図をする。そしてドアノブを掴むと、部屋の扉を開けて、入り口で銃を構えた。
「動くな」
モーフィアスは部屋の中へ足を踏み入れる。
狭い部屋だった。茶色の絨毯の上にはゲーム機が置かれていて、そこから出ているコードの向こうにはコントローラーを握っている人間が二人いた。
モーフィアスとハイドのボスの息子、アレックスとその友人のロビンだった。
「モーフィアス」
アレックスは口に咥えていた菓子パンを落とす。「どうしてここへ」
「助けに来たんですよ、誘拐されたっていうから」
モーフィアスは答えた。ハイドもペーターの髪の毛を掴んで、そのこめかみに銃口を押し当てながら部屋に入ってくる。
「どういうことですか?」
モーフィアスはアレックスに訊いた。テーブルの上には、デリバリーのピザとコークの入った紙コップに、菓子パンの入っていた袋。灰皿には吸殻がたっぷり溜まっていた。誘拐されたということになっているアレックスは、友人とゲームをしている。
その光景は、モーフィアスとハイドが想像していたものと違っていた。
銃声が鳴って、ハイドの横で髪を掴まれていたペーターが膝から崩れるように倒れる。アレックスとロビンは驚き、声を上げる。
「説明してください、アレックス」
モーフィアスは銃口をロビンに向けて、引き金を引く。ロビンはソファに座ったままで、胸を撃ちぬかれ、口から血を吐き出してから死んだ。
ハイドはゆっくりと開いていた扉を閉める。
「何も殺すことないじゃないか」
アレックスは声をあげる。ハイドはテーブルの上にあるピザを一切れ掴み、口に運ぶ。
「ボスは、誘拐犯を皆殺しにしろと私たちに命令したので」と、モーフィアスは答える。
「だからって、殺すか?」
アレックスは持っていたコントローラーをモーフィアスに投げる。モーフィアスはそれを避けたので、後ろでピザを食べていたハイドの膝にそれは当たる。「おう」と、ハイドが膝を抱えて、けんけんする。
「アレックス、落ち着いて。全て納得行くように説明してください」
「人が、友人が、二人、目の前で殺された!」
ソファに立ち絶叫するアレックス。「お前らが、殺したんだ! お前らが殺した!」
モーフィアスとハイドは顔を見合わせ、溜め息を漏らす。
そして、二人はアレックスに近づいた。
「来るな! 人殺し! 来るなよ、いつもそうだ。ギャングの奴等はいつも暴力で解決しようとする!」
「アレックス、落ち着いて。隣の客が警察に連絡しちゃうよ」
ハイドが言った。
「銃を仕舞えよ!」
「失礼」
ハイドは持っていた銃をスーツの下のホルダーに差し込んだ。「これでいいだろ?」
「お前もだ、モーフィアス!」
モーフィアスは黙って銃を同じようにホルダーに仕舞う。そしてテーブルの上にある灰皿を掴んで、思い切りよくアレックスに投げつける。
灰と吸殻が舞った。灰皿はアレックスの顔を掠めて、その奥にあった食器棚の扉を割った。
「アレックス、私たちはプロだ。落ち着いて」
モーフィアスが言った。ハイドはにやにや笑っている。
アレックスは声を上げるのを止めて、ソファに腰を下ろす。隣には死体になったロビンがいる。
「誘拐は嘘だったんですか?」
ハイドが訊いた。
「そうだよ」
「どうして?」
「金がいるんだ」
「それならボスに言えばいいじゃないですか。あの人、金でケツを拭いたって気づかないくらい持ってますよ」
「言えないから、こうしたんだよ」
「何かあったんですか?」
「実は、賭場で…」
「賭場? 借金ですか? うちの組織がやってる賭場なら帳消しにできますよ」
「いや、その、パフの賭場ですったんだ。借金も作って。それで金が必要になって……」
「パフ? パフって言いました?」
「ああ」
ハイドは額を抱えて、後ろのモーフィアスに「パフだ。聞いたか?」と尋ねた。モーフィアスは先ほど、灰皿を投げたせいで灰まみれだった。肩に乗る灰を叩きながら、「聞いたよ」と答えた。
「どうして、あんな下種野朗の賭場に? 賭け事が好きなら俺がいくらでもいいところを紹介したのに」
「スリルが欲しかったんだよ。ママが敵対する組織の賭場で、金を賭けるってどんな気持ちだろうと思って」
「それで負けた」
「そうだよ」
「パフへの借金は幾らですか? ボスに言って立て替えてもらいましょう。私たちからも頼みますよ。なぁ、モーフィアス」
「そうですよ、アレックス。パフと戦争になったら、私たちだってただじゃいられない」
モーフィアスが言った。
「その気持ちは嬉しいんだけど、借金はもう返したんだ。さっきも言おうとしたんだけどさ」
「え?」と、ハイドは驚く。「借金はもうないんですか? けどそれじゃどうして狂言誘拐なんてしたんですか? ボスは大事な一人息子が誘拐されたって毎晩泣いてますよ」
「嘘つくなよ、ママが泣くはずないだろう。飼ってたハムスターが逃げ出して、探してる途中に踏み殺して大笑いしてるような奴なんだぞ」
「まぁそういうこともあるでしょう。きっとその時は丁度、クスリをバッチリきめてたとか、タイミングが悪かったんだと思いますよ」
「そんなはずあるかよ」
「話を戻しましょう」と、モーフィアスが言った。「ハムスターはどうでもいいです。それでどうして狂言誘拐をしたんですか? それにパフの賭場への借金はどうやって返したんですか?」
「実は……」アレックスは視線を外す。その先には死体になった友人のロビンがいた。ゲーム機のコントローラーを握ったまま口を開けて死んでいる。口の周りから下顎にかけて、最後に吐き出した自らの血で汚れていた。「ママの大事にしてた、宝石を質屋に入れて、その金でパフへの借金は返したんだ」
「じゃなぜ、自分の誘拐事件をでっちあげたんですか?」
「質屋から、ママの宝石を取り戻す必要があって、その金を得るためだよ」
「なるほど」
「まぁいい。真相がそうならそれでいいです。さぁご自宅に帰りましょう。ボスが待ってます」
ハイドが言った。
「ちょっと待ってよ。このままじゃ帰れない。宝石を取り返さないと。クレオパトラの毒牙っていうすごい価値のある宝石なんだよ」と、アレックスは戸惑った。
「そこまでは知りませんよ、アレックス。帰りましょう」
「ほんとに、ちょっと待ってくれ。待たなきゃ警察を呼ぶ」
アレックスはソファの脇にある小さいテーブルの上の、電話の受話器を取った。
「子供じゃないんだからだだこねないでくださいよ」
ハイドは銃を抜き、その電話を撃った。「さぁ行きましょう」
「嫌だ。このままじゃママに殺される」
「宝石のことは黙ってます」
モーフィアスはアレックスに近づく。
「嫌だ」アレックスは食器棚に近づき、引き出しからナイフを取り出し、首に当てる。
「やめてください」
「そうです。宝石なくしたくらいで死ぬことはない。それに、まだばれてないんでしょう。いいじゃないですか」
ハイドとモーフィアスの身体が止まった。
「クレオパトラの毒牙がないことはいずれ、ママにばれる。そしたら僕は死ぬんだ」
「落ち着いて、その首に向けている物騒なもんを下ろしてください」
ハイドは銃を仕舞い、両手を上下に扇ぐように揺らして落ち着けとアレックスにジェスチャーした。
「僕は帰らない。無理やり連れて帰るっていうなら、ここで死ぬ」
アレックスの声は震えていた。
「わかった。わかりました。なぁ? なぁ? モーフィアス?」
ハイドが隣のモーフィアスに同意を求める。モーフィアスはよくわからなかったが「そうだ。わかった」と答える。
「クレオパトラの毒牙は、私たちが質屋から取り戻して来ます」
ハイドは言った。
「本当か?」
アレックスはそう言うが、喉許に突きつけているナイフはまだ下ろさない。
「本当です」
モーフィアスも言った。
「そう言って、俺がこのナイフを下ろしたら、取り押さえるんだろう」
「そんなことしません。なぁ?」
「あぁ。全然しません」
二人は答えた。
「じゃ、ここから出て行け。それで次やってくるときはクレオパトラの毒牙を持って来い」
「そんなむちゃくちゃな……」
ハイド言うと、「じゃ俺はここで死ぬぞ!」とアレックスが叫ぶ。
「わかりました。その質屋はどこですか?」
「ここから南にある。256号線を道にあり進むんだ。パフの賭場の近くだよ」
「名前は?」
「質屋ユーズだ。二十四時間営業だ」
「了解しました。それじゃ僕たちはこれで失礼します」
二人は中腰の姿勢のままゆっくりと後退していく。
「絶対にママには秘密だぞ」
「あ」
ハイドが何かに気づき声を上げる。
「なんだ」
「車、持ってますか? 僕たちが乗ってたのボロボロなんで良かったら借りたいんですが」
「テーブルの上にキーがあるから持っていけ」
アレックスの言葉通り、ピザの隣にキーケースがあった。ハイドはそこから車のキーを取り、「それじゃ借りていきます」と、アレックスに言った。
アレックスは依然、喉許にナイフを突きつけたままだった。
モーフィアスとハイドは部屋を出て、ゆっくりと扉を閉める。
キリング・フィールド @hiraiyosiki
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