第3話 この世界の魔王、アルノルドだ





「おい、着いたぞ」



 その声が耳に入り、玄一はゆっくりと目を開いた。



「ここは……?」


「空間転移して違う世界に来たんだ」


「うわ、まじかよ……」



 玄一は手に持っていたスニーカーを履きつつ周りを見渡した。

 奥が見えないくらいの長い廊下に高そうなふわふわの赤い絨毯が敷いてあり、目の前には古びた大きな扉があった。


 どこか鳥肌が立つような空気感に、玄一はごくりと息を飲む。居心地の良かった自身の家とは全くの別空間だということが一瞬で理解できた。



「おーい、俺だ。開けてくれ」



 そんな玄一を横目に黒猫はマイペースに扉の向こうに話しかける。

 数秒の間を空けて、重そうな扉はギィと鈍い音を立てながらゆっくり開き始めた。


 玄一が恐る恐る中を覗き込むと、一番に目に飛び込んできたのは煌びやかな装飾が施された立派な玉座。そこに座っている一人の男。

 銀色の髪に切れ長の目、瞳は青く光っていた。黒いローブに身を包み、頭からは真っ赤なツノらしきものが生えている。作り物じゃないとしたら、人間ではないらしい。



「クロか。久しいな」



 男が黒猫の姿を確認して放った一言、それはなんでもない言葉。

 はっきりとよく通るものながら柔らかい口調だったが、玄一は背筋が凍りつく感覚を覚えた。自分はここに居てはいけないのではないか、そう思うほどにその声は心臓に響いた。



「ようアル、元気そうだな」



 クロ、と呼ばれた黒猫は特に何も感じていないように玉座の方へ歩み寄る。

 そして、その場で固まっていた玄一に向き直った。



「こいつはこの世界の魔王、アルノルドだ。まぁ、魔王と言ってもそれらしい活躍はしてないし、これからもしないだろうがな」



 その発言にアルノルドは「おいおい」と眉を下げながら笑う。



「クロ、言ってくれるなぁ? しょうがねぇだろうが。俺様が大活躍する前に物語が止まっちまったんだからよ」


「そうか? 物語があらすじ通り進んでも、どうせお前は勇者に倒されて終わりだぞ?」


「どうだろうな? 和解ルートだってありえるだろうが。それか、勇者が俺の仲間になってバッドエンドとかも……くくっ、面白いじゃねぇか!」


「そんな物語ありえない。悪は必ず敗れるんだ」


「んなこと誰が決めたんだよ?」


「さぁな」



 ふたりのなんとも仲良さ気なやり取りに玄一はホッと胸をなでおろす。

 先程から纏わりついていた嫌な空気、さらに目の前にいる男は魔王などと聞いて全く生きた心地がしなかったが、黒猫と話すアルノルドには全くそういった不穏なものを感じなかったからだ。


 良かった。大丈夫そうだ。玄一はそう思いながら玉座へと近づく。



「で、おめぇは誰だ?」



 ──が、アルノルドの鋭い目に捉えられるとまるで金縛りにあったようにその足が止まった。



「ん? ああ、そういや名前を聞くのをすっかり忘れてたな」



 冷や汗を滲ませる玄一とは裏腹に、黒猫は呑気にそう言うと玄一の元へ駆け寄り、見上げる。



「お前、名前は?」


「……お、俺は……玄一だけど……」


「そうか、わかった」



 微かに震える小さな自己紹介に黒猫はコクリと頷くと、改めてアルノルドに向き直り、咳払いを一回してから口を開いた。



「こいつはゲン。魔力も持たないし剣も扱えないただの人間だ」



 ただの人間。その通りなのだが、もう少し言い方がないものか。玄一はふっと笑って足元を見た。

 視線に気付いた黒猫に「なんだ?」と目を細められると、なんでもないよという意味を込め首を横に振る。



「ほう、なるほどなぁ……」



 そして、何かに納得したような呟きの後、魔王アルノルドの愉快そうな笑い声が部屋に響いた。



「ふははっ、何の能力も持たねぇ人間か! そいつぁ俺様にビビって当たり前だぜ。なんてったって俺様はあの大魔王だからな!」


「”あの”ってなんだ。それに”大”は付かないだろうが」



 黒猫の辛辣な一言は何も気にしてなさそうにアルノルドは玉座から立ち上がる。

 そして、たじろぐ玄一の目の前まで歩き、



「そう固くなるな。安心しな。取って食ったりしねぇからよ」


「あ、ああ……はい……」


「よろしくな、ゲン」



 玄一は、アルノルドのにやりと歪む口元に少々の不安を覚えつつ、差し出された細いわりにはがっしりとした右手を握り返すのだった。


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