第256話 宣戦布告。いざ戦の空へ。俺がようやく腹を括ること。
朝礼の時刻、俺達は揃って誓いの祠に姿を現した。
頭領のシスイ、そして家臣らが一同に目を見張る。
それも当然だ。
竜と化した俺と、それに跨ったヤガミ。武装したフレイアとジン、そしてリーザロットにタリスカ。その上、一団を引き連れているのは他でもない、彼らの寵姫であるはずのアオイだったのだから。
アオイは白無垢じみた華麗な装束に身を包み、天高らかに声を響かせた。
「兄上! 決闘を申し込む!」
家臣たちが俄かにざわつき、困惑の視線を交わす。
シスイのすぐ側に控えていた、シドウという年長の男性が人だかりを割って前へ出てきた。
「アオイ様! 何の真似ですか?」
毅然として動じないシドウに、アオイもまた怯まなかった。
「シドウ! 聞こえなかったのであれば、もう一度言うてやろう!
「決闘」じゃ! これよりこのミナセが、「竜の証」を示す!」
「竜の証…………?」
シドウが浅黒い顔を顰める。
彼の後ろでは家臣たちが、「「決闘」とはなんだ?」「確か古い習わしで…………」「あの竜…………まさか人なのか?」などといった会話をひそひそと続けていた。
最奥に立つシスイは、何かを噛み殺したような表情で俺達を見ていた。
シドウがもう一度、アオイに尋ねた。
「何故「決闘」をお望みで? ご説明頂かなくては、頭領のみならず、我々も納得できませぬ」
アオイは細い腰に手を当て、家臣らを見渡して言った。
「わらわはこのミナセに「竜の証」を見た! 竜王様の御意思はここにこそあり! わらわはそれを届けるために、ここへ参じた!」
「竜王様の御意思、でございますか」
「ああ、そうじゃ。…………この戦、我らのみにては道を踏み違う。我らは強く、失うことを恐れぬ。じゃが、今はその時ではない。…………竜王様は、そう告げられた」
凄まじい口から出まかせである。これにはヤガミも舌を巻いているに違いない。
本当はそんな証もお告げもなく、こじつけただけだ。
シドウは黒光りする鉄球じみた瞳でアオイをひたと見据え、言葉を継いだ。
「アオイ様。悪ふざけをなさるには少々、間が悪くございますよ」
「冗談などではない! わらわは本気じゃ! 退け、シドウ!」
「…………」
シドウが目を瞑り、それからまた静かに開く。
俺とヤガミを見つめるその目は、皺一つ寄せていないというのにゾッとするほど険しかった。
彼は誰にともなく、低く呟いた。
「…………承知いたしました。では、その「竜の証」。とくと拝見させて頂きましょう」
シドウは振り返るなり、家臣達に言った。
「皆の衆、括目せよ! 決闘者の資格たる「竜の証」、いざ見届けん!」
ざわつきが俄かに収まり、人々がシドウの下へと集まってくる。もうこの人が頭領でいいんじゃないかな? そういうわけにもいかないものなのかな?
次いでシドウは、未だ動かずにいるシスイを呼ばわった。
「頭領」
「…………わかった」
シスイがゆっくりと歩んできて、シドウの隣に並ぶ。
彼の黒く凪いだ眼差しを真っ向から受けて、俺は少し緊張した。
オパールのイヤリングが鋭い日差しを浴びて尖っている。風に煽られて虹色がゆらりと揺れた時、全身がひりつくような不思議な感じを覚えた。
空が青く晴れている。
どうしようもなく晴れている。
昨日山裾を遥かに覆っていた雲海は、今朝はもうどこにもない。
見渡す限り広がる、岩と風と緑の壮麗な山脈。
冷たく切り立った群青を背負い、シスイは話した。
「アオイ。今更怖くなったのか? どのような選択をしようと、失うものは必ずある。わからないとは言わせないぞ」
アオイは微かに目を細め、大人ぶらずに答えた。
「…………わかっておる。じゃが、誰かが暴れねば立ち行かぬ。
誰も死なせとうない。何も壊しとうない。いずれも当たり前で正しく、そして不可能じゃ。
じゃが、黙って従ってはいかん。無理矢理に納得するのだけは、絶対にいかんのじゃ。皆が皆そのようにしては、失われゆくものは浮かばれぬ。誰か、最後の最後の最後まで手を尽くし、みっともなく愚かしく意地汚く抗う者がおって、ようやく心は無理を飲み込む。
兄上。おぬしがやれぬと言うのなら、わらわがそれをやる。このミナセとヤガミが、証を示す」
「…………俺がいい加減に道を選んだと言いたいのか?」
「いや。ただ、根性が足らんと言うておる」
「…………」
シスイが微かに瞳の黒を霞ませる。
お怒りはごもっともとしか言いようがないが、これはアオイの勝ちだった。
シスイは誰にも聞こえる声で言った。
「いいだろう。コウさんが本当に「竜の証」を顕現できたなら、受けて立つ。
…………俺にも里を守る覚悟がある。本気でやらせてもらおう」
本気。
テッサロスタへの道中で彼が見せた、人間離れした竜捌きの数々が頭によぎる。
「決闘」って、ああいうのを駆使してマジで戦うってことだよな?
シスイは弓の腕も確かだ。
今更になって、全く勝負にならないのではと血の気が引いていく。下手をすれば、俺かヤガミか、あるいはどちらもが命を落とす。
ヤガミは知らぬが仏ってやつだろう。
ただ小さく頷き、俺と目を合わせてくる。
事前の計画通りに行こうと、そういう意味なのはわかっているが…………。
やっぱりこれ、無謀以外の何物でもない計画だったんじゃ?
アオイが俺とヤガミの近くへと歩んでくる。
彼女は俺達に、短く囁いた。
「では始める。準備は良いな?」
「失敗は許されない。…………わかってますよ」
ヤガミの冷静さは力場を通して淡々と染みてくる。俺とは対照的に、土壇場でいよいよ肝が据わるタイプなのだ。時によっては、本当の危険さえ平気で冒す。(だから俺は余計に不安が募るわけだが)
俺はアオイを見返して、小声で聞いた。
「竜の証…………白竜召喚。万が一ダメだったら、どうするんだ?」
アオイは誰の癖が移ったやら、肩を竦めて返してきた。
「できる、できないではない。「やる」のじゃ、ミナセ。…………そして勝つ。それだけじゃ」
「違いない」
アオイとヤガミは同時に俺の手綱を強く掴み、さらに念を押した。
「ウッ! ちょ、痛っ…………」
「よいか、ミナセ。…………速攻じゃ。時間をかければかけるだけ不利になる」
「コウ、わかってるな。…………半径5メートル。それが勝負の間合いだ」
この人達は狂っているのかなと不安になった時、側にもう一人、近付いてきた。
「コウ様」
ああ、この愛しいハスキィボイスはと振り返ると、紅玉色の瞳が燃え盛るように爛々と輝いていた。
彼女は明るく好戦的な笑みを浮かべ、胸の前で手を組んだ。
「今日で勝負が決まります。ご重圧、如何ばかりかとご心中お察しいたします。…………コウ様のことは、このフレイアが何としてでもお守りいたします。お力になれるよう、我が弟子共々、全力を尽くす所存です!
どうか、ご武運を! コウ様なら必ずや、運命を勝ち取られるでしょう!」
不安を吐露する相手が全方位誰一人としていない。
諦めの境地に至った最後、リーザロットとタリスカがやって来た。
リーザロットはフレイアと同じように胸の前で腕を組み、祈った。
「貴方に主の恵みが降りますように」
優しく柔らかな眼差しは、次いでヤガミへと注がれた。
「…………あまりご無理をなさらぬよう」
ヤガミは無言でいる。表情こそ窺えないが、力場を介して伝わってくる感情はこそばゆかった。
タリスカは虚ろな眼窩の奥からじっと俺達を見つめ、一言、厳かに言った。
「戦だ」
和んでいた空気が強いつむじ風に攫われ、痺れ上がる。
ピンと張った糸をはじくように、アオイの詠唱が始まった。
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