第254話 飛んで楽しむスレーン観光。俺がポールポジションに鼻先を突っ込むこと。
本宮から程近く、見晴らしの良い広場に、祠がポツンと建っていた。
「あれが誓いの祠です。朝礼はここで行われます」
眼下に雲海が果てしなく広がっている。時折飛び出ている山の頂がまるで枯れ木か岩礁のようで、枯山水の庭園でも眺めている気分だった。
青く晴れた空の下、人気の感じられない景色は一層浮世離れして見える。
ジンは大きく深呼吸し、辺りを見渡した。
「昨晩は風が穏やかでしたからね…………今日は雲であんまり地表が見えませんが、時間がありません。これからこの竜に乗って、きちんとご案内いたします」
言いながらジンが自分の愛竜を荒っぽく撫で回す。鉄火な雰囲気のよく似合う、見事な緋王竜であった。
彼はフレイアを振り返り、同じく肩で風を切って歩く大層美人な緋王竜を連れた彼女に尋ねた。
「フレイアさん。飛ぶ前に、何か聞いておきたいことなどはありますか?」
フレイアは「いえ」と首を振り、ヤガミを背に乗せた俺へと顔を向けた。
「コウ様とヤガミ様は、何かおありですか?」
「いや、大丈夫」
「グゥ」
ヤガミと俺の返事を聞き、ジンが頷く。
彼は竜乗りらしい屈託ない笑顔と共に、竜にヒラリと跨った。
「よし! 参りましょう!」
合図に合わせて、フレイアの竜も飛び立っていく。
俺を誘うように、フレイアの眼差しがこちらへ流れた。
「行こう」
ヤガミの声が聞こえた時には、俺はもう駆け出していた。
ヤガミは別に驚きもしない。共力場を編んでいるから、意思は言葉より先に伝わっている。
俺は翼を広げ、目一杯に風を孕ませる。ヤガミは慣れた姿勢で離陸をこなすと、フレイア達について行く俺に合わせて、旋回を楽しんだ。
雲海の下は霧がかっていて、あまり視界が良くなかった。
どうにか地形をさらいながら、ジンは「わかりやすい」アドバイスを投げてくれた。
「この辺りは日中、あっちの山から下りてきた風がそこの渓谷を通って、こちら側へ非常に強く吹きつけてきます。それから、あの辺りの谷の地形はかなり複雑に入り組んでいます。気脈網も同じく途轍もなく複雑なので、あそこを抜けるのは飛行技術、戦闘技術の両面において至難の業と考えてください。どうしても向こう側へ行きたければ、こちらの峰を迂回するべきでしょう」
ちょっと指示語が多過ぎやしないかと思いつつも、ズラズラと地名を並べられてもそれはそれで困ってしまう。
岩や山や森ばかりの似たような景色が延々続く中、ランドマークにできそうな際立った山や土地に一応目星をつけておくが、正直どれも似通った姿に見えてきて混乱する。
とりあえず気脈も探ってはいるのだが、いまいち特徴というほどの特徴は掴めなかった。
こっそりヤガミに
「おい、覚えられるか?」
と囁くと、何とも言えない無表情が返ってきた。
「まぁ…………何とかなるだろう」
「不安なんだけど」
「何か考えないとなぁ…………」
ヤガミが目を細め、遠くを見やる。誓いの祠からでも雲海を突き破って見えた、尖った高い山がその方向にある。広い裾野にはいくつか集落が集まっていた。
ジンの話は途切れることなく続いていった。
「あそこに見える洞穴は山を貫いて反対側へ通じていますが、飛び抜けられるのは、それこそ頭領と前頭領以外にはこの僕しかいません。僕はこう見えても同期の中で最も竜の扱いに長けているんです。ですから何でも聞いてくださいね、フレイア様」
「グッ!」
加速して前に出ようとする俺を、ヤガミの手綱が即座になだめた。
「コウ、相手にされてねぇって」
「フシャーッ!」
「あぁもう、面倒くせ」
ヤガミが手綱を緩めたので、俺は速度を上げてジンとフレイアの間に割って入った。
二人は驚いて離れつつも、特に意図を察することなく話を続けた。
「コウ様。お話が聞こえにくかったのですか?」
「グゥー」
「ミナセさん、ヤガミさん。それは失礼しました。そうですね。そのぐらい僕の近くにいた方が、聞こえやすいでしょう。フレイア様が遠くなってしまいましたが…………。
まぁともかく、次に注意して頂きたい点なのですが、あっちの崖をご覧ください。あそこには野生の緋王竜が沢山住んでいます。近付くと攻撃してきますので、なるべくなら近寄らない方が良いでしょう。幼竜の頃から育てていないと、緋王竜はちっとも懐きませんし、普通に狂暴です。そっちの山の向こうの洞穴群に住んでいる藍佳竜程ではないですが、それでも危険っちゃ危険ですからね」
ジンは楽しそうに竜を滑らせ、次のポイントへと移っていく。
何となく彼の緋王竜の姿勢を真似て飛んでいる俺の後から、フレイアがついてきた。
隙の無い深紅の凛々しい眼差しに、こちらの気も引き締まる。ジンは様々なドヤ話をかましてくるが、きっとフレイアだって負けていないはずだ。
ふふんと訳もなく得意になっていたら、ヤガミが肩を竦めているのが伝わってきた。
ジンは辺りを周って一通り解説してくれた後、最後に雲海の外にまで竜を飛ばし、一際大きな例の山を眺めてこう結んだ。
「最後になりますが…………あの山、アオイ山って言うんですが…………ああ、そうです。アオイ様のアオイはあの山にちなんでいます。あの山はアオイ様に負けず劣らず、危険極まりない非常に気性の激しい山です」
彼はいたずらっぽく笑い、それから一転して大真面目な顔で語った。
「頂上に雲の塊があるでしょう? あれが見えるこの時期は特に、ぜっっっ・た・い・に! あの山に近付いてはなりません。ここからはどんなに穏やかに見えても、あそこではとんでもない強さの風が吹き荒れています。何の対策も取らずに突っ込めば、たちまち竜も乗り手も吹っ飛ばされて、山肌に叩き付けられて粉々になるでしょう。
そして、風だけ気を付ければ大丈夫などとは、間違っても考えないことです。あの山は周囲の気脈をぐんぐん吸い込んで、それはもう手酷く、アオイ様の手料理のようにめっちゃくちゃに掻き乱してくれます。それこそ危険なのはむしろ、気象よりもその魔力場かもしれません」
話を聞きながら、ヤガミが微かに溜息を吐いている。彼の計略が一つ、当てを外したという所だろう。何を考えていたんだかは知らないが。
フレイアが、ふとこぼした。
「ところで、黒矢蜂の出没地域についてはいかがですか? この一帯にまではやって来ないとお考えですか?」
ジンが背筋をシャキッと伸ばし、それに答えた。
「現在までのところ、誓いの祠近辺では痕跡は確認されておりません。実際に兵蜂が発見されたのもアスマ岳においてだけですし、明日の決闘においては、特別の警戒は不要と判断いたしました」
「…………わかりました」
フレイアが辺りを見渡すのを、ジンが心許なさそうに見守っている。
俺がそっと鼻先で肩をつつくと、「ヒッ」と小さく叫んでこちらを振り返った。
「な、何です? ミナセ様」
「相手にしなくていいですよ」
ヤガミが心底どうでもよさそうに伝える。
フレイアはひとまず納得したのか、ジンに言った。
「万が一黒矢蜂が現れた場合には、私とジンさんでまず対応いたしましょう。…………よろしければ、そろそろ戻りませんか? 明日が戦となりますと、最後の仕上げを急いでしなくてはなりません。ご案内いただき、どうもありがとうございました」
礼儀正しく礼をして微笑むフレイアに、ジンが喜んで応じかけたその隙をついて、俺はまた攻撃を仕掛けた。
ジンの悲鳴とフレイアの困ったような笑みに満足し、俺は一足先に帰路についた。
「あっ、お待ちください! コウ様! フレイアが先導いたします!」
フレイアが速やかに追いかけてくる。
その後から慌ててジンが竜に合図をかける。
うん、満足。
「…………何やってんだ、お前?」
ヤガミの呆れ声に、俺は人の言葉で答えた。
「ちょっとしたストレス解消」
ヤガミは肩すら竦めず、投げやりに返してきた。
「楽しかったか?」
俺は一際大きく翼を広げて羽ばたいた。
教練場へ戻って、ジンを交えて夕暮れまで修行の続き(シスイ相手を想定した実践訓練だった)をこなした後、俺は再びアオイと顔を合わせた。
今度はリーザロットも一緒だった。
「ミナセ!」
アオイは乱暴だが人懐っこい口調でそう呼ばわると、おずおずと(しかし強引に)ヤガミから俺の手綱を奪い取り、こう言った。
「わらわと、来い! 少し…………話しておきたいことが、ある」
紅玉色の瞳がいち早く鋭く研ぎ澄まされるのを見たリーザロットが、フレイアを引き止めた。
「大丈夫よ。貴女が心配するようなことは起こりませんから」
「ですが…………」
フレイアが反論しかけたその時、ふいに何か思い当たったっぽいジンが独り合点して大きな声を上げた。
「ああ! そうかぁ!」
アオイがジンを睨みつけ、険のある声を発しかけたのを遮り、ジンが俺の手綱をアオイから取り上げた。
「グッ!?」
不覚にも驚いてしまった俺を、ジンがニヤリと笑って見る。
「何をするのじゃ、ジン!?」
怒鳴るアオイに、ジンは妙にご機嫌な調子で答えた。
「ご心配無く! アオイ様のお考え、僕にはすっかり伝わりましたよ! …………いいでしょう、一肌脱がせていただきます! アオイ様がミナセ様にお伝えしたかったこと、代わりにこの僕からお話させて頂きましょう! 男同士、その方がきっと通じ合えるはずです!
それにアオイ様も、その方が気が楽なのではございませんか?」
アオイが何やら口ごもる。
彼女が「いや」とも「ああ」とも言えずにいるうちに、ジンは話をまとめた。
「何も仰らないところを拝見すると、これは賛同を得たということですね!
それでは、ミナセ様! 参りましょう! …………あぁいえ、飛ばなくて構いません。
あちらへ! あちらの泉で! さぁさぁ、お話しましょう!」
あれよあれよという間に、ジンは巧妙な手つきで俺を操って、教練場から連れ去った。
ちなみに騒ぎの間中、タリスカは一っ言も発さず、ただ暗い山並みを飽くことなく眺め続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます