第253話 人と竜の成果は上々…………? 俺がアルビノの神様をお招きすること。

 タリスカとフレイアの壮絶なスパルタ教育は、如実な成果を上げていた。

 様子を見に来たアオイとそのお供の青年兵士ジンは、俺とヤガミの上達ぶりを見て大いに驚いていた。


「人竜…………ハハァ、これは良い!」


 ジンは教練場へくるなり胡坐を掻いてその場に座り込み、じっくりと俺達の飛行を眺めていた。

 早朝の訓練を終えて俺達が下りてくると、彼は立ち上がって正面から俺達の目を見据えて言った。


「ミナセ様、ヤガミ様! 改めましてこんにちは。近衛組のジンです!」


 ジンはなんとも晴れ晴れとした表情であった。

 竜を見るのが好きであるという以上に、何か他に隠された喜びを感じなくもない。

 彼は初めて会った時とは別人のようなフレンドリーさで続けた。


「この短い間でこれほど飛べるようになられるとは…………お世辞抜きに、感服いたしました。お二人は同郷と伺っておりますが、竜乗りのご経験がおありだったのですか?」


 竜(俺)上のヤガミが、外交モードで物腰柔らかに応じた。


「いや、オースタンには竜はいませんでした。ここで初めて見ましたよ」

「それで、あそこまで! …………控えめに言って凄まじい天才ですよ、貴方がたは!」

「そんなことはありませんよ。それなりに乗れているように見えるのは、あくまで俺達が友人で、本来ならば絶対にできない意思疎通ができるからです。それと、そこの…………」


 ヤガミが俺から降り、仁王像の如くそびえ立つタリスカとフレイアを振り返った。


「お二人のご指導の賜物です。まぁ、彼らからすればまだまだ未熟らしいですがね」

「ハァ、さすがは生ける伝説、蒼の剣鬼。…………フレイア様も、あんなに可愛らしいのにすっごいなぁ…………ハァ」

「ブフッ!」


 俺はすかさず鼻先でジンを小突いた。何人たりとも、フレイアに色目を使うのは許さん。

 ジンは驚いて身を引き、俺を見つめた。


「わっ、いきなりどうしたんです? ミナセ様」

「ブルルッ、ブフーッ!」

「ひっ! ア、アオイ様、ちょっとミナセ様が何を仰っているのか…………」


 呼ばれてきたアオイが静々と俺に近付いてきて、小さく溜息を吐いた。いつもならば速攻でスキンシップをかましてくるのに、今日は妙に距離を取っているのが気になった。


「しっかりするのじゃ、ミナセ」


 アオイは大人びた優しい声…………というか、どこか他人行儀な口ぶりで話した。


「おぬしは立派な竜じゃが、わらわのかわゆいミナセでもあるのじゃぞ。竜らしく振る舞うのは空の上だけでよい。

 術は安定しておる。やたらに興奮せねば己を失うことはあるまい」


 ヤガミが、あたかもウマにするみたいに俺の首筋を撫でながら言った。


「わざとですよコイツ。完全に確信犯」

「ブフーッ」


 貴様、余計なことを!

 …………というか、やはり気付かれていたのか。


 ヤガミの言う通り、今の俺は揺るぎない精神の二重生活を満喫していた。竜として気ままに振る舞うことも、いつもの賢くクールなミナセ・コウとして振る舞うことも、最早自由自在の領域に到達しつつある。

 始めはフレイアのご機嫌を何とか取るためにやっていたのだが、やり出すとなかなかに万事都合が良かった。

 人の尊厳? 竜のクソだ、そんなもん。


 ヤガミは温かくも冷たくもない平静な眼差しで俺を労い、アオイに尋ねた。


「それで、アオイさん。決闘の段取りはどうなっていますか?」


 ヤガミに呼ばれて、アオイは顔をパグみたいにクシャクシャに顰めた。


「気安く我が名を呼ぶでない、不細工王! 決闘は明日じゃ。明日の朝礼の集いにて、兄上に宣戦布告をする」

「拒否されたら? それでなくとも、何かに理屈をつけて延期させられることだってあり得ます。何か算段はあるのですか?」

「いちいち癪に障る…………。竜の証を示す者の挑戦を拒むことなど、今の兄上には不可能じゃ。頭領の威信が問われるでのう」

「どうでしょうか? 一度腹を決めた以上、そうしたことをむやみに気に掛けるタイプには見えませんが」

「…………ふん、兄上のことをまるでわかっておらんな」


 ヤガミが腕を組んで俺に寄りかかり、アオイを見下ろす。

 どうしてこういう態度を取るかなと俺は呆れるばかりなのだが、アオイは案外気に留めず話を進めた。ヘタに下手に出るより正解なのかもしれない。


「派手にやるのじゃ。無視できぬぐらいにな」

「演出…………ってことですか」

「そう、見たもの誰もが息を飲むような証を、公衆の面前で叩きつけてやるじゃ」


 何を言っているやら。

 ひとまず理性を取り戻した体を装って、俺が口を挟みかけたところでフレイアがやってきた。さっきまでタリスカと何か話し合っていたのだが、終わったらしい。

 タリスカが遠巻きに見守る中、フレイアはアオイに迫った。


「話は伺っておりました。具体的には何をなさるおつもりなのですか? 明日戦うとなれば、こちらにも相応の準備が必要です」

「ジン」


 フレイアに一瞥くれた後、アオイが侍従を呼びつける。

 ジンは俺とヤガミのことをチラ見しつつ、わかりやすく舞い上がってフレイアに語った。


「こんにちは、フレイアさん! ずばり、白竜召喚を考えております」

「白竜召喚!? 竜王を呼ぶの!?」


 思わず俺が声を上げると、ジンがギョッとして肩をすくめる。

 彼は一度咳払いすると、「竜王「様」です」と俺に言い含めてから話し継いだ。


「竜王様はあまねく世界を見つめておいでです。その力をどれだけ深く理解するかという差はあれど、そのお力の及ばぬ地はございません」


 ジンが俺とヤガミへ顔を向ける。

 彼の話しぶりは流暢だった。


「先程、オースタンに竜はいないと伺いました。ですが、ミナセ様は確かに竜の因果をお持ちです。これはお二人からすれば、大層不思議なお話なのではありませんか?」


 それは正直、俺もずっと思っていた。

 竜とは縁もゆかりもないはずなのに、どうしたってこんなに何度も竜だかトカゲだかイグアナだかに変身させられる宿命にあるのか。

 ジンは得意げに話を続けた。


「これはつまりです。「ぐれんず・どあ」、スレーンでは昔から「竜穴」と呼んでおりますが、まぁいわゆる、時空の扉によって世界が繋がっている、あらゆる時代と大地が複雑に結合しているから、そんなことが生じるのです。

 世界の広がりは無限です。その一つ一つが果てしない広がりを持ちながら、なおかつ竜穴を通して、さらに膨れ上がっていく。その歴史の中で、ふいに絡まった糸こそが、因果なのです」


 ヤガミが、「俺には何の因果があるかな?」という顔をしていた。もちろん普段通りの真剣そのものの、ごくごく真面目な顔つきなのだが、何となく瞳の奥の方が遊んでいる。

 きっとちゃんと話は聞いているのだろうが、コイツに彼女がいないのはこれが原因だろうなと思いを馳せる。


 ジンが、俺の顔を覗き込んで出し抜けに尋ねてきた。


「…………って、聞こえてらっしゃいますか? ミナセ様」


 ホァッだかフガッだか、よくわからない声が咄嗟に出る。

 ジンは両手を腰に当て、「仕方ないですねぇ」と首を横に振って俺から離れた。


「もう一度お話しいたましょう。今度はもっと簡潔に。…………「竜王様のお力」、もしくはサンライン風に申し上げれば、「裁きの主の眼差し」は、因果の網を通してどこまでも広がっていくということです。

 それを今、目に見える形にしてやろうというのがアオイ様のご計画です」


 俺はうんうんと頷きつつ、内心で首を傾げた。

 おかしいな。どうしていつの間にか俺の方が上の空になっていたんだ? 

 ヤガミが俺を見上げ、呟いた。


「お前、マジでどこまで竜でどこまでコウなんだ? 俺にもわからなくなってきた」


 俺はただ(竜なりに)肩を竦める。

 フレイアが、ジンの話を受けて口を開いた。


「意図は了解いたしました。ですが、やはり竜王様を顕現させるなど、到底人に叶う業とは思えません。無礼を承知で申し上げますが、やり様によっては、かえって里の方々をひどく白けさせてしまうのではないかと存じます」

「…………キツいなぁ、師匠」


 ボソッとこぼすヤガミを、紅玉色の眼差しが即座に射抜く。

 アオイは黙ってジンを睨みつけ、彼に言葉を続けさせた。


「あっ、やっ…………ハイ! それは、ごもっともです。本当にごもっともです、フレイアさん。ですから俺達は考えました。竜王様ではなく、あくまで竜王様の象徴である白竜…………白色の竜を顕現させようと」

「アルビノを連れてくるの?」

「えっ? あ、あるびの?」


 俺の横槍に、ジンが腰を引きつつ答えた。


「すみません。いきなりだとまだ慣れなくて…………。その、「あるびの」とは?」

「同じ種類の生き物なのに、他と違って生まれつき真っ白な身体をしている子がいるだろう? それのこと」

「あ、あぁ、白子のことですか。それでしたら、少し違います。ある意味、すごく惜しいですが。

 実際に白子を連れてくるわけではありません。俺達が呼ぶのは、彼らが長年人々や大地から集めてきた念…………それによって生じた、何と言いますか、一種の霊的生物です。だから、白子と言えば紛れもなく白子なのですけれど、そのものってわけじゃあないです」

「ほう」


 それはそれで最早神様みたいなものなのでは? と思うのだが、この人にそれを持ち出すと厄介そうなので黙っておく。長ったらしい蘊蓄はなるべく回避したい。

 ジンはヤガミと俺、そしてフレイアに説いた。


「無論、生半可な業ではございません。この霊を呼ぶには、然るべき血が必要であると古より信じられております。まず不可能だと思われている点では、フレイア様の仰った竜王様の招来と変わりません」


 フレイアが微かに眉間を険しくする。

 アオイが、ようやく口を開いた。


「じゃが、それだけに里の者が受ける衝撃は強かろう。…………竜の証、我見たりと、孫の孫の孫の孫の代までも語り継ぐじゃろうて!」


 アオイは俺を見つめ、それからついでのようにヤガミに目をやって話した。


「わらわ、ミナセ、蒼の主、あとそこの不細工ヤガミ。これだけ選りすぐりの材料が揃えば、召喚は可能じゃ。

 白竜を降臨させ、兄上を打ち倒す」


 材料とな。

 言葉選びはともかく、アオイの気合の入りようは凄まじかった。

 爛々と輝く瞳は、黒真珠よりも何か爆発的な力を秘めた未知の恒星に見える。言葉以上の説得力に、俺は口を挟めなかった。


 フレイアの隣に、いつの間にかタリスカがやってきている。

 どうして音も無く忍び寄ってきたのかはともかく、彼は彼の弟子に言葉を添えた。


「フレイア。勇者も一片も一通り仕上がっている。…………白竜召喚、最良であろう」

「ですが、制御しきれるのでしょうか? 万が一コウ様が力場に飲み込まれでもしましたら…………」

「勇者よ」


 タリスカが俺を見る。

 いつも通り底の見えない虚ろな眼窩は、なぜか大いに頼もしかった。


「自信はあるな?」


 フレイアが紅玉色の眼差しを俺へ注ぐ。さざ波となって砕ける愛情に、何だか切なくなった。

 心配してくれているのと、ちょっとばかりの嫉妬。彼女の魂がささくれ立っているのは、この戦に自分が加われない歯がゆさ故だろう。


 俺はあえて柔らかに、何てことない風に答えた。


「ああ、やれると思う。他にもやらなきゃならないことが沢山あるし、こんなところで飲まれるわけにはいかない」


 ヤガミがそこに爽やかに言い加えた。


「師匠、大丈夫だ。俺がいる」


 実はそれは逆効果なのだが、わかっていて言っているのだろうか。…………わかっていて言っているんだろうなぁ。


 フレイアはあんまり見せたことのない、複雑にいじけた表情で俺達とタリスカを眺めていたが、やがて俯いて微かに息を吐き、アオイの方を向いた。

 彼女は怒りも皮肉も混じらない、丁寧なトーンで言った。


「わかりました。…………アオイさん。コウ様達を、どうかよろしくお願いいたします」


 アオイが少し驚いた風に目を大きくする。

 彼女は袂から取り出した扇子を広げてちょっと仰ぎ、ややしてから話した。


「期待しておるが良い。…………明日はお前だけでなく、このジンも補佐につける。そのつもりでおれ」


 フレイアがジンへ目を向けると、ジンはピョンと飛び上がるようにして背筋を伸ばした。


「あっ、ハイ! よろしくお願いします!」

「ブフッ!」

「うわぁっ!」


 俺に鼻先で小突かれたジンがもう一度飛び上がる。

 戸惑いで目を白黒させる彼に、フレイアはほんの少し笑みを浮かべて答えた。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします。コウ様は誠実でお優しい方ですが、少々こだわりの強いところがおありです。もうしばらく一緒に過ごされれば、具合がわかっていただけるかと思います」


 ジンは狂暴なザリガニを持て余した少年のように、慎重に俺から距離を取ってフレイアに話した。


「それでしたら…………よろしければこれから一緒に決闘を行う場所の下見に参りませんか? 当然ですがシスイ様は…………いいや、頭領はこの地を知り抜いておいでです。事前にこちらも地形や気脈を把握しておくのは、不可欠かと存じます」


 フレイアが俺達と顔を見合わせる。

 俺とヤガミが同時に頷くと、彼女はジンに返した。


「ご提案ありがとうございます。それでは、ぜひご一緒させてください」

「了解いたしました。では、こちらへ」

「アオイさんとタリスカさんは?」


 ヤガミの問いに、本人達が答えた。


「わらわは蒼の主に会いに行く。先に行っておるがよい」

「スレーンの姫に同行する。よく勉強してきなさい」


 勉強…………。

 生徒達二人は即座に「はい」と元気の良い返事をし、俺は一拍遅れて「グゥ」と鳴いた。


「参りましょう」


 ジンに先導され、俺達は教練場を後にした。

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