第250話 竜のお宿はいずこ。俺が犬も食わない物を食わされること。

 タリスカの待つ教練場へと戻ってきてから、俺達はまた何度か飛ぶ練習をした。

 フレイアの猛烈な抗議のおかげで、(タリスカにしては)初歩的で基本的な訓練となった。

 タリスカは愛弟子のいつにない本気の怒りに流石に気圧されてか、渋々(彼なりに)無茶振りを控えていた。


 だが5度目の着陸の直後、トラブルは起こった。


「おい、ヤガミ!?」


 ふいに軽くなった背中を慌てて振り返ると、ハーネスを外したヤガミが今まさに地面へ転がり落ちたところだった。

 首を伸ばして確認すると、ヤガミはくすんだ灰青色の瞳を力無くこちらへ向け、息切れた声でこぼした。


「悪い…………少し……………」

「おい!? しっかりしろ!」


 意識を失った彼の下へ、フレイアが駆けつけてきた。

 慣れているのか、彼女は手早く様子を確かめると、小さく溜息を吐いて彼を肩に担ぎ上げた。


「疲れて気を失ってしまわれただけのようです。…………このようになられる前に、一言でも教えて下されば良いのですが」

「あー…………ヤガミは昔からそんな所あるんだよ。急に電池が切れるというか。多分、マジで自分でもわからないんだと思う」

「未熟ですね。…………ところで「でんち」とは?」

「あぁいや、何でもないよ。それより、俺の背に乗っけなよ。重いだろう?」

「これしき問題ありません、と申し上げたい所ですが、確かに今はコウ様の方が頼りになりそうです。…………お願いいたします」


 ふふん、今の俺は力持ち。人間の姿だったら叶わないことも、この通り朝飯前。

 俺はぐったりと力尽きたヤガミを代わりに背負い、タリスカに話した。


「すみません、今日はもう終わりでもいいですか? 俺が乱暴に飛んだせいで、かなり神経を使ったんだと思います」

「よかろう。…………フレイア、介抱を手伝ってやりなさい」

「はい」


 許しを得て、俺とフレイアはヤガミを白露の宮へと連れて帰った。

 タリスカはしばらく外を見回ってから帰ると言い、いつも通り音も無く、深い闇夜へと独り消えていった。



 白露の宮では、リーザロットが出迎えてくれた。

 彼女は俺の姿を見て、大きな目をさらに大きくし、口元に手を合わせた。


「コウ君! そのお姿は…………」


 リーザロットは言葉の途中で背中のヤガミに目を留め、近くに控えていた侍女達を呼んだ。


「すみません、手伝ってもらえますか?」


 どこか幽霊じみた身なりの侍女達は、見た目からは想像もできない力と機敏さでもって軽々とヤガミを担ぎ上げ、素早く寝床の上へと寝かせた。

 仕事を終えると、風に散らされた木の葉みたいにそそくさと散っていく。

 リーザロットはヤガミの傍らへ腰を下ろし、蒼ざめた顔を覗き込んだ。


「可哀想に、ひどい顔色…………。タリスカですね? こんな無茶をさせる悪い人は」


 キッと睨まれて、なぜか俺がびくつく。

 フレイアが申し訳なさそうに答えた。


「申し訳ございません。お師匠様はいつになく張り切っておられて…………」

「貴女が謝ることはありませんよ、フレイア。タリスカはどこにいるのですか?」

「見回りに出られました。黒矢蜂の様子を探っていらっしゃいます」

「私に小言を言われたくなかったのね」


 困り果ててフレイアが口を噤む。

 俺は自分にも責任の一端があるので、一応は取りなそうと努めた。


「リズ。タリスカも悪気は無いんだよ。途中からはフレイアが注意してくれて、だいぶ控えめな訓練に変えてくれていたし。…………というか、俺が悪いんだ。俺が、飛ぶのが下手くそだったせいで…………」

「いいえ、コウ君。初めてなのですから、それは当然のことです。問題なのは、それがわかっていながら、明らかに無理な課題を出す方です」


 返ってくるだろうと思っていた答えをまさにピシャリと返されて、俺も黙り込む。

 ううむ、夫婦喧嘩の間に挟まれた気分だ。


 リーザロットは「失礼します」と呟いてからヤガミのシャツを脱がせ、身体の傷を調べ始めた。白く華奢な指がゆっくりと青痣だらけの肌をなぞっていくのを見ていると、何だかいけないものを目の当たりにしている気がして落ち着かない。

 ほどなくして、彼女はまた侍女達へ呼びかけた。


「すみません、お湯をいただけませんか? 傷を洗うのに使います。…………いえ、軟膏は要りません。手持ちのものがありますので」


 侍女達が畏まってそそくさと出ていく。

 リーザロットは荷物の中から幾つかの小袋を取り出し、こちらを振り返って言った。


「少し、治療をします。申し訳ないのですが、集中したいので、コウ君とフレイアはどこか別の所で休んできてもらえませんか?」


 休むって、どこで?

 リーザロットは竜の心を読んでか、にっこりと微笑んで続けた。


「アオイさんが言うには、近くに温かい厩舎があるそうです。本来は病気の竜のための療養施設なのだそうですが、コウ君のために、特別に開けてくださっているそうですよ」


 ちょっと待て。その扱いはいくら何でもおかしいぞと抗議するより先に、フレイアが明るく言った。


「それは良いことですね。コウ様のお眠りになる場所がないと、実は心配していたのです」


 何だと? 俺を部屋で寝かせない気だったのか!?


「グォーゥ、オォーウ、ブフーッ!」


 俺が必死に訴えるのを、フレイアは見事に勘違いして受け取った。


「あぁ、コウ様も喜んでいらっしゃるようです。やはり個室の方が気が休まるのでしょう。…………アオイ様も、たまには普通にコウ様のことを考えてくださるようで、ホッといたしました」


 違う、違う! むしろどうしてこんな時ばかり「わらわと一緒じゃ~」にならないんだ?

 人間の精神を持った生き物が、どうして好んで厩舎にブチ込まれたいと思う? どいつもこいつも…………。


 畜生っ、言葉が出てこないっ。ヤガミめ、肝心な時に寝くたばりやがって!


「フゴーッ!」


 苛立ちの叫びを、案の定フレイアは都合良く解釈する。


「わかりました、コウ様。はやくお休みになりたいのですね。…………それでは、蒼姫様、失礼致します」

「ええ、ごゆっくり」


 少しだけ振り返ったリーザロットの優しい笑みが、最早選択の余地が無いことを俺に突きつける。

 俺は首を振ったり身をよじったりしてフレイアを困らせつつ、言葉の出てこないフラストレーションをさらに募らせていった。


「ウゴーッ!」

「よし、よし」


 フレイアは俺が暴れる度に、ウマにするように鼻先を撫でてなだめてきた。


「グォーッ!」

「よし、よし。…………人心地つけば、またお話できるようになりますから。今は、どうか真っ直ぐ歩いてください」

「フンーッ!!」

「よし、よし。…………」



 …………そんなこんなで、俺は著しく自尊心を傷つけられながら、療養用の厩舎へと引っ張られていったのだった。

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