第235話 女の子達のスレーン。俺がウワサの男になること。
気が付いたら俺は、まったく知らない場所を歩いていた。
アオイがアスマの集落へ行くために通った道は、まさにそれだった。
以前、テッサロスタで東方区領主の館へ侵入するためにタリスカやナタリーと通ったのと同じ、不思議な空間だ。
普段人が意識しない場所に、ふっと開いているという世界の秘密の抜け道。無垢な幼い子供や一部の亜人にしか見えないと聞いていたのに…………。
「何じゃ、ミナセ。知っておったのか? もしや、おぬしにも見えるのか?」
当たり前のように振り返って尋ねてくるアオイに、俺は首を振って答えた。
「いや、全然わからない。…………けど、それ以外に説明がつかないから」
俺は遥か彼方にそびえる山の頂に立ち並ぶ、見覚えのある屋敷群を眺めて溜息を吐いた。
屋根の上に流れる竜のぼりの柄からして、間違いない。ついさっきまで俺はあそこにいた。アオイに手を引かれて、何の変哲もない畑やら小屋やらの合間を通って歩いているうちに、いつの間にかこんな所に立っていたのだ。
「何じゃ、つまらんのう」
まぁよくあること、とばかりにこぼすと、アオイはまたスタスタと歩き出した。
と同時に握られていた手がそっけなく解かれて、何となく寂しくなった。
「…………どこに行くの?」
聞くと、アオイがまたこちらを見て答えた。
「女衆の集会所じゃ。「
「はぁ」
兄妹不和はよその家のことを言えた義理じゃないが、こちらもなかなかだ。
アオイはふん、と短く息を吐くと、腕を組んで眉間を険しくした。
「何じゃ、ミナセ? おぬしも兄上が好きか?」
「えぇ? また何を言って…………」
「許さんぞ。おぬしはわらわのものじゃ。わらわだけを見よ」
「そんなこと言われたって…………無理だよ。シスイさんには色々お世話になっているし、そもそも好きとか嫌いとか、そういう問題じゃ…………」
「…………ばか者!」
いきなり罵られ、俺はムッとして言い返した。
「何だよ、ばかって? さっきから思っていたけれど、君はちょっと口が悪過ぎる。ちんちくりんだの、不細工だの、会ったばかりの人に言うことじゃない」
「全部本当のことじゃ。なぜいけない?」
「言われた人は嫌な気分になる。誰にも話をまともに聞いてもらえなくなるぞ、そんなんじゃ。皆が皆、君みたいに気が強くて傷つかないわけじゃないんだ」
アオイが道の真ん中で急に立ち止まる。
彼女は俺を睨みつけ、荒々しく言った。
「だから、ばか者じゃ、おぬしは!」
「意味がわからないよ。何でそんなにイライラしてるんだ? …………別に俺はいいさ。俺には好きなだけ言えばいい。どうだっていいから。でも、他の人には止すんだ」
「なぜおぬしにそんなことを言われなくてはならぬ?」
「君が、わらわの俺って言ったんだろう」
アオイが黙り込む。
俺は何だか妙な流れになってしまったなと思いつつも、頭を掻いて続けた。
「…………それに、もったいないよ」
「…………何がじゃ?」
「折角綺麗なのに、そんな態度じゃ台無しだ」
言ってから、ひどいセクハラをしたことに気付いて蒼ざめる。
絶対言うべきじゃなかった。明らかに間違った発言だった。こんな使い古されたキモいナンパ台詞を浴びせかけられたら、さすがのアオイも目が覚めるに違いない。
それならそれでいいかと思う反面、また一つデリカシー無しの烙印が刻まれるのは非常に悲しい。
アオイは内心でどう思っているかはともかく、少なくとも表向きは冷静に、ちょっと沈んだ面持ちになって答えた。
「そこまで言うのなら…………仕方無い。謝る。…………許せ」
「…………別に俺に謝ることじゃないけど」
「…………おぬしまで兄上に取られると思うたら、腹が立った。八つ当たりをしてしもうた」
「俺までって?」
「何でもない。…………くだらぬことで時間を食った。行くぞ」
アオイが再びズカズカと歩き出す。
俺は彼女を追い掛け、何か声を掛けようかと悩んだ挙句、結局余計なことは言わないでおいた。
坂道をしばらく下っていくと、小川沿いに小さな小屋が点々と建っているのが見えてきた。いくつかの小屋の前には濡れた布が所狭しと干されており、たくさんの人の声と気配がした。
開け放たれた小屋の戸口には、丸々とした小さな竜と小鳥のぬいぐるみが吊るし雛みたいにいくつも並べて飾られていた。大きな頭に小さな手足、円らで小さなおめめ。可愛いものを見ると心が和む。
そんな小屋の一軒へ、アオイは足を運んだ。
「誰かおるかえ?」
敷居越しに彼女が尋ねると、中から子供をおぶった中年の女性が出てきて、大袈裟に肩を竦めた。
「おやおや、アオイ様! どうなさったのです、こんな所へ?」
女性は着物の衿やら裾やら乱れた髪やらをそそくさと整えると、礼儀正しく手を前へ揃えてアオイを見つめた。
背中の子供が大きく身体を捩じり、俺を見る。黒々とした目でじっと見る。
アオイは凛とした佇まいで、彼女に話した。
「すまんのう。忙しい時期なのはようわかっとる故、すぐに去る」
「いえいえ、折角ですからごゆっくりなさっていってくださいまし。相変わらず散らかりっぱなしの、賑やか過ぎるお部屋ではございますが…………」
「いや、ここで構わぬ。中で作業しておる者共を邪魔してしまうのは忍びないのでな。2つ3つ、手短に聞くだけじゃ」
「まぁ、まぁ、申し訳ございませんねえ、気を遣って頂いて。結び式が多いのは喜ばしいことなのですけれど、こうも人手の足りない折ですとねえ…………」
「全くじゃ」
女性がよっこいしょと子供を背負い直す。子供は揺られる間も俺からひたと目を離さず、警戒を続けている。
アオイがわずかに和らいだ表情で子供を覗き込み、尋ねた。
「ユズシの子じゃな。息災か?」
「ええ、おかげ様で。母親のユズシも、アオイ様から頂いたお薬のおかげでもうすっかり元気になりまして…………っと、おや、どうしたんだいウメシ? そっちのお兄さんが気になるのかい?」
女性が目尻にたっぷりと皺を湛えて俺に笑いかける。俺は笑い返し、「可愛いですね」と型通りの挨拶をした。
ただ当のウメシ君(ちゃん?)がずっと、裁きの主もかくやという眼差しで俺を見つめてきているので、どうしても落ち着きはしなかった。
アオイは微笑をさりげなく風に流すと、また元の凛々しい表情に戻って話をした。
「聞きたいのは、「
女性の表情が俄かに固くなる。
彼女の緊張を感じ取ってか、ウメシ君がぐずり始めた。危うげに身体をよじり、甲高い泣き声を上げる。
女性は慌てて赤ん坊をあやしつつ、アオイに謝りながら答えた。
「あ、ああ、申し訳ございません。…………おお、よし、よし。怖くないからねえ、ごめんねえ、びっくりしたねえ…………。
…………兵蜂は、警邏組のミラが見つけました。羽音はこれまでもたまに聞こえてきてはいたんですが、実際に姿を見たとなると、やはり一段と恐ろしいものです。アスマは朝から大騒ぎです。ユズシも、結界司の一員として調査に向かっております」
「なるほど。どの辺りで見つけたかは聞いておるか?」
「山頂の祠の北側の森だそうです」
「ふむ。…………となると、裂け目から直接やって来たのか? まだ裂け目外部に営巣はしておらんということか…………?」
アオイが腕を組み、独り言を呟く。
赤ん坊の泣き声が未だ止まぬ中、彼女達は話を続けていった。
「その蜂は駆除したと思うが、遺骸は今、どこにある? 回収はしたであろう?」
「いえ、そこまでは聞いておりません。ですが、したと私は思います。残しておけば、他の蜂を呼び寄せますし。いずれ私ら染組にも浄化の役目が回ってくるでしょう。この忙しい中、本当にてんてこ舞いですよ」
「苦労を掛ける。だが、いずれも里の要となる仕事じゃ。おぬしらがおらねば、いかなる竜も飛べぬと心得よ。…………では警邏組の他に、誰も蜂を見た者はおらんということじゃな?」
「ええ、そうです」
「そうか」
アオイが何か考え込むようにして俯き、また顔を上げる。
赤ん坊は女性にあやされながら、徐々に落ち着いてきたというか、いよいよハッキリと覚醒して活発になってきた。
俺に向かってしきりに手を伸ばしているが、一体何がしたいのだろう。
…………もしかして、何かが見える? いや、そんな訳は無いだろう。
やがてアオイがポツリと呟いた。
「…………ミラか。確かバドの末娘であったな。では、彼女に会ってこよう。協力に感謝する」
「いいえ、滅相もない。今度はお茶をお出ししますよ。また遊びにいらしてくださいね」
「ああ」
笑顔で挨拶を交わし、俺達は小屋を辞した。
去り際に俺へ向けられた視線には何となくぎこちなさがあったが、まぁきっと、お互いに慣れないというだけだろう。
それからアオイは、ミラという女性の居所を知るために、また別の小屋を回った。
さっきよりも大きな小屋で、中には機織りをしている女性や縫物をしている女性、子守りをしている女性などが老若問わず騒がしく集まっていた。
男達ほど堅苦しくはないが、皆それなりに改まってアオイに対応していた。黒い髪と瞳、日に焼けた肌。揃いの紺の着物にはそれでも、色んなグラデーションと風合いがある。
サラサラと流れる小川のせせらぎに耳を澄ませながら、俺は窓の外の青空へと目をやった。
高い所を、トンビのように悠々と円を描きながら、竜がじっくりと上っていく。
野生か、それとも誰かが乗っているのか。この地の当たり前の光景と、そよそよと流れてくるひんやりとした風が心地良く溶け合っている。
奥の方で、針と糸を持ち寄って集まっている少女達の会話がポツポツと耳に届いた。
――――「黒矢蜂」って私、見たことない。魔物?
――――そう、そう。裂け目の魔物。
――――母さんが小さい頃に見たって言ってたよ。でっかい虫がたくさん、ぐわぁーっっていっぺんに襲ってくるんだって!
――――バナゴみたいに?
――――そう、バナゴみたいに。多分。
――――でっかいって? このくらい?
――――ううん、もっと。もーっと。
少女の一人が針を置いて両手を思いきり広げる。
別の少女が身を寄せ、首を傾げた。
――――何しに来るの? 餌探し?
――――そうだよ、女王が子供を産むから。
――――女王?
――――裂け目から出てくるんだって。
ふと部屋に目を下ろすと、黙々と機織りをしていた少女と目が合った。少女はすぐに目を逸らすと、まるで初めから自分も機械の一部でしたとばかりに作業に集中しだす。
また別の気配を感じてさっきの少女の一団を振り返ると、「きゃあ」とか何とか小声で騒いで、再び身を寄せ合い忙しなく内緒話を始めた。
時たま漏れてくるクスクス笑いと好奇の視線は、オースタンでも浴びた覚えがある。主に学校で、彼女達と同じぐらいの年頃に。
――――えっ? でも…………、…………でしょ?
――――違うよ。やっぱ…………じゃない? まだ。
――――…………ぐらいが妥当じゃん? 顔的に。
その一方では、アオイが話をまとめ始めていた。
どうやらミラという人は、結界司とかいう人達について、竜に乗って現場の調査をしている最中らしい。
少女達は何をそんなに盛り上がることがあるのか、さっきよりも声を大きくしてはしゃいでいた。
――――えぇ? …………私、アリ! 全然アリ!
――――本当ー? やっぱりアンタ、アオイ様のこと言えないわ。
――――シッ! いらっしゃるんだから!
――――そうそう、女王様だよー。私達の。
――――ってか、あれならジン兄の方が若干マシじゃない?
――――ない! それだけはないわ!
――――っつーか、カワイソー…………。あの人、
――――いつまでもつと思う?
――――賭ける?
――――私、耳まで!
――――薬指。
――――大穴、最後まで!
――――ったく、懲りないねー、本当! …………
笑い声が響く。
…………やれやれ。
そんなこんなのうちに、アオイがこちらを振り向いて言った。
「よし、ミナセ。粗方は把握した。だが肝心の警邏組が留守ゆえ、一旦出直すこととする」
少女達がピタリと静まり返る。面倒な教師をいち早く察知する女学生のレーダーは、いつ見ても見事だ。
アオイは俺と女学生をジロジロと見比べると、いきなり強く俺の手を引いて踵を返した。
「いっ!? 痛いよ!」
「さっさと行くぞ! わらわがおぬしの嫌いな言葉を吐く前に!」
「はい!?」
「世話になったな!」
アオイが乱暴な足取りで俺を引き摺って小屋を後にする。
外へ出ると、程無く小屋の中から騒々しい喋り声が湧き出した。騒がし過ぎて、全く内容が聞き取れない。
アオイは一切構わずに、来た道をずんずんと戻っていった。
「ミナセ! このっ…………この、ばか者め!」
「こら! 言っちゃダメだって言っただろう!」
「おぬしにだけは構わぬと言うたではないか! 娘っ子共に鼻の下を伸ばして、みっともない真似をするでない!」
「伸ばしてないよ! ただ話を聞いていただけだ!」
「いいや、伸びておった! 見たぞ! わらわは見た!」
「見てない!」
「見た!」
ひとしきりつまらぬ言い合いをした後、ふと俺は気になったことを尋ねた。
「そういえば君、竜は使わないのかい? 調査地点がわかっているなら、俺達も後を追って飛んでいけばよかったんじゃないか?」
アオイは握っていた手を一瞬だけ強張らせ、すぐに力無く緩めた。
それから彼女は振り返らずに答えた。
「…………飛ぶのにも色々と手間が掛かるのじゃ。どうせ後で降りて来るのじゃから、待っておる方が効率が良い」
「ちょっと里の周りを飛ぶだけでも、そんなに面倒なの?」
「…………。そうじゃ」
「ふぅん」
そんなものなのだろうか。
シスイなら、一も二もなく嬉々として飛ばしているような気もするけれど。
ともあれ、宮に帰ってきてから俺はしばらく休んだ。
色々あってさすがに疲れたのと、アオイが(正確には、その侍女たちが)用意した昼寝用の寝床が気持ち良過ぎて、ついついうたたねの誘惑に負けてしまったのだった。
皆が監禁されているのに、こんなことをしている場合じゃないのはわかっている。だが現状、アオイは全く聞く耳を持たない。
待つしかないのなら、せめて少しでも体力の回復に専念すべきだ。そう、決して流されているわけではない。これは戦略的昼寝だ。
…………などと考えていたら、次に目覚めた時には、外はすっかり暗くなっていた。
寝ぼけまなこでアオイの姿を探している俺に、傍に控えていた侍女はこう話した。
「アオイ様は先程、アスマの集落からいらした警邏組の方とお話をしに、本宮へとお出掛けになられました。ミナセ様には御夕食のご用意がございます。召し上がりますか?」
「あ…………そうなの。じゃあ…………、はい」
「では、只今お持ちいたします。少々お待ちください」
侍女が外へ出て何か合図をすると、地味ながら楚々とした顔立ちの侍女達がどこからかぞろぞろと集まってきて、テキパキと俺のお膳を用意し始めた。
冷たいというわけではないが、彼女達に愛想は無い。からきし無い。どこかで見知った感じだと思うと同時に、ああ、サモワールだと思い出した。
サモワールで働いていた魔術師達が、こんな表情をしていた。
用意し終えると、最初にいた侍女を残して、他の女達は速やかに部屋から出ていった。
残った侍女が頭を下げ、「それでは、お楽しみくださいませ」とまるでAIのようなことを言い残して煙となって消える。
たちまち独りきりになった俺は、箸(箸だった)を手に取り、
「いただきます」
と手を合わせた。
焼き魚と一切れの肉。見た目は米っぽいけど食べてみると確実に米ではない何か。苦い草の浮いた汁。焼いたきのこ。煮付けたお芋。大根の漬物風の何か。ほうれん草のプリン。その他何だかよくわからないお餅とか根っことか諸々。チュンの実。そしてお茶。
まるで旅館の朝食。
「…………ごちそうさま」
少々胃に優し過ぎる味わいに独りごちたところで、誰かが突然格子戸を叩いた。
驚いて見上げると、格子戸が小さな音を立てて外れ落ちる。
そこから顔を出したのは、なんとヤガミだった。
「ヤガミ!? 何してんだ、お前!?」
「よっ、「勇者」様! 良いもん食ってんじゃねぇか! 牢のメシとは雲泥の差だな。…………あぁでも、その苦い汁はあるのか。嫌がらせじゃなかったんだな、アレ」
ニヤリと悪童の笑いを浮かべた彼は身をよっこいせと乗り出し、明るく言った。
「捕まってるのは飽きた! 遊びに行こうぜ!」
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