第234話 親族会議と萌え出づる不穏。俺がアオイの思惑に気付いたかもしれないこと。

 まもなく俺は霧雨の宮と呼ばれる場所へと連れて行かれた。

 そこは沢山の小屋が細い廊下で複雑に繋がれた場所で、アオイやシスイといった本家の人間以外の先代頭領の親族のうち、主だった人々皆、ここに住んでいるとのことだった。


 やって来たアオイの姿を認めると、宮の前の畑で作業をしていたオジさんが「アッ」と短い悲鳴を上げて手から鍬を落とし、頭を下げた。


「アッ、アオイ様! 大変申し訳ございません! 今日は倅は風邪を引いておりまして、ご一緒には…………」

「ああ、よい、よい。大事にせよ」

「えっ?」


 鷹揚な口調で流したアオイを、オジさんが目を瞠って仰ぐ。次いで彼女と腕を絡めた(絡められていると言った方がより正確だ)俺を見て、「アァッ」と一層悲劇的に叫んだ。


「アッ、アオイ様! そ、その方は…………!?」

「オースタンから来たミナセじゃ。新しいわらわの側役じゃ」


 自慢げに突き出された俺を、オジさんが今にも目玉を零れさせそうにして眺める。

 やがて日に焼けた肌がくしゃくしゃになり、何とも言えない深い滲みが瞳の黒に宿った。


 …………な、何だ?

 もしや、彼の息子が元の側役だったりとかしたのか…………?

 そのポジションを、よそ者の俺が奪ってしまった…………!?


 まずいことだぞと、額に冷や汗が流れる。

 オジさんは悲しそうに目を伏せ、もう一度神妙に頭を下げた。


「そうでございますか…………。して、こちらへは何故いらしたのですか?」


 オジさんの問いに、アオイは命令で返した。


「アサヒナの者とサポロの者を呼べ。このミナセを紹介する」

「は、直ちに」


 畏まってオジさんが下がり、建物の方へと向かって行く。

 アオイは俺の腕を引き、また別の建物の入り口へと向かって歩き出した。


「中央の間へ向かう。親族会議は大概、ここか本宮の風待の間で行われる。覚えておくが良い。後々使いに出すこともあろう」

「…………。本宮って、白竜の像があったところ? 白竜の間は、使わないの?」

「白竜の間は神聖なる場。本来は奉告の儀においてしか用いぬ。逆に言えば、あの場で交わされた誓いはそのまま竜王様への奉告となる。そうなれば誰も容易には口を挟めぬ。

 …………兄上はああ見えて案外、ズルくてセコい男じゃぞ」


 さらりと毒を吐くアオイに、俺は無駄と知りつつも言った。


「あのさ、俺、側役になりたくないんだけど」

「今はそう言うじゃろうて。だが心配は要らぬ。ミナセもそのうち、わらわが大好きで離れられなくなるであろう」


 ぎゅ、と掴まれた腕が痛い。男並みの力強さだと、改めて思う。

 アオイはポツリと、付け加えるでもなくこぼした。


「…………それぐらい、わらわにだって許されてよいはずじゃ」


 そう言う表情がいつになく物静かで、薄曇りの夜空みたいに寂しげで、ついに俺は言葉を続けられなかった。



 然して、側役披露宴がしめやかに執り行われた。

 広い部屋の一番奥、少し高くなった場所に並んで座るアオイと俺。その目の前には、似たような顔つきのオジさん達がズラリと並んでいた。


 どういう序列順なのか知らないが、手前の方にいる人程気難しげで、いかにも偉そうな皺を眉間に刻んでいた。着ているものも明らかに上等そうで、汚れた旅装に妙に豪華な金糸まみれの半纏を纏っただけの俺は、一座の中でかえって凄まじく浮いていた。


 よく見れば、畑で出会ったオジさんが一番後ろにちょこんと控えている。

 目が合うと、彼はまたあの悲しみを噛み締めるような表情で俯き、それきりになった。


 シンと静まり返った部屋に、アオイの高い声が響いた。


「皆の衆に告げる」


 アオイは俺を振り返り、堂々と宣言した。


「この男、ミナセをわらわの側役とする。オースタンの出じゃが、類まれな魔力を持っておる。共力場の高速編成、広域に及ぶ魔力場操作、そしておそらくは因果の力場を介した気脈への干渉…………。この男の力はわらわの、ひいてはスレーンの助けとなるであろう」


 俺が見返すと、アオイはもう人々の方へと向き直っていた。

 その横顔はさっきまでとは全く違い、冷酷という言葉が頭に浮かぶ程に凛然としていた。

 背筋がスラリと伸びて美しく、咲き誇る白百合の如く貴い。彼女の確固たる決意は、黒い瞳に鋭く集約している。


 かわゆいだのワンダだのと色々言っていたが、やはり本音はそっちなのかと多少拍子抜けはするが、変な話、安心はする。こうなるといつも通りの対応でいい。

 若く静かに燃える横顔に見惚れていたら、人々の内から声が上がった。


「お待ちください、アオイ様」


 切り出したのは、最前列向かって右から2番目の男だった。

 スレーンの誰もがそうであるように、彼もまたよく日に焼けて精悍な顔をしている。黒い髪に若干混じった白髪が、着古した紫紺色の着物によく似合っていた。


「その者はサンラインの使者が連れてきた者でありましょう。しかも聞けば、伝承の「勇者」であるとか。容易に彼らが手離すとは思えませぬ」


 実際、拉致されたに等しい。

 アオイは表情を崩さず、淡々と答えた。


「左様。だが交渉の手段はいくらでもある。あやつらは今や、籠の中の雛鳥じゃ。我らの要求は何でも飲むであろう」


 冷ややかな口調とシニカルな微笑が胸に刺さる。確かに状況はその通りだけれど、こうもあけすけにされると気分は良くない。

 アオイは一瞬だけこちらへ視線を寄越し、再び正面を向いた。


 また別の男が発言した。


「認められませぬ」


 最前列左端、面長の紳士。実家の近所の寿司屋に似た顔のオジさんがいる。鍛え上げられた前腕は剣士の証か。武骨で剛毅そうな人だった。


「外の者を側役になど…………前例がありませぬ。外の者を無闇に迎え入れては、一族の力場が乱れます。お考え直しください」

「自分も、バド殿に同じく」

「バド殿の仰る通りでしょう」


 あちこちから、次々と賛成の声が上がる。

 アオイは袂から扇子を取り出すと、広げずに唇に当てた。獲物を睥睨する猛禽のような目つきだが、それがむしろ彼女の頬に残る幼さの影を強調する。

 大人びた白い肌と桃色の頬のアンバランスさが、少し恐い。


「静粛に」


 アオイが扇子で床を軽く叩いて言うと、途端に水を打ったように場が静まり返った。

 同時に何かピリッとした刺激が舌に走る。違和感に内心で首を傾げるも、感覚はすぐに消えてしまった。

 アオイの声が滔々と響いた。


「我らの力場は乱れぬ。わらわには皆を、そしてこのミナセを、こうして制御する力があるからのう。わからぬか?」


 集まった人々の顔が一様に強張る。自分が喋らないのは話す気が無いからか、それとも話せないからか。俺にもわからない。俺と同じように皆が唇を結んで、ただ目を見開いていた。

 今のは…………魔術? ほとんど気配を感じなかったが。


 アオイは変わらぬ冷然とした目つきで、語り続けた。


「よって、この件に関しては前例など無意味。これが最初の例となる。まだ異論のある者はおるかえ?」


 沈黙が部屋を押し包んでいる。

 口を利くことは恐らく、可能だろう。だが、力で押さえつけられていると言うにはあまりに自由な意思と身体は、どうしてもそれをしようとしなかった。


 アオイは優雅な所作で扇子を袂に戻すと、静かに言った。


「では、決まりじゃ。解散」


 彼女が立ち上がる前に、先の紫紺色の着物の男が口を開いた。


「アオイ様。今しばらく、お時間を頂きたい」

「何じゃ、シドウ? 言っておくが、父上への報告は不要じゃぞ。父上は隠居の身。かような些事で煩わせとうない」

「…………いえ、蒼の主の一行のことでございます」


 アオイが目を細める。

 彼女は隣の俺を横目で窺い、


「申せ」


 と低い声で言った。

 シドウと呼ばれた男は、何となくシスイに似た、張りのある声で話した。


「いつまで彼女らを置いておく気なのですか? いずれ同盟の申し出を断るのであれば、早々にサンラインの都へとお帰り頂くべきでしょう。万一この状況がジューダムに知られれば、三寵姫を匿っているとの誤解すら受けかねませぬ。

 何より、北の裂け目が活発化し、飢饉すら訪れうるという今日、他国の者をあまり長く里にいさせるのは如何なものかと」


 裂け目というと、テッサロスタへ行く途中にもあった、やたら強い魔物が湧き出てくる旧世界の名残の穴だ。この近くにもあるのか。

 シドウのすぐ後ろの、比較的若い男が言葉を付け加えた。


「警邏組からも進言したく存じます。以前より痕跡の確認されていた「黒矢蜂こくしほう」が今朝未明、アスマ岳にて姿を現しました」

「…………何じゃと!?」


 アオイが眉を顰める。緊迫した表情のまま、彼女は発言した青年を問い詰めた。


「なぜもっと早くわらわに報告しなかった? アスマの集落は無事なのか?」


 青年が「は」と畏まって頭を下げ、答えた。


「無事です。まだ山頂付近で兵蜂つわものばちを一匹確認したのみですので。シスイの頭領には、すでに報告いたしております」

「違う! なぜすぐわらわに伝えなかったのかと聞いておる!!」


 険しい追及に、青年はさらに頭を低めて返した。


「は、申し訳ございません。頭領がお伝えするものとばかり…………」

「戯言をぬかすな! 結界司長のわらわにも同時に伝えるのが道理であろうが!」

「申し訳ございません」

「兄上はわらわ達に隠し事をする。信用ならぬ! そちも真にスレーンの行く末を思うならば、わらわを頼ることじゃ!」

「は…………」


 今にも消え入りそうな声で青年が返事する。

 わずかな隙に、人々の間で不穏な視線が交わされた。何かを探り合う黒い瞳が、妖しい光をチラチラと放つ。

 列の後ろの方から囁き声が聞こえてくる。

「今のは?」「つまり、正当な頭領は…………」「いや待て、早計だ」「しかし」…………。


 俺達が到着した時のシスイの様子からして、俺達の来訪は彼らの大半にとって予期せぬ出来事であったろう。

 となると、アオイの言うことはもっともにもなる。事実、シスイは後ろ暗いことをしていた。


 ああ、ただでさえ厄介だった物事が、みるみるうちにさらに厄介になっていく…………。


 先程俺の側役就任に反対していたバドという男が、きつく俺を睨んでいた。疑惑と嫌悪、そして不可解。負の感情はきっと遠からず、行動となって発露するだろう。火を見るよりも明らかな厄介事の種に、心中でかぶりを振った。せめて少しでもマシなトラブルを祈る。


「静粛に!」


 また、アオイが鋭く言い放つ。今度は魔術を使っていない気がするが、それでも場はたちまち静かになった。

 アオイはスラリと綺麗な姿勢を崩さず、警邏組の青年に問い続けた。


「報告の件はひとまず良い。して、「黒矢蜂」がどう蒼の主の件に関わる? 続けよ」

「は」


 青年が再び顔を上げ、話した。


「「黒矢蜂」達は、強力な魔力場に引き寄せられる性質がございます。そのため、三寵姫のような魔力の持ち主を里に置いておくのは、大いに危険と判断いたします」

「わらわの編んだ結界では不足と申すか?」

「恐れながら」

「ふむ」


 即答に、アオイが珍しく黙って頷く。

 彼女はしばし目を瞑って何も言わずにいた後、今一度人々を見渡して言った。


「あいわかった。蒼の主の件、可及的速やかに対処しよう。…………そちらの内には未だ迷いのある者もおろうが、わらわは断じて同盟を認めぬつもりじゃ。里の女達の長として、わらわは決して折れぬ。そちらの妻や娘を守る力は、兄上ではなく、わらわにこそある。

 …………他に、何かあるか?」


 誰も挙手する者は無かった。

 黒い瞳の光があちこちで忙しなく瞬いてはいたが、それはいつまで待っても言葉にはならなかった。


 アオイをチラと見ると、丁度良く視線がかち合う。

 彼女はどこか寂しそうに睫毛を伏せ、それからすぐに凛とした面持ちを取り戻した。


「…………では、解散じゃ。蒼の主の始末は、明日の夕までにジンを通じてシドウに告げる」


 シドウが頭を下げると、続いて全員が深く頭を下げた。

 アオイがサッと身のこなし涼やかに立ち上がるのを、どうしていいかわからずにまごついて見ていたら、アオイが俺の手を取って小声で囁いた。


「立て、ミナセ。会合は終わりじゃ。行くぞ」


 俺は尻に敷かれた織物をクシャクシャにして無様に立ち上がり、わたわたとアオイについて部屋を出た。


「…………不快であったか?」


 廊下で顔も見ずに歩きながら問われ、俺は返事に窮した。

 その尋ね方があまりにぶっきらぼうで、心細そうだったからだった。

 俺は芽生える同情をぐっと飲み込み、こう返した。


「つまり…………俺は人質?」


 アオイは初めて俺を睨み付けたかと思うと、すぐに顔を俯けた。

 気のせいか、頬の桃色がくすんで見える。

 彼女は声のトーンを保ったまま、話題を変えた。


「…………予定変更じゃ。今日はこれから、アスマの集落へ向かう。共に来たくなければ、わらわの宮で昼寝でもしておれ」


 俺は溜息を吐き、今にも解けて落ちそうな彼女の手を繋ぎ留めつつ、答えた。


「行くよ。スレーンのことも君のことも、もう少し知りたいから」


 アオイは振り向かず、ただわかりやすく、繋いだ手を握り締めた。

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