清き月夜に星達は踊る
第236話 策士・ヤガミの暗躍。囚われの俺達が大脱走を図ること。
「遊びに、ってお前…………そもそもどうやって逃げてきたんだよ?」
尋ねる俺に、ヤガミは手を差し出して言った。
「まぁ色々と。とにかく出ようぜ。お前、ペットのマルチーズみたいだぞ」
「マ、マルチーズ?」
「格好つかないだろ?
渋々ヤガミの腕を掴むと、格子の外れた窓から俺は力強く引きずり出された。
外は涼しく、寒いぐらいだった。
白銀の月明かりの下、ヤガミは清々しい程に無邪気な目をしていた。
「行こうぜ」
灰青色の瞳は暗がりの中、不思議と冴えている。白皙の彼はオースタンの夜の中にいる時よりも、ずっとこの世界の夜に馴染んで見えた。
「どこへ行くんだ?」
聞くと、ヤガミはさらりと答えた。
「もちろんリーザロットさんの所だ。白露の宮。場所はわかっている」
颯爽と歩き出す彼について、俺は館の裏の人気のない岩場を下りていった。かなりの傾斜である。もちろん、支えになるようなものは何も無い。月が明るくなければ、いやむしろ、先導する人がいなければ、絶対に通らなかった場所だろう。
ヤガミは足掛かり手掛かりを器用に見定めて、平らかになった地面へと降り立った。
そこからは細い道のような道でないような足場が、緩くカーブしながらさらに延々と続いていた。
「ここを辿ってくと、俺がいた岩牢に出る。白露の宮へ行くには、一旦戻って反対へ出る必要があるんだが」
俺は努めて下を見ないようにしながら、ヤガミに聞いた。
「っていうか…………どうやってこんな道を見つけたんだ? まさか、何となく行けそうだからって適当に辿ってきたんじゃないだろうな?」
ヤガミは上方にそびえる本宮の様子を注意深く窺いながら(部屋間を繋ぐ渡り廊下を橙色の灯火がひっきりなしに行き交っていた)、ゆっくりと足を運びつつ話した。
「まさか。協力者がいる。でなければ、とっくにあのアオイとかいう女の結界に取っ捕まっていたさ」
「協力者? そんなのどこで?」
「牢の守衛のお爺さんさ。暇潰しに一緒に将棋を指しているうちに、仲良くなった」
「んな馬鹿な! …………ってか、将棋?」
「正確には、フラッチェッカっていうゲームだ。見た目はチェスっぽいけど、相手の駒が使えるあたりは将棋っぽい。…………それに何回か負けて何回か勝った。爺さん、誰も相手がいなくて退屈していたらしい」
「でも、それで牢から逃がすって…………」
「もちろん、それだけじゃあり得ない。だから、賭けをしたんだ」
「賭け?」
「ああ。今、まさにその最中」
呆れ声を上げようとした俺を、ヤガミがシッと黙らせた。次いで彼の指が示す方を見てみると、迫り出した岩の上に誰かが立っているのが見えた。どうやら見張り台らしい。坂の下に小さく、アードベグが守っていた鳥居が見える。
しばらく待っていると、人が去っていった。
ヤガミはそっと素早くその下を通り過ぎる。
俺は彼に続いて見張り台をやり過ごし、再び尋ねた。
「で…………賭けって?」
「ああ。無事にお前を連れて戻ってこられたら、牢の鍵をくれるそうだ」
「えっ!? 馬鹿お前、それ罠じゃないのか!?」
「シッ、静かに!」
人差し指を口に当てられて、俺は黙り込む。
だが依然、納得はいかなかった。
「…………意味がわからない。向こうに何の利益があるんだよ?」
「別に、単純に楽しいからだろう。元々賭け好きのご老人でさ、何も無いよりはって言って、適当な木札を持ち金代わりに遊んでいたのがエスカレートして、こうなった」
「全っ然わからん! それがどうしてお前の脱走に繋がるんだ?」
「段々、気が大きくなってくるんだよ。木札じゃ満足できなくなって、お互いに物を賭け始めた。あっちはお茶やらお守りやらを、俺は手持ちのハンカチやらコインやら指輪やらを賭けた」
「待て…………指輪?」
「ああ、もちろん蒼姫様に貰った翻訳用の物じゃない。オースタンを出る前に、付き合ってた彼女から叩き返されたやつだ。偶々ポケットに入っていた」
「…………高価なものなんじゃないの?」
「今はもう爺さんのものだ。…………ともかく、爺さんと遊びながら結構話し込んだ。互いの身の上話から、サンラインのこと、スレーンの跡目争いのこと、ジューダムとの戦のこと。…………流れで、伝承の「勇者」の話になった」
ヤガミが空々しく微笑んで俺を振り返る。
俺は口を挟まなかった。
「丁度フラッチェッカにも飽きがきていた」
「…………」
「その前に、牢から脱走したヤツの話も聞いていたんだ。かつて頭領の機嫌を損ねて投獄された魔術師の男が、里に迫る危機を一早く察し、追放覚悟で抜け出して里を救ったという昔話を」
道はどんどん狭くなり、ついには岩壁に張り付くようにしてしか進めなくなった。
風が少し強く吹くだけでも、肝が凍てつくほどに冷える。カラカラと崩れ落ちていく小石は荒涼とした山肌を、いともあっけなく転がり落ちて消えていく。
やっぱり止めようぜと言おうにも、今更戻ることもできない。
ヤガミは淡々と先を行った。
「爺さんはそんな話は嘘だという。だから、俺がやって見せようと言った」
「…………ちょっと待ってくれ。今、集中してる…………」
「この辺りの岩が良い。しっかり握れる。足下は案外広いから大丈夫だ。…………それで、俺はちゃんと行ってきた証拠に「勇者」を目の前に連れてこようって提案した」
ヤガミのルートをトレースして、じりじりと進んでいく。確かに見た目よりかは安定感があるけれど…………。
ヤガミは「な?」と子供っぽく笑って、続きを話した。
「もっとも、コウが言う通り、約束が破られない保証はどこにも無い。戻ったらお前共々ひっ捕らえられて即終了って可能性も十分にあり得る。…………けどな、賭け事ってのは、あくまでルールがあるからこそ楽しいんだ。多少のイカサマはあれど、最後の約束は必ず守られなくちゃお話にならない。それでなきゃ、面白くない」
真面目な横顔を眺めていると、ついつい頷いてしまいそうになる。が、今イカサマって言ったかコイツ? そもそも話の運びがうますぎるし、コイツが純朴なお爺さんを騙して誘導したではないのかと勘ぐってしまう。
ヤガミは何を読み取ってか、ニヤリと言葉を足した。
「…………お互い様なんだぜ?」
…………やはりか。この悪ガキめが!
ヤガミは細い道を危なげなく這い出ると、せり出た大きな岩に飛びついて登り、俺に手を貸した。
「こっちだ」
「ん」
続いて登ると、すぐそこに鉄製の小窓があった。どうやら牢の窓であるらしい。
扉をちょっとだけ開いて覗き込むと、牢の格子の外にいる老人がギョッと目を大きくしてこちらを振り向いた。
「…………! セイか!?」
「ただいま、シマ爺」
ヤガミが俺に変わって顔を出す。老人はおずおずと格子際に近付き、呻いた。
「ううむ…………。まさか、本当に連れて帰ってくるとは…………」
「今、中に入る。他に誰もいないか?」
「あ…………ああ」
ヤガミが扉の桟に手をかけ、牢の中へひらりと飛び降りる。結構な高さだが、出る時はどうやって昇ったのだろうか。
俺も彼の後から、同じように牢の中へと降り立つ。
ヤガミは俺の肩に手を置き、得意げに老人に言った。
「紹介する。サンラインの「勇者」、ミナセ・コウだ」
老人はまじまじと俺を見、それからますます信じられないとばかりに溜息を吐いた。
「ハァー…………「勇者」…………」
本当は違うけどねと、心の中だけでこぼして微笑む。
老人は再びヤガミを振り返り、言った。
「わしゃ、てっきり窓を出た時点で怯えて引き返してくるかと思うとった。それがいつまで経っても帰らんから…………てっきり、途中で落ちたかと」
「ハハハ、本当に落ちてたらどうするつもりだったんだ?」
「大問題じゃ! わしがアオイ様にしこたま叱られる。だから、孫にこっそり確かめに行かせようとしとったんじゃが」
老人が脇を向いて手招きすると、若い清楚な女の人が顔をのぞかせた。
すっきりとした顔立ちの、華奢な美人である。
彼女は俺に小さく会釈し、それからヤガミの方を向いて尋ねた。
「あの…………お守りの方は大丈夫でしたか?」
控えめで可愛らしい声に、ヤガミは爽やかな笑顔で返した。
「ああ、何も問題無かった。信じていたけれど、それでも驚かされた。また会えて嬉しいよ」
「…………」
はにかんだ面持ちで女性が俯く。
彼女はまた上目遣いにヤガミを見て、蚊の鳴くような声で言い加えた。
「あの…………よろしければそれ、差し上げます。そのお守りがあれば、少なくともアオイ様の結界に掛かることはありませんし…………竜王様の加護も、ついて参りますから」
「いいのか? けど、それだと君に疑いが掛かるかもしれない」
「いいんです。落としてしまったと言い訳すれば、どうとでもなりますから」
「そっか…………大事にするよ。竜王様はもとより、君の加護は何より心強い」
「…………っ、そんなに大したものではありません。あんまり…………大袈裟に言わないでください」
「いいや、俺の目は確かだ」
女性が言葉を詰まらせて頬を染め、端へ引っ込む。
俺が横目で見やると、ヤガミは肩を竦めた。
「彼女はシマ爺のお孫さんの、キリさん。俺の食事を用意してくれた。賭けの時に、結界をくぐり抜けるお守りを借りたんだ。すぐ近くにいる人にもある程度効果があるっていうから、お前が一緒でも大丈夫だろうって話でさ。…………多分、身分証の一種なんだと思うけど」
「…………そういう話じゃなくて」
「何だよ、そんなに妙なことか? 色々話していたら、普通少しは仲良くなるものだろうが」
…………なんねぇよ。
と、吐き捨てれば己が惨めになるだけ。
クソッ、これがイケメンか! 里を襲ってきた敵国の親玉と同じ顔でもそれなのか? そんなにチートなのかイケメンは! 俺なんて初見で痴漢の変態扱いされたというのに…………。
ヤガミは見透かしたように言ってのけた。
「とはいえ、最初は相当ビビられたよ。シマ爺がいなけりゃ、きっと一言だって口を利いてくれなかったと思う。親切な人で良かった」
白々しいヤツ…………。本当は一体どんなちょっかいを掛けたんだ? え?
ヤガミは俺の妬みの眼差しをサラリといなすと、ポカンと口を開けたままの老人、シマ爺に近寄って耳打ちをした。
「さ、約束は果たしたぜ」
シマ爺が低く長く唸り、腕を組む。
頭から湯気が出るのではと思う程に顔を顰めた挙句、彼は懐から思い切りよく鍵の束を取り出した。
「フン! 持ってけ泥棒!」
「恩に着る!」
からりと笑うヤガミにつられてか、シマ爺も小鬼みたいに笑う。ただの似た者同士なのかもしれないと、ようやく合点がいった。
シマ爺は無造作にヤガミへショートソードをほうると、牢の扉を開けながら、こう囁いた。
「いいか、今晩中には戻ってくるんだぞ。明日の朝には交代がくる。それまでに戻ってくれば、わしがどうにかしてやる。「勇者」のあんちゃんの脱走も、相手がアオイ様だってんなら、誰も首は捻るまいよ」
しっかし、と、彼は言葉を繋げて、改めて俺を見上げた。
「このヒョロいあんちゃんが伝承に謳われし「勇者」ねぇ…………。本当にホンモノなんだろうなぁ? アンタ」
疑惑の眼差しに、俺は慣れたものだった。
「実は、俺も疑ってます」
「何だと? 頼りねぇなぁ。大丈夫なのか、セイ?」
「大丈夫だよ」
ヤガミがキッパリと答える。
牢から白露の宮までの道は、シマ爺が懇切丁寧に教えてくれた。ここを抜ければまず誰にも出会わないと、力強く請け負ってくれる。
後ろで黙ってこっそり控えているキリさんに、最後にヤガミは声を掛けた。
「またな」
行ってらっしゃい…………と、そよ風のような声が返ってくる。瞳が完全に少女漫画のそれである。
俺は形ばかりのむなしい会釈をし、ヤガミと共に牢を後にした。
閑静な開けた道を、黙って辿っていく。
さっき岩場を這っていた時はあんなに心強かった月明かりが、今は物凄く恐ろしかった。少しでも雲がかかってくれていれば、こんなにハラハラはしなかっただろう。
ヤガミが時々、何を眺めるでもなく夜空を仰いでいる。
見惚れていたい気持ちは、よくわかる。何もかも放り投げて、夢中で月に手を伸ばしたくなるような素晴らしい晩だった。
争いなんて馬鹿げているとつくづく思うが、ままならないのが世の中。
白露の宮の明かりが次第に近づいてくる。
シマ爺の言った通り、道中には特に何の障害はなく、あっけないぐらいスムーズに進めた。
あと少しだ。
この大岩の脇を抜ければ…………。
思わず足が速くなりかけた所で、頭上から悠然と男の声が降ってきた。
「…………どこへ行きなさる、お二方?」
驚いて見上げると、ゆうに7、8メートルはあろう岩のてっぺんで、鬼が胡坐を掻いていた。
割れた柘榴の如き真っ赤な彼の肌は夜闇の内でも燃えるように艶めき、灯る銀色の瞳は冷え冷えとしながらも、天の川のように爛々としている。
気配なんて全然しなかった。なんなら、ずっと見えていてもおかしくなかったはずなのに。
スレーンの守護鬼、アードベグは傍らの大薙刀を掴んで立ち上がると、俺達の行く手を阻むように軽々と飛び降りてきた。
「いずこへ向かうにせよ、見つけてしまったからには見過ごせませぬな。…………先へ行きたいと申すならば、私を退けていきなされ!」
天から滑るように下段へと構えられた大薙刀へ、月光が降り注ぐ。
額に流れる冷や汗を拭う間もなく、ヤガミがショートソードを抜いた。
「おい、ヤガミ!?」
「…………頼むぜ、コウ!」
「お前本気かよ!?」
赤鬼が大地を蹴る。
灰青色の瞳が鋭く俺を射た。
「行くぜ、扉の魔術師――――――――!!」
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