第204話 ほろ苦い凱旋。俺がでたらめな以心伝心に面食らうこと。

 久しぶりのサンライン、その都、サン・ツイードは相変わらず淡くも豊かな色彩に包まれていた。


 いつも通りの穏やかな街並み。気持ちの良い風にたわむ、たくさんの家の洗濯物。道端に揺れる小さな花。そこへ誘われる小さな白い蝶。路地を駆け抜ける子供達の無邪気な笑い声。広場をいっぱいに覆う市場の活気。ふんわりと漂いくるマヌーのミルクとバターの甘い香りが鼻腔をくすぐる。


 最早目前にまで迫っているはずの戦の物々しさなど、微塵も感じられない。

 全てを知っている…………何もかも見ているはずなのに、嘘みたいにきらやかな日差しが、俺には恐ろしかった。


 蒼の館までの道すがら、俺は一刻も早くテッサロスタでの顛末を聞きたかったが、クラウスもグラーゼイも俺から離れているせいで聞き出すことができなかった。

 恐らく、わざとそうしているのだろう。話したくないこと…………恐らく、街中ではとても話せないことがあったに違いない。


 時折、あーちゃんと和やかに会話を交わしているクラウスから鋭い視線がこちらへ送られてくる。クラウスはああ見えて、結構疑り深い。俺のことだって最初は信用していなかったぐらいだ。いわんや、敵国の王と全く同じ外見をしたヤガミをやである。


 まぁ、当のヤガミは、そんなのどこ吹く風なのだが。


「…………「蒼姫様」かぁ」


 街をためつすがめつ眺めながら、ふとヤガミが呟いた。

 俺は、見た目的には俺よりも余程サンラインの街並みに馴染んでいる彼に、少々呆れ気味で答えた。


「そうだよ。俺をこの世界に呼んだ三寵姫、「蒼の主」のリーザロット。これから行くのは、彼女の住んでいる家。とんでもないお化け屋敷だよ」


 ヤガミはいたずらっぽく笑みを浮かべ、こちらを振り返った。


「お化けも出るのか。いいね。さすがファンタジー」

「いいもんか。修行と称して、散々追いかけ回されたんだ、俺は」

「噂のタリスカ師匠か。…………そのお師匠様は、今はどこに?」

「わからない。最後に見た時は、ジューダムのすごく強い騎士と戦っていたけれど…………」


 嵐の如きタリスカの剣戟を思い返し、俺はあの人が死ぬはずはないと改めて自分に頷いた。

 あのサンライン最強の死神が、あんな場所で倒れるなんて考えられない。あの人はきっと今もリーザロットの傍らにいるに違いない。


 扉の魔術師・グレンは少なくとも生きている。グラーゼイだって、あの通り五体満足で帰ってきている。

 それなら、シスイも、ナタリーも…………。


「…………」


 うららかな日差しが目の前に真っ直ぐ伸びる石畳の道を照らしている。グラーゼイとフレイア、そしてクラウスとあーちゃんは俺とヤガミからつかず離れずの距離を保ちつつ、館へ歩いていく。


 ジューダムの王が従えていた、あの巨大なシロワニ…………アイツは「顎門アギト」とか呼んでいたが…………の、おぞましい牙が脳裏に迫る。

 俺とフレイアを逃すために、ナタリーとレヴィはあの大鮫に立ち向かった。

 彼女達は本当に、無事でいるのだろうか?


 最高の竜の乗り手であるシスイだって、ジューダムの援軍が連れてきた大量の濁竜に囲まれて、いくら何でも切り抜けることができただろうか?


 オースタンにいる間はどうにか押さえていた不安が、いざサンラインに立ったら急に怒涛となって押し寄せてきた。

 あーちゃんのこととか、ヤガミのこととかもあるし、リケやイリスだって、そのうちまた襲ってくるに決まっているし…………。

 ああ。もう、考えているだけで、空が圧し掛かってくるようだ。


「…………コウ」


 ヤガミからの呼びかけに、俺は重たい顔を上げた。


「どうした?」


 ヤガミは一点の曇りもない瞳に俺をひたと映し、小声で、だがハッキリと言った。


「…………その子は、無事だ」


 俺はポカンと口を開けて、彼を見返した。

 こいつ、何を言っている?

 その子って、まさかナタリーのことか?

 だとすれば、もう勘が良いとかいう次元じゃない。

 俺は思いきり顔を顰め、返した。


「お前、何をわけわかんないことを…………」


 俺の言葉を遮り、ヤガミはチラとだけクラウスに視線をやって、さらに続けた。


「…………まぁ、いいか。

 ピンときたんだ。虫の知らせというか…………もっと確信に近い感じだ。お前が心配しているその子は…………生きている」


 俺はヤガミに合わせて声を潜めた。


「だから、何でそんなことがわかるんだよ?」

「さぁ、俺にもわからない。…………けど、彼女の眼差しが俺へと向いている。…………わかるんだ。エメラルドグリーンの瞳。憎しみと…………、当惑…………?」

「…………」


 絶句している俺の隣に、さりげなくクラウスが寄ってきた。


「コウ様。恐れながら、あまり大声で異国の言葉をお使いにならないようお願いいたします。街は今、「太母の護手」の残党の暴力行為のせいで、異邦人に対して大変神経質になっております。…………ヤガミ様には、いずれサンラインの言葉に対応した指輪をお作りいたします。それまでは、どうか余計な会話はお控えください」


 氷柱のように研ぎ澄まされた目つきが、彼が何もかも聞いていたことを如実に物語っていた。彼やグラーゼイ、フレイアの指には、オースタン語を介するための指輪が嵌まっている。しかし、今の彼はサンラインの言葉で、明らかに俺にだけわかるように話していた。


 彼についてきたあーちゃんは不安そうな顔で、彼と俺とを見比べていた。クラウスがいきなりサンライン語を喋り始めたので、戸惑っているのだ。ヤガミもまたそのはずなのだが、こっちは内容に見当がついてでもいるのか、表情を変えなかった。

 俺はクラウスに頷き、サンライン語で短く答えた。


「わかったよ」

「…………ご協力に感謝します」


 クラウスが一転して、「すみません」とオースタンの言葉で優しくあーちゃんに微笑みかける。彼は彼女を連れて、また俺達の前を歩き出した。手慣れたエスコートに、あーちゃんはすんなりと不安を和らげる。

 俺とヤガミは顔を見合わせ、あとは言われた通り、黙ってリーザロットの館まで歩いていった。


 平穏に見える街も、決して見かけのままではないということを俺は思い出す。

 「太母の護手」。あの哀れな異邦人達。彼らは今もまだこの街に暮らしている。



 館に着いたあーちゃんは、意外にもくるみ割り人形の門番を見て喜んだ。


「えっ? このお人形、生きているの? わぁ、可愛い!」


 ニコリともしなければ喋りもしない(そして俺の目には普通のオジサンの顔に見える)門番に、あーちゃんが嬉しそうにまとわりつく。獣人は怖いのに、生き人形は平気なのか? 彼女の部屋を見た時にも思ったが、この子のセンスは若干ズレているのかもしれない。

 ヤガミはと言えば、例によって怖気づくわけもなく興味津々で観察している。


 呆れていると、グラーゼイがフレイアと一緒に俺とヤガミに近付いてきた。


「ミナセ殿は私と「勇者」殿と共に、蒼姫様の下へ。ヤガミ殿は、フレイアとクラウスと共に、会談が終わるまでしばしお待ちください」


 有無を言わせぬ圧力に、俺は躊躇いなく逆らった。


「ヤガミも一緒に行きましょう。その方が、話が通りやすいと思います」


 グラーゼイはわずかに顎を引いて俺を見下ろし、サンライン語で低く応じた。


「ご自重ください。蒼姫様への謁見は本来、正式な手続きを経て認可された者にのみ叶うものです。…………ヤガミ殿には、離れにて待機していただく」

「ですけれど、今は緊急事態でしょう。正式とか、認可とか言っている場合じゃない」

「三寵姫は国の柱です。そしてその警護が我ら教会騎士団「白い雨」の任務。口を挟まないでいただきたい」

「リズ…………ああ、いや、蒼姫様に、俺が直接頼んできます。先に行かせてください」

「重ねて申し上げます。これは我々サンラインの市民の義務です。ご理解願います」

「…………俺は部外者ですか?」

「これでも寛大な措置とお心得ください。少なくとも、貴方は今は「勇者」ではない」

「…………」


 いよいよ我慢がならなくなってきた所で、ヤガミが俺の肩を叩いた。

 怒り治まらぬ俺を、彼は冷静に諭した。


「コウ、いい。…………その人はもっともなことを言っている」

「そういう問題じゃない! …………ん!? ちょっと待て! 何でお前、言葉がわかる? 今はサンライン語で話していたはずだ!」

「わからないさ。ただ、そんな気がしたに過ぎない」

「無茶言うなよ! もっともだって、今…………」

「さっきと同じ、勘だ。雰囲気だけ通じた」

「ハァ?」


 大きく口を開ける俺に、フレイアが言い添えた。


「コウ様。滅多にないことではありますが、強い魔力をお持ちの方は、時に思念だけで他者の意を汲み取ることがあると聞いております。ヤガミ様は、フレイアが必ずお守りいたします。決して危害を加えはいたしません。ご安心ください」

「いや、そんなことは心配してないけど…………。でも、コイツは肉体だろう? なら、いくら魔力が強いなんて言ったって…………」

「ヤガミ様は、他ならぬジューダム王の肉体であられます。不思議ではございません」

「そんな…………。それなら、一体霊体の方はどうなっちゃうんだよ?」

「…………」


 フレイアが困った顔で口を噤む。俺は何となく彼女から目を逸らし、あーちゃんを見やった。彼女はぼんやりとして、とにかく状況が流れるのを待っていた。


 ヤガミは小さく肩を竦めると、自分からフレイアの方へ歩んで行って俺へ言葉を投げた。


「まぁ、よくわからないけど、とにかくそういう感じだからさ。俺に関しては、そんなに心配要らないよ。…………また後でな」


 涼しげに手を振って(俺へというより、あーちゃんへ向けていたようだ)、彼はフレイアと、あーちゃんの傍らにいるクラウスを見た。

 クラウスはあーちゃんに歯の浮くような別れの挨拶を流暢にたっぷりと浴びせかけた後、あくまでも表面上は何てことないといった顔でヤガミの護衛へついた。


 グラーゼイは雪に埋もれた高山のような佇まいで、俺とあーちゃんをずっと待っていた。

 彼は、


「では」


 とだけ言うと、ゆったりと背を向けて、門番に門を開けるよう命じた。

 入ったばかりの分かれ道で、ヤガミ達は離れていった。そして俺とあーちゃんはグラーゼイに従って、蒼の館へと進んでいった。

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