時を駆けるセンチメンタル・ジャーニー
第203話 初めての異世界。私がオオカミ頭の硬派な獣人とキツネ頭のナンパな獣人に出会うこと。
――――…………時空を超えるフレイアさんの魔術は鮮烈だった。
足下が急に黄緑色の光る輪に囲われたかと思うとや否や、「間違えたら時空の迷子になる」とかいう恐ろしい詠唱をぶっつけ本番でなぞらされて、風が吹き荒れ、瞬く間に凄まじい光に包まれた。
…………そこから先のことはあまり覚えていない。
激しい地震のような揺れに突きあげられ、目の前の空間がマーブル模様にぐにゃりとねじれて、私は悲鳴を上げて兄にしがみついた。
発する端から声が渦を巻いて虚空に吸い込まれていく。
兄が私の肩を強く抱き寄せてくれていた。
(大丈夫)
そう語り掛けてくれていた。
私は夢中で兄を抱き締めて、必死で何も考えないようにした。
ともすると自分が誰だかすらわからなくなりそうな、世界中の不安を一時に引っ掻き回したような滅茶苦茶な世界で、私はひたすらに叫んでいた。
(私は、ミナセ・アカネ――――…………!
…………「勇者」!? ふざけんな!
私はただの…………ただの、お兄ちゃんの妹なんだ!)
「――――っ! ぐぇっ!」
腕に力を込めたら、兄が首を絞められたガチョウみたいな声を上げた。
ガァガァと次いで何か騒いでいるのも聞こえたが、私は構わず締め続けた。だって、怖いだもん。
やがて兄が抵抗を止めて心なしかぐったりとしてきた頃、情け容赦無く渦巻いていた世界がゆっくりと速度を落とし始め、目の前が開けてきた――――…………。
そしてハッと気付いた時、私は爽やかな花の香に包まれていた。
初めてかぐ異国の植物の香は、不思議と懐かしくて、ほのかに甘ったるい。
ひんやりとしたそよ風が私の髪を優しく撫でて、晴れ渡った空へと吸い込まれていった。
夏の始まりにも似た、わずかな湿り気をはらんだ日差しが燦々と降り注いでくる。青く白く、眺めているだけで心が洗われていく、美しい空。
すぐそこの赤い屋根の建物は教会だろうか。穏やかで心地良い神聖な鐘の音が、長く高らかに私を貫いて大地を渡る。
私の立っている教会の庭は色とりどりの草花に彩られていた。よく手入れされた庭だ。あちこちに、白く愛らしい小花が揺れている。エンドウ豆みたいなものも、たくさん植わっている。
聞こえる小鳥達の歌は、今まで感じたことも無い程にいきいきとしていた。一つ呼吸するごとに、息づくものの力が身体へたっぷりと染み込んでくる。
いるだけで心が溢れてしまいそう。
崩れて止まった小さな噴水の奥、開かれた教会の扉の中の講堂には、荘厳な竜の絵が飾られていた。
その竜の絵の前に、騎士の格好をした人影が2つ、並んでいる。顔は暗がりになっていて、よく見えない。
彼らは私達を認めると、ゆっくりとこちらへ歩んできた。
日の下で明るみになった騎士達の姿を見て、私は愕然とした。
「…………ヒッ!!!」
咄嗟に、兄の後ろへ隠れる。
兄はそんな私へ同情の目を向けつつ、彼らへ声を掛けた。
「クラウス。と…………グラーゼイ、さん。…………良かった。無事だったんですね」
グラーゼイと呼びかけられた方の大男…………その頭は、白銀の毛並みを泰然と風にたなびかせる、黄金色の目をしたオオカミの頭だった…………が、厳めしい声で応じた。
「貴方も、ミナセ殿。…………フレイア、そいつらは?」
オオカミの鋭い視線が即座に私を射抜く。この上なく威圧的な、一切の慈悲や寛容を排した眼差しに、私は背筋を凍らせた。
「…………「勇者」・アカネ様と」
フレイアさんが答えるより先に、もう一人の騎士が剣の柄に手を掛けたまま、冷ややかに口を挟んだ。
「ジューダムの王。…………の、肉体か? それがなぜここにいる? お前自身の口から答えてもらおう」
ひどく野性的な目をしたその男は、赤褐色の毛に包まれたキツネの顔をしていた。
眉間から吻部にかけて、激しく皺を寄せている。隠し立て無く燃える怒りの形相が、私の息をさえ詰まらせる。
一体、この獣人達は何だろう? 本当に味方なの?
震えが止まらない。
ヤガミさんは、だが、静かに答えた。
「…………俺はヤガミ・セイ。君の言う通り、ジューダムの王の肉体、らしい。…………君達に敵意は無い。俺はその、ジューダムの王とやらに会ったことすらない。…………だから、一目見にきた。この戦争を掻き乱すような真似はしないと誓おう」
「「誓う」…………。その言葉がこの白い雨の都でどういう意味を持つか、知っているのか?」
「…………コウに聞いたよ」
ヤガミさんが兄へ視線を送る。
兄は緊迫した二人の間へ、おずおず入っていった。
「クラウス。頼む。どうか剣を抜かないでくれ。そいつは俺の親友…………幼馴染なんだ」
「…………なんですって!?」
クラウスという名のキツネ男が、目を大きくして兄を振り返る。
兄は背中にしがみついている私を連れて、ヤガミさんの隣に並んで話を続けた。
「どうしてこんなことになっているのかは、俺達にもわからない。グレンさんはいないか? 魔術に詳しい人に、調べてもらいたいんだが」
キツネ男が当惑気味にオオカミ男を仰ぐ。
オオカミ男は会話の間中ずっと私を睨み据えていたが、ふと目を逸らして兄を見た。
「仔細は蒼の館にて伺いましょう。グレン殿は現在、蒼姫様と会談中です。…………フレイア、こちらへ来てオースタン遠征の報告をしなさい。…………クラウスは、フレイアの代わりにその娘…………否、「勇者」様の護衛につけ」
「ジューダム王は?」
「何も出来まい。…………所詮、「獣人変化」もできぬ輩だ」
兄が顔をくしゃくしゃに顰め、オオカミ男を睨みつける。
オオカミ男は涼しい顔でそれをやり過ごすと、庭の出口へ向かって堂々とした大股で歩きだした。
呆然と広く大きなその背中を眺めていたら、ふいにオオカミ男の鋭い眼差しがこちらへ向いた。
「…………!」
彼はしかし、怯える私に構うことなくそのまま正面へと向き直った。
フレイアさんがセイシュウと一緒に兄の傍へやってきて、軽く一礼してからオオカミ男を追いかけていく。セイシュウはまだ眠り薬の影響が残っているのか、どこか呆けた面持ちであった。
彼女と入れ違いに、キツネ男がやって来た。
「…………「勇者」様、ですか。その方が」
改めてまじまじと見つめられて、私はまた肩を縮込めた。
「違う」なんて言えないし、かと言って「そうです」とも答えられない。
どうしようもなくって、兄の後ろに隠れる。
キツネ男はそんな私を興味深そうに覗き込みつつ(さらに隠れるも、しつこく追いかけてきた)、やがてふっと笑顔を――――獣の顔なのに、確かに笑顔が浮かんだ――――作って、パチリと一度、黄色い野獣の目を瞬かせた。
すると、えっ、と思う間もなく、そこに見惚れるような金髪と、どんな宝石も敵わないスカイブルーの瞳を輝かせた、紛れもない人間の青年の顔が現れた。
キツネ男…………もといギリシャ神話から抜け出てきたような美青年は、キラキラと明るい陽光に些かも劣らない爽やかな声と表情で、私に言った。
「お初にお目にかかります! 私は教会騎士団・「白い雨」の騎士で、クラウス・カイル・フラウリールスと申します。先程は驚かせてしまい、申し訳ありませんでした。獣の形を取るのは、この国では騎士の正式な装いとされております。ですが、異国から到着なさったばかりの「勇者」様には、どうしても見慣れぬものでしょう。故に、ご無礼ながら、今しばらくは本来のこの姿にて失礼致します。
貴女のような可愛らしい方の護衛役を授かりましたことを、心より光栄に思います。以後、どうぞお見知りおきを」
スラスラと流れ出る台詞と、まるでダンスの如き優雅な一礼に、私はまたたじろいだ。クラウスさんはキツネだった時が嘘みたいに思える、優しい、軽やかな親しみのこもった眼差しで私を見ていた。
彼は微笑み、囁くように言った。
「ご安心ください。このクラウス、例え命を賭してでも、貴女のことはお守りいたします。
ですから、もう少しだけお兄様の背から出て、魅力的なお顔を拝見させては頂けませんか?」
私はポカンと口を開けて目の前の青年を見返していた。
可愛らしいだの、魅力的だの、そんなことをためらいなく次々と口にするなんて、きっとさぞや軽薄な男に違いない。違いないけれど、物腰は上品で見た目は清潔感があって、何より、嘘をついているにしてはあまりに澄みきった瞳をしていた。
おずおずと兄の背から離れかけたところで、クラウスさんがさりげなく私の手に自分の手を添えた。
「…………!」
「構いませんか?」
柔らかに聞かれて咄嗟に頷くも、何を?
クラウスさんは屈んでそっと私の手の甲に顔を近付けると、軽く唇を当てて離れた。
恥ずかしさやら何やらで顔から火が噴き出そうな私の横から、兄のきつい声が飛んだ。
「クラウス! そこまでだ!」
クラウスさんは肩を竦め、なんら悪びれることなく答えた。
「何です、急に? 敬愛すべきご婦人に、騎士としての忠誠を示しただけですのに」
「言い訳無用! っていうか、何であーちゃんが俺の妹だって知ってるんだ?」
「それはまぁ、お二方のご様子を拝見していれば自ずとわかります。顔立ちの愛らしさは比べるべくもありませんが、雰囲気はよく似通っていらっしゃいますし」
クラウスさんは割って入ってきた兄越しに、一層親しげに私に尋ねてきた。
「「勇者」様、お名前をお伺いしても?」
「え…………えっと、ミナセ・アカネ…………です」
「では、アカネ様。参りましょう」
馴れ馴れしさをギリギリ感じさせない所作で、クラウスさんが私を導く。刹那だけ背後に向けられた彼の眼差しの先には、ヤガミさんがいた。攻撃的でありながら極めて冷静な、日本で普通に生きていたら絶対に見られないその目つきに、私は微かに震えた。
残された兄が溜息を吐き、ヤガミさんに何か話しかけている。
ヤガミさんは兄と共に歩き出しながら、特に何を気に病む風でもなく、興味深げに辺りの景色を見回していた。
気になって前を見てみると、案の定、オオカミ男が怖い顔をして私達を待っていた。厳格そうな顔貌の上にさらに盛られた険しい表情が、威圧感を倍増させている。
「…………あの方はグラーゼイ様です。私やフレイアの所属する「白い雨」精鋭部隊の、栄えある隊長様です」
クラウスさんがおどけて言い添える。
私はグラーゼイさんからのただならぬ視線の重圧に耐えながら、異国の街へと踏み出した。
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