第202話 デザートはアイスクリーム。俺が見守るべきもののこと。
ヤガミは焼き上がったグラタンをあっさり平らげると(「美味しかった」と言ってくれた)、唐突に
「アイスが食べたいな」
と、のたまった。
「あいすくりぃむ」とは如何なるものかとフレイアが興味深々なのを良いことに、彼は俺を近所のコンビニへと誘った。
「えぇ…………面倒くさいよ。カスピ海ヨーグルトで我慢しろよ」
「全然違うものだろう。それに、そうすればセイシュウ君の様子もついでに見に行ける」
このヤガミの提案に、フレイアが賛成した。
「コウ様。よろしければ、ぜひそうして頂けると助かります。きっとちゃんと眠っているとは思いますが、万が一のこともありますので、どうか私からもお願いいたします。
「こんびに」は、この家のすぐ下とのことですので、そこであればすぐに私も駆けつけることができますし」
こうはっきり頼まれては、断れない。
俺は流されるままに、そこそこ冷えこんできた夜の中、ヤガミと一緒に外へ出掛けた。
「…………で、何の話だよ? コソコソと女子みたいな真似ばっかりしやがって」
歩きながら俺が毒づくと、ヤガミは鼻で笑って答えた。
「ダメだな、コウ。時勢を考えろ。今の地球じゃ、その言い方はいけない。…………それはともかく、アカネさんとお前、そっくりなのな。けど、26の男がそれは普通に鬱陶しいだけだぞ」
「何だって?」
「何の話もねぇよ。俺はただ、本当にアイスが食べたかっただけさ。食べ納めかもしれないしな」
「…………」
大方、俺の様子がおかしいのを目敏く認めたのだろうと思っていたが、どうにも食えない。
俺は素朴な家々の夜景を見下ろしながら、話した。
「…………向こうでお前がどういう扱いを受けるのか、正直よくわからない」
ヤガミもまた夜景を眺めている。遠くを走る幹線道路上の車の明かりは、週末だからか、いつもより少し騒がしい。
街の背景にした彼の表情は平然として見える。
落ち着き払った声が、答えた。
「わかっているよ。最悪の事態も想定済みだ」
「…………行くの、止めておけば?
お前はこの世界で生きていける。何一つ不自由無く」
ヤガミが無言でこちらを振り向く。
整った顔立ちはまるで精巧なアンドロイドみたいに白く、冷たい。
彼は複雑な陰影を湛えた顔を俯かせ、言った。
「けれどそれは、満たされているってことと同じじゃない」
「考え方次第さ」
「違う。…………違うんだ」
鬱蒼と樹々の生い茂る神社の境内の上には、これまた慎ましやかな星空が広がっている。
風が冷たいのでコートの前を寄せる。
ヤガミは足を止め、ガードレールにもたれかかって再び夜景を見つめた。
「子供じみた幻想だ…………。お前はそうは言わないだろうが…………俺が生きる世界では、そうとしか呼ばれないものだ。
俺は時々、「何も無い」と感じる時がある。それは何の力も無いとか、何も価値あるものを持っていないとか、大切な人が存在しないとか、そういうことじゃない。それらを指すなら、俺はお前の言うように、何一つ不自由は無いのだろう。
けどな、俺の空白はもっと根本的な所に…………この身体の、核の部分にあるんだ」
俺は黙って聞いている。
ヤガミの横顔は相変わらず無機質で、この世界の光の淡いちらつきをくっきりと映していた。
彼の言っていることはわかる。わかるから、黙っている。
「…………ああ、そうだろう。お前はその正体を知っているから、行くなと言うんだ。
俺が求めているものは、魔法だ。それに触れたら、俺の世界は全く様変わりするのだろう。その危険も痛みも、お前はよく知っているから…………止められないんだよな、旅を」
ヤガミが夜空に向かって微笑む。
視線の先の三日月は誰にも聞こえない歌を静かに口ずさんでいる。
俺はコートを押さえていた手の力を抜き、言葉を挟んだ。
「…………お前の、あっちのヤガミに会いたい個人的な事情って…………それか?」
ヤガミが笑顔を作って振り返る。
俺はその灰青色の透明な眼差しに当てられ、風に攫われるみたいに気を緩めた。
彼の運命の行方は、彼が決める。
俺はまだ「ヤガミ」を知らない。
アイツが俺の全てを知らないように。
何もかもがすっかりわかる日は、きっと来ないが。
それでも、見守ることぐらいはできるだろうか。
「ヤガミ」
「何だ?」
「魔法は…………魂は、お前にも宿っているよ。…………肉体は、空っぽじゃない」
じっと聞いているヤガミに、俺は続けた。
「霊体だって、単純に魂そのものってわけじゃないと、俺は思う。俺達はそんな風に簡単に切り分けられない。
…………何だろう。なんて言うべきなのかわからないけど、何か大切な…………かけがえのないものが奥底にあって、その現れ方の違いに過ぎないんだと…………そんな気がしている。
勿論、だからどうしろって話じゃないんだけど…………そのさ…………」
例によって話をまとめきれない俺に、ヤガミは会って以来で初めて、哀しそうな、今にも滲んでしまいそうな表情を浮かべた。一瞬のことだったが、俺は彼の瞳を捕えた。
「「ヤガミ」。俺は、お前の友達だ。…………一緒に行こう。今度こそ、血の無い道を見つけよう」
ヤガミが目元を細め、穏やかに微笑む。微妙な影と光の作る彼の顔は、もう普通の青年のものだった。
俺は一旦息を吐き、神社の小道を指差した。
「…………セイシュウの様子、見に行こう」
ヤガミはゆっくりとガードレールから立ち上がり、俺と共に森へ足を踏み入れた。
セイシュウの無事を確認してから、俺達はコンビニで各々のアイスクリームを買って帰った。
フレイアは帰りが遅いのを心配してか、この寒空の下、家の前まで出てきて待っていた。
「フレイア!? 何しているの!?」
「コウ様! ヤガミ様! どこまで行っていらしたのですか!? よもやイリスやリケに襲われたのではないかと、不安で不安で不安で、居ても立ってもいられませんでした! あともう少し遅ければ、「こんびに」に斬り込みに参っていたところです!」
フレイアは俺を見るなり、半泣き状態で俺へ縋ってきた。
ヤガミは両手を小さく挙げ、小声でおどけた。
「…………アイスが溶けそうだ」
俺はヤガミを一睨みし、フレイアをなだめた。
「大丈夫、本当に大丈夫だから。それより、ずっとこんなところにいたら風邪を引いちゃうよ。中で、あったかくしてアイスを食べよう」
「どこにもお怪我はありませんか? 疲れてはいませんか?」
「本当、本当に平気だから。あーちゃんの護衛は任せたって言っただろう? それなのに、こっちにばかり構っていたらダメだよ」
「ですから、家の周りを警護していたのです! 幸い鼻梁の白い小型動物しかおりませんでしたが…………!
コウ様こそ、そのような薄着で出歩いてはお風邪を召されます! さぁ、早く中へ! …………ヤガミ様? 何を笑ってらっしゃるのです?」
俺達はそうして、ドタバタと家へとなだれ込んだ。
かくして、ヤガミが当たり前のように手に取って選んできた高級カップアイスクリームはフレイアに味の革命をもたらし(彼女は感動のあまり、マジで小一時間言葉を失っていた)、夜はたちまちのうちに更けていった。
あーちゃんはあれきり引き籠ったまま、ヤガミは何が何でも下のソファで構わないと言い張り、フレイアは俺の部屋で一緒に休むと言ってついに押し切り、朝はなんやかんやで、あっという間にやって来た。
そして日が昇り、気脈の活動が最も活発化した時刻。
俺達は連れ立って、セイシュウの元へと向かったのだった。
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