第201話 家族。友達。ささやかで幸福な夢想。俺がチキンマカロニグラタンを作ること。

 俺は冷蔵庫の中を検分し、今晩の夕食をチキンマカロニグラタンと定めた。


「まーた牛乳の期限切らしかけている!」


 俺の独り言がキッチンに響く。俺がいないと、飲む人間がいないのだ。

 とは言っても、母さんを責めることはできない。俺が帰ってくることを期待して食料が買い揃えられているのを見ると、やはり胸が痛む。


 フレイアは冷蔵庫の説明を俺から受けた後も、どうしても納得がいかないといった顔で冷蔵庫を眺めていた。


「この…………あらゆる魔具を駆動させる力は、どこから流れてきているのでしょう? 個々のご家庭に、継続的な気脈との接続を可能にする魔法陣が組み込まれているのでしょうか? オースタンには魔術師は滅多にいないのですよね? それなのに、このような複雑な魔力の制御が可能だなんて…………到底、信じられません」

「…………魔術じゃないんだ。電気って言うんだ」

「デンキ?」

「雷の力みたいな…………? とにかく、後でね。とりあえず、ご飯を作るから。テレビでも見て待っていて」

「ですが、私のためにコウ様のお手を煩わせるわけには参りません」

「いいんだ。今日は、俺に任せて」

「お手伝いいたします。…………したいのです」

「嬉しいけど、今日は俺がやる。たまには頑張らせて」

「…………わかりました」


 フレイアは珍しく根負けし、すごすごとテレビの前のソファへと戻っていった。いつの間にか、チャンネルを変えるなどという芸当を覚えている。彼女はたくさんの女の子が歌い踊るポップな番組で手を止めると、背筋のすらりと伸びた綺麗な姿勢のまま、画面に見入った。


 どうでもいいが、彼女が姿勢を崩すのを俺はほとんど見たことが無い。俺の前だからああしているのか、それとも、ダラけるなどという習慣は彼女にはないものなのか。

 寛いだフレイアの、あの無防備できょとんした表情が俺は好きなんだけど…………まぁ、この場では望むべくもないか。彼女にとって地球オースタンは、敵の潜む異世界に他ならない。

 俺は野菜の下拵えを進めつつ、彼女の背中を見守っていた。



 夕飯ができたと言って呼んでも、あーちゃんは部屋から出てこなかった。


「食欲無いの」


 そう言う彼女に、俺はラップをかけた皿を部屋の前に置いて伝えた。


「あーちゃんの好きなグラタンだよ。置いとくから、気が向いたら食べて」

「…………ん」


 声のトーンからして、一応嫌ではないらしい。昔からグラタンだけはどんな時でも食べてくれた。作った甲斐がある。


 それにしても、思春期ってのはつくづく難しい。話し合いはしたものの、解決には全く至っていない。何も話してくれなかったというわけではないが、正直なところを打ち明けてくれたわけじゃないのは、俺にだってわかる。


 軽く溜息を吐いて階下に降りていくと、すでに食卓のテーブルについていたフレイアが尋ねてきた。


「コウ様。アカネ様は…………?」

「部屋で食べるって。俺と顔を合わせるのが気まずいんだと思う」


 俺が向かいに座ると、フレイアはそわそわと落ち着きなく俯いたり、それじゃダメだとばかりに顔を上げたりした。

 何だか可笑しいのでちょっとばかりそんな彼女を観察して楽しんだ後、聞いてみた。


「どうしたの? さっきも話したけれど、この料理は炒めた鶏肉と野菜にマカロニっていう茹でた小麦粉の塊を加えて、牛乳を使ったソースと、さらにチーズっていう加工された乳製品をかけて、窯で焼いただけのものだよ」

「あっ、はい…………。複雑なお料理、ありがとうございます。サンラインにも似た料理がございますから…………これは、馴染み深く思えます。とても良い香りがして…………すごく美味しそうです」

「それは良かった。…………それで、何をそんなにソワソワしているの?」

「それは…………」


 フレイアはほんのりと赤くなって顔を俯け、上目遣いに俺を見て続けた。


「コウ様が手ずから作ってくださったお料理を、こうして向かい合って頂くというのは…………な、何だか…………か…………か、家族…………みたいで…………気恥ずかしくて…………」


 思いのほかな感想に、俺はつい目を泳がせた。

 フレイアはじっとこちらを見ている。おもねることもなく、何の不安も浮かべていない。俺の好きな彼女の表情を、俺は見返すことができない。

 俺はどうにかこうにか動揺が顔に出ないように微笑んで、返した。


「あっ、そ、そう? そう…………かも、だね。ハハ。…………あー、うん。まぁ…………じゃあ、食べよっか」

「イタダキマス」


 昨晩、ヤガミの家で聞き覚えた挨拶を早速使うフレイア。

 上品に食器を取る彼女に見惚れて、俺は一拍遅れてから言った。


「あ、い、いただきます」


 芯から楽しそうにフレイアが微笑む。

 …………どうしよう。

 今更になって心臓が高鳴る。

「家族」。嬉しい。こそばゆい。


「…………コウ様」

「えっ? へ、あ、何?」

「美味しいです。温かくて、心のこもった優しい味がいたします。…………ありがとうございます。フレイアは、この上なく幸せです」

「…………」


 全身が熱い。目の前がじんわりと滲んでいく気すらする。

 せっかく上手く作ったのに、ちっともグラタンの味がわからない…………。



 食後に紅茶を飲んでまったりしていると、やにわにインターホンが鳴った。

 ヤガミだとすぐにわかったので、ドアを開いて迎えた。


「お邪魔します。ただいま。…………コウ、アカネさんとの話はどうなった?」


 間髪入れず尋ねてくるヤガミに、俺は溜息交じりに告げた。


「一応話はしたけど、感触は良くない。何が気に入らないのか、結局ちっともわからなかった」

「そう。けど、話したんだろう? 2人で?」

「ああ」

「なら、いいさ」


 俺は彼の言うことがわからず、顔を顰めた。ヤガミは何の疑問も無いといった面で俺を見返し、それからリビングに目を向けた。


「何か良い匂いがするな」

「…………ああ、グラタン作ったんだ。…………そういやお前、メシは?」

「食べてない」

「よければ食べる?」

「いいのか? じゃあ、ぜひ」


 ヤガミの顔がパッと明るくなる。意外に今まで見たことの無かった素直さに、ちょっとばかり意表を突かれた。


 こんな風に人懐っこく笑うコイツを見るのは、いつ以来だろう?


 思うと同時に、ジューダムの王の冷たい、痛々しい程に何も隠せない灰青色の眼差しが胸に圧し掛かる。

 古傷が裂けそうになって、俺は少し言葉を詰まらせた。


「…………? コウ?」


 ヤガミの呼びかけに、俺は「ちょっと待ってて」と慌てて答え、台所へ戻った。

 ソファ越しにフレイアの視線を感じる。心配してくれているらしい。

 俺はフライパンの中に残っていたグラタンを皿によそって、オーブンへと放り込んだ。


「コウが料理するのって、意外だな。昔は何もかもおばさんにやらせてたのに」


 俺は台所の入り口に立つヤガミを振り返り、おどけて返した。


「今や立派な自宅警備員だからな。大概の家事はできるんだぜ」

「ふぅん。…………の割には、洗い物が溜まっているように見えるけど」

「後でやるってば」

「出発はいつなんだ?」

「明日の昼にって、フレイアが」


 言いながらフレイアを見やると、彼女はすかさず「はい」と返事して説明を加えた。

 いわく、気脈の変動と月相を鑑みて、今晩よりかは明日、それも夜間よりかは日中の方が好ましいとのことだった。


「準備はすでに万全と伺っておりますので、なるべく早くの出発といたしました」


 ヤガミは聞いて一度大きく頷くと、袖をまくって、悠々と洗い場に立った。


「ん? 何する気だ?」

「手伝うよ。夜のうちに終わらせておいた方がいいだろう」

「えぇ、いいよ。俺もお前ん家のこと、何もしてないし」

「気にしないでくれ。ただ自分が落ち着かないんだ。忘れているかもしれないけど、俺は家事に関しては、お前より遥かにベテランなんだ」


 フレイアがぱちくりと目を瞬かせる。俺はヤガミの昔の暮らしを…………決して豊かではなかった、ユイおばさん達との彼の慎ましい暮らしを思い出して、口を噤んだ。


 淀みなく皿や湯呑みを洗っていく彼の横顔は、確かにあの頃のヤガミの面影を残していた。気に入らない同級生への容赦ない暴力と、幼い弟への細やかな世話が同時にできる、奇妙なヤツ。


 ただ一つ、あの頃とどうしても違うのは、あの頃のアイツがいつだって宿していた感情の荒々しさだ。ともするとすぐに両極端へブレてしまう、あの真っ直ぐな、一切を偽れない瞳。

 …………ジューダムの王が俺へ向けた、水銀じみた、あの重たい眼差し。


「…………コウ。グラタン、平気か?」

「え?」


 ふいに尋ねられて、俺は我に返った。

 ヤガミは皿を洗いながらくんくんと鼻をひくつかせ、続けた。


「なんか、少し焦げ臭いぞ…………」

「あっ! げっ、うわ! すまん!!」


 俺は適当につまみを回して放置していたオーブントースターから大急ぎでグラタンを取り出し、熱さでひっくり返しそうになりながら、わたわたと食卓へ運んだ。

 チーズを振りまいた表面だけが見事に炭化している。


「いやぁ…………いつもは、こんなことしないんだけど…………ハハ…………」


 俺の言い訳に、ヤガミは苦笑しながら小さく肩を竦めた。

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